商社というエキサイティングなビジネス

2月 28th, 2018 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (商社というエキサイティングなビジネス はコメントを受け付けていません)

 先日、ある方とお話しをして、とても勉強になったので、備忘録をかねてシェアです。

 その方は、医療機器を扱っている商社を経営されています、具体的には、世界各地で医療機器を仕入れて、その仕入れた医療機器を日本のお医者さんに販売する仕事、いわゆる、商社です。

 商社のビジネスモデルは、左から仕入れて右に流すだけの単純極まりないビジネスですが、彼のこだわりに「なるほど」と思うところがありました。

まず、左の「仕入れ」、彼は世界各地にあらゆる可能性をもとめて医療機器の展示会に参加するといいます。ただ、展示会で展示している機器はみんな知っているので、基本スルーで、むしろ、展示会のカンファレンス、立話などで、でこれから登場するような最新の機器をキャッチして、機会があれば、その会社を実際に訪問して契約を取り付けるという。つまり、誰もが周知される前段階の「展示会以前」をどうキャッチするかが仕入れにおいて最大のポイントという。

 で、そのキャッチした新しい機器について、どう「右に流すか」。単に流すのではなく、彼はこれまで付き合いのあるお医者さんのうち誰が一番喜んでもらえるか、徹底的に考えるという。そして、一番喜んでもらえそうなお医者さんが、その機器を使って、より多くの患者さんを幸せにできることが何より大事だという。

 ま、商社は左から仕入れて右に流す、とてもシンプルなビジネスモデルです。シンプルゆえに、つまらないビジネスモデルかもしれないけど、誰も知らないこれからヒットするかもしれない商品を仕入れて、それを一番喜んでもらえる人に提供して、最終的に患者さんの治療に役立てる。これこそ付加価値そのものですね。

 トヨタ元社長渡辺捷昭氏は、新入社員時代に社食の管理業務に配属されて、なんで自動車じゃないんだ、と、腐りかけたものの、食堂の分析を行い、食堂の仕入れを最適化したところ、「うちの社食でカイゼンをしている若い奴がいる」と見出されて、遂には社長になったと。

 商社、社食、いずれも、一見つまらないビジネスかもしれないけど、心がけ一つでエキサイティングでいくらでも価値を上げることができます。なので、つまらないかもしれないけど、そこに全力を注ぐ、こうしたひたむきさを追求したいものですね。

博士を使いこなす

2月 12th, 2018 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (博士を使いこなす はコメントを受け付けていません)

さて、今日の日経記事「日本企業、博士使いこなせず? 採用増で生産性低下  日本経済研究センター分析」のニュース、元ポスドクとして思うところがありました。

日経記事「日本企業、博士使いこなせず? 採用増で生産性低下  日本経済研究センター分析」

  もう10年以上前ですが、自分もこの「博士号を取得しても就職できない「ポスドク」」を半年間経験しました。そして、ポスドクが終わって、そこから半年間くらい就職活動しました。就職先がなかなか決まらず、結構、しんどかったですが、いろいろあたって2006年3年、日興シティグループ証券に就職できたことはラッキーでした。当時はアナリストに多様な人材を求めていたこともあり、財務諸表もまったくわからない自分を雇っていただき、いまでも感謝です。そして、出身研究室も自由な雰囲気で、博士だから研究者みたいな雰囲気もなく、それも感謝です。

 で、この記事の何をもって生産性低下というか難しいですよね。自分の感覚では、当時は、同じアナリストとして、まわりが同じように接してもらったので、かえって良かった気がします。医薬セクターのカバレッジとか普通にドクターいますよね。あと、外資ということもあるかもしれないです。なので、逆説的ですが、博士だろうと何だろうと肩書・レッテルに関係なく、モチベーションをもって仕事することが生産性を上げるのかもしれません。

 ひるがえって、日本の会社だと、まわりの社員が「博士だから研究職でしょう」みたいな、ちょっとほかとは違う、身構えてしまうところがあるのかもしれません。かつ、本人も「博士取ったのになんで研究職じゃないんだ」といったプライドを持ち、その結果として生産性の低下が起きるのかもしれないです。

