”ふざけんな”と思った時には

9月 20th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (”ふざけんな”と思った時には はコメントを受け付けていません)

Facebookにも投稿したけど、こちらにもシェアです。

D.カーネギーの「人を動かす」には、人を動かすためのエッセンスに限らず、日々の生活で何をどう行動すべきかの指針が満載でとても示唆に富んだ本です。ぜひ、一読をお勧めします。

その中で、なるほど、と思ったのが2つのエピソード。

リンカーンは、南北戦争のころ、ひるむ南軍を袋叩きできるチャンスを逸した将軍の非を詰り、罵倒の手紙を書いたという。でも、その手紙が見つかったのはリンカーンの執務室、つまり、手紙は届いていない。彼は若いころの失敗に懲りて、人を非難することを一切やめたという。

 マーク・トェインはひどい癇癪持ちでちょっと気に入らないことがあると、”おまえ死ね”みたいな相手を罵倒する手紙を書いて、気持ちをスッキリさせたという。でも、その手紙は奥さんが投函せずに保管したため、決して、相手に届いていないという。

 ま、人間誰だって、自分の思い通りにいかないことがあると、”ふざけんな”と思うときはある。でも、それを相手に向かって、ストレートに”ふざけんな”と伝えて、罵倒しても、罵倒される方にしてみたら、良い気分じゃない。むしろ、禍根を残して、罵倒→恨み→復讐、みたいなネガティブスパイラルに陥る可能性もある。明智光秀なんかはその典型的なパターンだよね。そう、だから、”ふざけんな”という思いをストレートに伝えてもロクなことはない。

 で、”ぶざけんな”と思った時は、まず、思いっきり相手を罵倒する手紙・メールを書く、でも、送らない。自分の気持ちはスッキリするし、相手にも迷惑がかからない、これぞ一石二鳥。ちなみに、Gmailの場合は、送信取り消し機能があるので、仮に送ってしまっても、数秒以内なら取り消せます。自分は何度もこれで救われました。

”待ち伏せ”というビジネスモデル

8月 28th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (”待ち伏せ”というビジネスモデル はコメントを受け付けていません)

自分が証券会社にいたころ、なるほど、と思ったことです。

機関投資家のビジネスは言うまでもなく、安い価格で株を買って、高い価格で売って、儲ける。

で、どうやって安い株を見つけるか? 

ある投資家いわく、それは”待ち伏せ”であると。

たとえば、東京証券取引所では3000以上の株式が上場されていて、日々、売買されている。

もちろん、トヨタとかソフトバンクといった東証一部で、時価総額が大きい企業は、一日に何百億円と売買されているので、こういったデカい銘柄でリターンを出すのは難しいという。

むしろ、投資家が注目していない会社を1年くらい前から目をつけておいて、ちょっとずつ買う、そして、何かのタイミングで注目されたときに売る。これが”待ち伏せ”です。

それで、この”待ち伏せ”先方、投資だけではなくて、ビジネスにも当てはまると思う。

ビジネスでも、流行を追うことは有効だけど、やはり、流行にはいろいろな会社がそれに飛びつく、だから、結局のところ、資本力がモノを言う世界で、大企業が優位になってしまう。

でも、モノになるかわからない、誰も注目しない分野を”待ち伏せ”する。そして、いつかその分野が注目されることで、果実を得ると。

ネタを仕込んだからといって、すぐヒットするとは限らない。だからこそ、”待ち伏せ”は有効な手段と思うのです。

新卒から一人前を育てるために必要と思う3つのこと

8月 12th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (新卒から一人前を育てるために必要と思う3つのこと はコメントを受け付けていません)

たまに、人を育てて欲しいみたいなリクエストをいただくことがあります。

ワークショップみたいな形でディスカッションする、あるいは、一緒に営業するみたいなケースもあります。

ま、自分は、「オレが、オレが、オレが」的に自分が豬突猛進するのではなく、「この人とこれをやったら面白いだろうな」的な控えめな発想をするので、たぶん、この手の仕事はあってるのかもしれない。

最近思うこと、当たり前だけど、一人前を育てるのは難しい。どうしたら、新卒を一人前に育てられるのか? ノウハウというわけではありませんが、自分が日々感じていることを整理してみました。

あきらめない

やっぱり、あきらめない。どんな企業でも、新卒に”即戦力”を求めるけど、これはないモノねだりだと思う。たしかに、新卒だけど、十分な経験もしていて、どんな場所にいっても、一人でできる人は少なからずいる。(ちなみに、自分の経験からすると、こういう人は大学でフィルターするよりも、中高でフィルターしたほうが発見確率が高い気がする。たとえば、開成・麻布みたいな名門中高出身者は、大学はどこであれ、このイケてる確率は高い。おそらく、単なる英語や数学のテクニックを学ぶのではなくて、自分自身で考え方を学ぶみたいなことが徹底されているので、社会に出たときも即戦力に近い状態になるんだろうなあと、ケンブリッジもそんなかんじでした)。

で、そういう人は自分でビジネスやったり、就職偏差値の高いところに行っているケースがほとんど。だから、最初から、この新人できそう、という期待値を上げない方が良いと思う。

で、基本は”使えない”のだけど、でも、使えないからクビ、ではなくて、あきらないことが大事だと思う。あきらめたらそこで終わり。

いろいろやらせてみる

競馬の話で恐縮ですが、競馬には未勝利戦というのがあります。だいたい競走馬は2歳でデビューして、一度でも勝てば(1着入線)次のステージに進むことができる。ただ、1着になるのは、楽ではない。ポテンシャルの高い競走馬(この例でいえば、新卒でなんでもできる君)は、あっさり勝って、春のクラシック路線(皐月賞、桜花賞、ダービー、オークス)に行けるけど、ほとんどは勝てなくて苦労する。でも、タイムリミットがあり3歳の9月までに1勝もできないと、出場できるレースがない(=引退か、地方競馬転籍)。だから、オーナー、調教師、騎手は3歳未勝利馬に対して、距離を変えてみたり、調教を変えてみたり、いろいろ試してみる。

企業の場合は、このタイムリミットはないけど、いろいろやらせてみるのは重要だと思う。たとえば、しゃべるのが苦手だからといってエンジニアとして入っても、誠実な人柄から営業に向いていたり、この仕事しかないと決めるのは早いと思うので、いろいろやってみるのがよいと思う。 

きっちり原因を究明する

何をやるかについて、考えることはとても大事だけど、一度、決めたら、あれこれ口を出さない。自分が、おおらかな環境で育ってきたこともあり、箸の上げ下げまで指導されるのが苦手というのもあるけど、やっぱり、やることなすこと逐一ダメ出しされていては、結局、委縮してしまって何もできない。

むしろ、重要なのは、何が上手くいって、何が上手くいかなかったかをきちっと原因の究明をすること。

その中に本人の誤りがあれば、糺すべきだし、失注とかビジネスに影響を及ぼす場合は、監督者・上司が責任をとるべきだと思う。

旧日本海軍元帥山本五十六は、人を動かすコツについて、『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』と指摘しましたが、人を育てるのも、まさにこれなんだなあと思うのでした。

センスを磨くには?

7月 14th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (センスを磨くには? はコメントを受け付けていません)

今日、ブラジルワールドカップの決勝が終わった。

現地開催のブラジルが優勝、という元々の下馬評のなか、ブラジルはドイツに惨敗。

ブラジルを破って勢いにのったドイツがそのままの勢いでアルゼンチンを破った、といったところだろう。

そんな中で、思ったのは、”センス”。

センスは、日常よく使う言葉で、”あの人は数学のセンスがある”あるいは、”あの人のファッションセンスは素晴らしい”

など、など、その人の持っている能力の高さを褒める、あるいは、

”彼は、経営のセンスがない”