 というわけで、企業においては、「博士」だからといって、本人もまわりも特別扱いしない、研究職しかないのではなく、普通に扱えばよいのではないでしょうか。ま、5年くらい遅れた新卒くらいで。そう思えば、まわりも博士を新人として受け入れる、そして、本人も謙虚に業務をこなす。100年生きる人生、新卒22歳も27歳もそれほどあまり変わらないと思うのです。なので、博士であっても、身構えず、むしろ、いろいろなバックグラウンドを受け入れる土壌、ダイバーシティ、企業にとってはこれが必要なのかもしれなですね。

箱根駅伝にみる目線の高さ

1月 4th, 2018 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (箱根駅伝にみる目線の高さ はコメントを受け付けていません)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、最近のお正月は日本にいることが多くて、いつも箱根駅伝を楽しみにしています。

 いつも思うのですが箱根駅伝は見どころがたくさんありますよね。往路復路の優勝争い、シード権をめぐる攻防戦、繰り上げスタートを避けるべく必死にタスキをつなげる姿、出身校の走者の頑張る姿、まさに、全員が主役の素晴らしいドラマだと思います。だからこそ、90年以上も続いているんでしょうね。願わくは、母校の慶応が学生連合ではなく、大学として一度くらい箱根駅伝に出てほしいなぁと。いつかこの楽しみも味わいたいものです。

 そんな箱根駅伝のなかで、自分の印象に残ったのが総合優勝した青学 原監督の「目線の高さ」です。彼にとって、箱根駅伝で勝つことはもちろん大事なものの、それ以上に日本の陸上の裾野の広げて、世界的なランナーを育て、オリンピックをはじめ世界に通用する選手を育てたいという。箱根駅伝からなかなか次につながらない現状において、彼の「目線の高さ」は素晴らしいと思いました。

 閑話休題。年末に宮本輝の「優駿」を読みました。日高の小牧場から誕生した競走馬オラシオンがダービーを勝つという、今で言えばキタサンブラックのようなサクセスストーリーですが、このオラシオン、競走馬の育成を吉永ファーム(モデルは社台ファーム)で行っています。

 この小説は今から30年くらい前で、社台ファームではようやくノーザンテースト産駒(小説中ではセントエストレラ)が走り出したころ。圧倒的な強さを見せるサンデーサイレンス産駒旋風が起きる前です。でも、牧場主の吉永達也(故吉田善哉氏)は、日本の競馬で勝つのではなく常に世界を見て、世界に通用する馬を育てるべし、と檄を飛ばします。それから30年、彼の「目線の高さ」は間違いなく日本の競馬馬のレベルを上げました。

 で、この「目線の高さ」は、陸上・競馬の話だけではなく、ビジネスにも当てはまりますよね。目先のビジネスをゲットすることだけにこだわらず、高い目線で世界を視野に見据える、こうした「目線の高さ」が長い目で見て大きな差を生むと思うのです。ということで、原監督のこれからのチャレンジに期待するとともに、自分も高い目線でチャレンジしなくてはと思いを新たにしたのでした。また、来年も箱根駅伝が楽しみです。

家康にみる抜擢力

12月 11th, 2017 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (家康にみる抜擢力 はコメントを受け付けていません)

普段、あまりテレビをみることはないのですが、こないだブラタモリの彦根の回をたまたま見ていて思うことがありました。

 彦根は交通の要衝、京都、北陸を行き来するには、彦根を経由する、新幹線も彦根を通りますよね。そして、徳川家康は、その要衝に自分の最も頼りとする井伊直政を任じたという。

 もう400年近く前の話だけど、意外といまの経営にも接点があると思いました。会社は小さいうちは創業者・社長がすべて把握することができる、でも、大きくなるとすべて自分が面倒を見ることができない。

 そうした場合どうするか?これが会社が大きくなるか縮小均衡かの分かれ目だと思うのです。家康のように、これだと思う人材を充てる。会社でいえば、連結子会社を作って、これだと思う人材に任せることに近いかもしれないですね。

 で、先日、ある会社の方の話を聞いてなるほどと思いました。その会社では、20代でも子会社の役員、社長に抜擢するという、そして、そこでマネジメントを経験して、苦労することで、一皮も二皮も剥けるという。これは商社も同じカルチャーかもしれないですね。

 さすがに家康は老獪たるがゆえにこれだと思う人材を抜擢しながらも、徳川体制を維持する仕組みを考えました。そこまで老獪さは兼ね備えていませんが、抜擢する仕組み、これは重要だと思います。土佐の山内一豊も同じですよね、いままでは幕末の本ばかり読んでましたが、戦国時代、家康も勉強してみようと思いました、これは来年の抱負です。

社長のように考える課長

12月 6th, 2017 | Posted by admin in 日々の思い - (社長のように考える課長 はコメントを受け付けていません)

 さて、先日、どの本か忘れたのですが、「社長のように考える課長を大事すべし」みたいな話があって、そうだなぁと思いました。で、ある方とこの話をしたときに、いろいろ考えるきっかけになりました。自分の整理も含めてメモです。

 この「社長のように考える課長」というのは簡単なようで難しい。やっぱり、組織が大きくなると「組織の論理」で動きがちになる気がする。たとえば、営業部の論理、開発部の論理みたいな話で、部内の個別最適を優先した結果、全体最適になってない、いわゆる、ゲーム理論でいう囚人のジレンマ的な事象に陥るケースが多い。

 むしろ、営業部の課長がある案件を受注しようとして、営業部には一時的に損する案件だけど、会社全体にとってメリットがあるので、組織の論理をこえてあえて取り組む、これが「社長のように考える課長」だと思う。右に倣えをよしとする日本の多くの企業にとって、この手の意思決定は組織の論理に真っ向から立ち向かうことなので、浮いてしまうケースも多い。最初は元気だけど、縮こまってしまうケースもありますよね。

 と考えると、社長のように考える課長は自然に生まれるのではなくて、組織的に作るべき話ではないかというのが、その方との議論の上の一応の結論です。で、そうした組織を育てるのは、素直であることだと思います。たとえ、組織の論理を越えても、良いことはやる、ダメなことはやらない、思い込みを持たずに素直な心で取り組むべきではないかと。ま、言うのは楽なのですが、行うのは難しいですね。でも、「社長のように考える課長」を特定の会社だけではなくて、もっと増やしたいなあと思いました。

 
  

食事にみる”仕事ができる人”

11月 25th, 2017 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (食事にみる”仕事ができる人” はコメントを受け付けていません)

 先日、ブックオフで日本電産永守さんの本をたまたま見つけて、購入、読んでみました。
どう人を動かすかがテーマで、そのなかで、食事に関するエピソードがあって、なるほど、と思いました。

 衣食住、くうねるあそぶ、いずれも食が入っているように、やっぱり、食は欠かすことはできない、で、その欠かすことができない、”食”だからこそ、その人の性格がでるのかもしれない。そのなかで、取り上げているのは早食い。

 早食いは、新卒の入社試験に書類選考にくわえて、早く食べた候補を採用、そして、20年後たって、その早食い選考が会社を引っ張っているのだという。自分の印象でも、これはわからなくもないです。証券会社でも早食いをしてなんぼみたいなカルチャーがかつてあったように、早食いと仕事の出来・不出来は相関関係があるような気がする。

この相関関係は、おそらく、早食い≒せっかち、だと思う。せっかち、すなわち、ことを急ぐ、よく言えば、スピードを重視する人は概して早食いが多い。で、早食いは健康に良いとはいえないけど、ビジネスにおいてはスピードは大事。何事もはやく決断して、次の決断をする、この間隔、PDCAサイクルといっていいかもしれない、が短い方がたくさんの手を打てると。

 ただ、せっかちの人がよいかというと、必ずしもそうでもない気もする。もちろん、スピードは大事ではあるものの、たとえば、契約の交渉の場合は、事を急いて妥協するよりも、じっくり事を構えた方がよい場合もある。というわけで、大事なのはせっかちなスピードとじっくり事を構える思慮なのかもしれない、が、なかなかそんな人いないですよね。だから、チームが大事だと思うのです。全員が早食いではなく、早食いとじっくりがそれぞれ共存する、これも大事かと思ったのでした。
 

 

チャレンジ&レスポンス

10月 1st, 2017 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (チャレンジ&レスポンス はコメントを受け付けていません)

さて、本日の日経朝刊の1面に東芝解体として、東芝の統治不全の話がありました。そのなかで、登場したのが、「チャレンジ&レスポンス」、もともと、東芝元社長・臨調会長の土光さんが提唱した概念で、「失敗したら社内全体で早期に議論を尽くし、改善にあたる」を意味するも、次第にチャレンジが「過度な目標を強いる」、「業績を取り繕う」にねじ回げれらてしまったと。