などと、否定にも使われる言葉。

そして、この”センス”に共通しているのは、どちらかといえば、学習して身に付くというよりも、先天的・生まれつき、のようなものだと思う。

この”センス”とワールドカップ、それを結びつけるのは、ドイツが優勝してからのアクション。

ワールドカップでドイツが優勝したとき、2つのアクションが考えられる。

まず、一つは、”ま、ドイツが優勝したけど、ウチは関係ない”と突き放すタイプ。

もうひとつは、”ドイツが優勝したので、人々のドイツに対する関心が高まっている、だから、ウチの商品のうちドイツ製品をワールドカップ優勝セールとして売ろう”というタイプ。

実際に、今日のダイレクトメールでも、いくつかの店舗では、”ドイツ優勝セール”というメールが届いたので、後者のような考え方をする人は少なからず存在する。

で、”センス”があるのは、前者か? 後者か?

これは言うまでもなく、後者の方がセンスがあるだろう。もちろん、ドイツ優勝セールだからといって、本場ドイツならいざ知らず、日本では売上が倍になることはないだろう。

でも、人々の関心はドイツにあると、嗅ぎつけ、そのニーズにあった製品・サービスなどを提供する、これができる会社とできない会社ではやはり差が出る。

というのは、やはり、ビジネスでは、お客さんがあって初めて成り立つ、だからこそ、刻一刻と変化するお客さんのニーズを嗅ぎつけ、提供する、これは言うまでもなく重要。そして、こうやってお客さんのニーズを嗅ぎつけ、提供できる人は、”ビジネスのセンスがある”と言えるかもしれない。

という意味で、この”ビジネスのセンス”は、先天的・生まれつきではないと思う。

むしろ、”センス”(検知する)の文字通り、自分の環境で起こっていることを、検知(センス)して、その環境に対応したモノを提供する、これをできる人が”センスがある”人なんだと思う。

で、タイトルに戻って、センスを磨くにはどうするか?

結局のところ、検知する力を上げるということだと思う。

ワールドカップでドイツが優勝したように、世の中では、毎日毎日いろいろなことが起きている。

そして、いろいろなことから”検知”して、自分が提供できるモノに結びつける、この繰り返しによってセンスが磨かれるのだと思う。

という意味で、自分の知っている会社で、毎日、社員に日々の出来事と自社のサービスを結びつける作文を課している会社がある。

なんで、そんなことやるのか?と疑問に思ったけど、これは”センスを磨く”有効なトレーニングだと思う。

というわけで、毎日起こっていることを検知して、自分の提供できるモノに結びつける、これがセンスを磨く方法だと思うのです。

アジャイルな組織

7月 1st, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (アジャイルな組織 はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。

自分はあまり外食するタイプではないけど、たまに外食にいくといつも新しい発見があります。この発見も、先日、某チェーン店にいったときのこと。

景気も良くなっていることもあって、どこのチェーン店も人手が足りない。それはそれとして仕方ないものの、どう対応するか、店長によって2つのパターンがあると思う。

まず、一つのパターンが、“店長ずら”をしている店長。決められた店長業務以外は、すべて、スタッフ、あるいは、バイトに任せて、それ以外のことはしないタイプ。オペレーションを遂行する上で、所定の人数がそろっているという仮定では、この“店長ずら”は成立する。でも、昨今の人材不足ぶりからすれば、所定の人数が足りない場合が多い。したがって、テーブルに前の客が残した皿等が散らかっていて片付けられていない、注文したものが待てど暮らせど来ない、ということがしばしば発生する。

もう一つのパターンが、店長が、プレイングマネージャーのように、バイトのカバーに入ること。たとえば、店長が焼き鳥を焼くのが職務ながらも、バイトが忙しかったら、注文を取る、できたものを配膳する、など、店長が一番汗をかくタイプ。

自分の理想のタイプは、やはり、後者。先日、上梓させていただきました恐竜本のテーマは、アジャイル。数人の小さなチームでも、ある時はプログラマー、あるときは、デザイナーと一人何役をこなすことで、はやいスピードでリリースまでこぎつける方式。

で、このアジャイルでの難しい点は、複数の役回りをテキパキできる人が少ないこと。こうした人材はすぐ育つものではない。だからこそ、手塩をかけて、様々な部署で経験をさせなければいけないのだと思う。

やっぱり、景気が良い時はどこも儲かっていると思うけど、一旦、景気が悪くなると、やはり、残る企業は店長を含めたトップが汗をかけるタイプなんだと思うのです。

良いめんどくさいと悪いめんどくさい

6月 18th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (良いめんどくさいと悪いめんどくさい はコメントを受け付けていません)

最近おもうこと。

自分はかなりのめんどくさがり屋だけど、このめんどくさいには良い面と悪い面があると思う。

良い面は、めんどくさい、をバネに仕組みを作ること。

たしか、その昔、ドラゴン桜という漫画で、めんどくさいから工夫するみたいな話があって、なるほどなあと思いました。

そして、会社の場合でも、めんどくさいことがいっぱいある。

たとえば、経営管理の場合、会社がどんな状態にあるのか把握しなくてはいけないため、決算資料、営業実績、取締役会資料などなどたくさんの資料を作らないといけない。

正直、こういうのをつくるのは、めんどくさい。だから、どうやって省力化して、何もしなくても、アウトプットができるようにするか考えて工夫する。

たとえば、いままで、自分が工夫したのは、Excelのマクロを作って決算資料から取締役会資料に変換する、会計ソフトの機能を使って予実管理をする、などなど。

この場合は、”めんどくさい”が、発明の母とでも言うべきか、いろいろと工夫をして、効率が上がるきっかけになると思う。という意味で、これは”良いめんどくさい”だと思う。

一方で、思うのは、”悪いめんどくさい”もあること。

極端かもしれないけど、引きこもりは、悪いめんどくさい、だと思う。

めんどくさいから、外にでたくない、めんどくさいから仕事したくない、めんどくさいから人に会いたくない、と。

自分もめんどくさがり屋なので、こういう引きこもり衝動に駆られることがよくある。

でも、これは良くないと思う。外に出て、仕事をして、人に会うからこそ、価値は生まれる、と思う。

こう考えると、悪いめんどくさいは、そこで思考停止してしまうことだと思う。めんどくさい、だからやらないと。

外に出たくなかったら、内でもできるし、仕事をしたくなかったら、不動産・株式投資みたいな投資を生業にすれば、24時間仕事をしなくても生きてはいけるし、人に会いたくなければ、会わなくても済む方法を考える。

と考えると、大事なのは、止まってはいけないこと、やはり、工夫をして走り続ける、ずっと走るのは大変だけど、走るからこそ新しい発見があるのかもしれない、と思うのでした。

予定調和を壊す

6月 1st, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (予定調和を壊す はコメントを受け付けていません)

先日、飲み会の席でなるほどなあ、と思ったこと。

以前、たしか、秋元康氏が”一番よくないのは予定調和、それを壊すのが自分の役目”というようなことを指摘していて、その時は、正直あまりピンとこなかった。

で、その飲み会で、こういうことだったのか、と腑に落ちた。

話によると、現在のF1レースは、かつての、セナ・プロストがいた時代にくらべて”予定調和”らしい。

技術が発達して、ドライバーがいくら頑張っても、技術にアドバンテージがあるチームが勝つ。すなわち、”予定調和”であると。

だから、彼曰く、”最近のF1はつまらない”と。

たしかに、スポーツの世界では、予定調和はつまらない。

たとえば、相撲では、横綱は自身のプライドにかけて負けることが許されない。でも、ときには、予定調和を乱して、平幕の力士が横綱をうっちゃり、金星を挙げることもある。

あるいは、競馬では、先週のオークスでは、ハープスターが確実に勝つといわれながらも、あまり注目されていなかったヌーヴォレコルトが優勝したのは、”予定調和”を壊す良い例だと思う。