 土光さんは自分にとっておこがましいかもしれませんが、理想とする経営者で、彼の書いたもの、伝えたものをこれまでいろいろ読んできました。で、この「チャレンジ&レスポンス」、読書家であった彼がイギリスの歴史家アーノルド・トインビーの著書を読んで発見した経営手法という。(*)

(*)
「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉」(出町 譲・文藝春秋、2011年)p93

 まず、チャレンジとは、社長が事業部長に対して説明を要求すること。それに対して、事業部長はそれに素早く反応する、これがレスポンス。古代ローマでは、管轄する地域が多かったので、ある程度現場に任せながらも、最終的にトップが責任を負う、そんなところから生まれたスタイルと理解しています。

 自分もかつてこの問題に悩んだことがありました。基本、自分はわりと作業が好きなので、人に任せるより自分でやった方がよい場合が結構あり、でも、増えつづける業務にどうするか。やはり、答えはチャレンジ&レスポンスで、基本的には任せる、だけど、責任はとると。

 で、このチャレンジ&レスポンスでしんどいのが任せること。任せたからには、途中で口出しをしないで、アウトプットに対して責任を取らなくてはいけない。そのためには、やっぱり、綿密なコミュニケーションが必要だと思う。

 ひるがえって、東芝の話、おそらく、というか、当たり前なんだろうけど、チャレンジ&レスポンスの必要十分条件であるコミュニケーションが足りていなかったのではないかと。やっぱり、会社も大きくなると、コミュニケーションがなおざりになる、だからこそ、ちゃんとコミュニケーションをしなくてはと思ったのでした。

チームプレーか個人プレーか

9月 3rd, 2017 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (チームプレーか個人プレーか はコメントを受け付けていません)

これが良い悪いという話ではありません。自分は普段あまりテレビを見るタイプではありませんが、久々に9月3日夜のNHKスペシャルを観ました。タイトルは、「デナリ大滑降」、冒険家の佐々木氏がアラスカのマッキンリーあらためデナリを登頂し、そこからスキーで大滑降するというドキュメンタリーです。

 デナリを登頂し、スキーで順調に滑降していたものの、途中でメンバーの一人が雪ではなく氷にスキーを取られて負傷、命に別条はないものの靭帯損傷で、その日は滑降ができなくなり、ベースキャンプに戻り、その日を終えます。この時点でどう次を選択するか、それには正解はないけど、選択が分かれるところだと思いました。一つは、彼は置いて、元に戻って滑降を再開する、もう一つは、メンバーで滑降できなかったので断念する。実際は、前者を選びました、まあ、これはこれでありと思います。

 マイケル・サンデル教授は「ハーバード大学白熱教室」でトロッコ問題として一つの問題を提起しています。それは制御が効かないトロッコが上から滑走してきて、何もしなければ下にいる5名の作業員が死亡、作業員がスイッチを切り替えれば別のルートに代わるものの1名の作業員が死亡、どっちをとるか?トロッコ問題、滑降問題、いずれも解はない話ですが、会社、あるいは、チームのリーダーの場合、滑降問題については、後者な気がしてなりません。

 登山の場合、個人の力が大きいので、個人プレーでよいと思います。会社・チームも個人プレーによるところは、もちろん、ありますが、それ以上に、チームが団結して、一体化することが大事と思います。なので、個人のスキルはそれほど高くないかもしれないけど、団結力で補う、そのためには、チームの成功を考えることが大事なのかなと。ま、いずれにしても、よい考えるきっかけになりました。

 

 

「男はつらいよ」にみるダイバーシティ

7月 20th, 2017 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「男はつらいよ」にみるダイバーシティ はコメントを受け付けていません)

最近、Amazon Prime Videoで「男はつらいよ」シリーズを観てます。最近は、ダウンロードもできるので、飛行機なんかのオフライン移動時間中にも観てます、便利な時代になりましたね。
 「男はつらいよ」シリーズが終了してからはや20年、早いなあ。。たしか、静岡での高校生時代に正月の釣りバカ日誌と男はつらいよの2本立てを観た記憶が甦ってきました。でも、回を重ねるとごとに、寅さんこと渥美清の体調が悪くるなるのが見て取れて寂しくもありました。。
 で、高校生で観た時の「男はつらいよ」と今観た「男はつらいよ」、また違った視点で観ることができました。それはいってみれば組織としての「男はつらいよ」です。いや、別にどの会社って特定しているわけじゃないですが、こんなヒト、会社にいませんか!?
・寅さん:お客さんをその気にさせる話術は天才的、営業のエース。でも、たまにしかオフィス(柴又門前くるまや)に戻らない、で、いつ帰ってくるかもわからないw
・さくら:ひたむきにお兄ちゃんを帰りを待ちながら、お兄ちゃんとリリーのようなマドンナと満男と泉ちゃんつなげようとするキューピット
・博:実直が取り柄。いつも寅さんが心配で、寅さんに会うと知的にアドバイス
・おいちゃん、おばちゃん:寅さんに悪態をつくも、でも、本当は寅さんのことを心配している
・タコ社長:いつも寅さんと喧嘩してるけど、本当は相性は悪くない
・源公:エース営業(寅さん)を兄貴として慕っている
 たぶん、寅さんだけが独演していても「男はつらいよ」は面白くない、むしろ、マドンナ・家族・関係者があってからこそ、さらに寅さんの魅力が引き立っていると思う。
 で、思ったのは企業も同じかもしれないと。金太郎飴みたいにどこを切ってもどの社員も同じマニュアル・規則に基づいて、対応・行動する企業はそれはそれでアリとは思うけど、自分としてはあまり面白くない気もする。むしろ、寅さんがいて、マドンナ、さくらがいて、博がいて、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、源公といった多様な個性をもつ人が共存する、こうした多様性に「男はつらいよ」の面白さを見出しました。
 ダイバーシティ - 国籍、性別など関係なく差別なく採用すべき、最近はこうした風潮ですが、自分が思うにダイバーシティは結果であるべきだと思う。この人と一緒に働きたい、その人の個性を認めて、尊重する。とらやの登場人物からこうしたことを感じました。
 

同じように毎日をやっていく

6月 4th, 2017 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (同じように毎日をやっていく はコメントを受け付けていません)

たしか、去年の3月くらいだったと思います、たまたまテレビで観ていた「人生フルーツ」というドキュメンタリー、とても身に沁みました。

 主人公はつばた夫妻、夫のしゅういちさんは、50年前に日本住宅公団の中心メンバーとして戦後最大の都市計画ともいわれた名古屋「高蔵寺ニュータウン」の基本設計に携わる。彼は画一的な住宅ではなく、緑のあるガーデンキッチンこそ理想の住まいという理念のもと、50年前高蔵寺付近に土地を購入。枯葉をまいて土を耕し続けた畑では、年間を通じて約100種類もの野菜や果実が育っています。

 もう一人の主人公妻の英子さんは、外食はせず、コンビニで買い物はしない主義。畑で収穫した作物を使って、夫のために自慢の手料理を丁寧に作る日々を送る。英子さんは言う、「食は命」と。

 ややネタバレになりますが、このドキュメンタリーの後半で、しゅういちさんがお亡くなりになり、ひとりになった英子さんはその後どうなってしまったんだろう、と心配していました。

 で、英子さんの新刊(といっても去年の11月ですが)「ふたりからひとり ~ときをためる暮らし それから~ 」(つばた 英子 自然食通信社)を読みました。安心しました。とてもよい本でした。

「いままでお父さんのことをずうっとやってきたけど、その本人が、もういないんだから。・・・どうやって生きていけばいいんだろう。とても不安になりましたよ、そのときは。いまはもう、ふっきれた。誰かのために、何かやれることをさがし、ひとのためになることをやる以外、私の生きる道はない。とにかく前向きでやっていかないと、自分はやっていけないって。ジャムや佃煮、いろいろなものをつくって、これからみんなに配ろう。いままででどおり、同じように毎日をやっていくよりしょうがないって。」(p27)

 同じように毎日をやっていく - 先日、フライト中に観て身に沁みた「この世界の片隅に」も同じようなコンセプトだった気がしました。戦時中の広島という非日常な中でも主人公のすずさんが様々な困難にもめげず「同じように毎日をやっていく」、英子さんと同じテーマを感じました。

 たしかに変わることも重要だけど、同じことを毎日やっていく、これは簡単なようで難しい。自分も何か起こっても、心乱れることなく、同じことを毎日やっていく、こうありたいと思いました。