そして、思ったのは、この予定調和は企業の組織にも当てはまるかもしれない。

大企業もしくは官庁の場合、最近は少なくなったけど、学歴とか成績順で出世コースを決めるケースがある。

そして、その出世コースのなかで、よほどの失敗をしないかぎり、”予定調和”的にそのポストに辿り着ける。

もともと、旧海軍・陸軍士官学校では、卒業時の成績で出世コースが決まっていたこともあり、その風習が残っているのかもしれない。

ただし、この”予定調和”のよくないところは、やっぱり、組織が硬直してしまうこと。相撲の例であれば、予定調和であれば、平幕力士は永遠に横綱に勝てない。

だからこそ、予定調和を壊すこと、これは組織を活性化する上でとても重要だし、その予定調和を壊すことが経営者のリーダーシップとも言えるかもしれない。組織が上手く動かないと思ったら、予定調和を壊す、これが組織を活性化する一つの取り組みですね。

偏差値教育からアインシュタインは生まれない?

5月 2nd, 2014 | Posted by admin in フォン・ノイマンに学ぶ | 長橋のつぶやき - (偏差値教育からアインシュタインは生まれない? はコメントを受け付けていません)

このところ読んだ2冊の本から、いろいろと学ぶことがありました。

ひとつは、カレン・フェラン著「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 」、これは、コンサルが会社に入って業績を上げるところが、会社をぐじゃくじゃにしてしまうという話。

もう一つは、大前研一「稼ぐ力」、会社が”突然死”する時代に、どうキャリア形成し、個人の能力を高めるかというテーマ。単に教育にだけではなく、政治・経済・技術まで幅広くカバーしており、さすがな一冊。

前者でとても印象的だったのが、第6章「人材開発プログラム」には絶対参加するな。これは、コンサルが人材開発プログラムを作成し、社員を業績に応じてA,B,Cとランク付けする、これは問題であり、こう指摘する。

社員が将来的にどの程度の能力を発揮するかは未知数なのに、どうやって社員を最初から固定的なランクに分類できるというのだろうか。(p207)

将来の未知数が化けたもっとも良い例が、アイン・シュタイン。彼は20世紀を代表する人物に選ばれながらも、父親からできそこない扱いされ、チューリッヒ工科大学の入試におち、家庭教師もクビになり、散々な人生だったものの、友人の口利きでベルンの特許庁の職員になり、そこでも昇進できず、1905年暇を持て余して書いた論文が「特殊相対性理論」、「光量子仮説」、「ブラウン運動」、「質量とエネルギーの等価性」の4本。これが、一般相対性理論につながった。

これと共通する話が、後者の「この国をダメにした「偏差値」を廃止せよ」の議論。彼は、偏差値をこう指摘する。

日本で導入された偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるためのもの、つまり「あなたの能力は全体からみるとこの程度なんですよ」という指標なのである。そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者達(1950年以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の”限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概をもたなくなってしまったのではないか、か考えざるを得ないのである。
本田技研工業を創業した本田宗一郎さんは、従業員わずか25人の小さな町工場のときに「世界のホンダを目指す」と朝礼でリンゴ箱の上から演説していたという。(p198)

偏差値も前者でいうところも”ランク”と同じだと思う。そして、いったん、ランク付けした瞬間に、「身のほど」をわきまえてしまう。そして、身のほどをわきまえてしまったら、それ以上の気概をもたなくなってしまう。

難しいのは、誰でもアインシュタインになれるわけではないこと。以前、紹介したフォン・ノイマンにしても、何もないところから天才は生まれない、やはり、生まれつきのものもあるだろうし、育った環境(ファン・ノイマンは規則が複雑なラテン語を完璧にマスターしたという)もあるだろう。だから、偏差値教育をやめたところで、次のアイン・シュタインは生まれるとは限らない。

でも、重要なのは、アンビション・気概をもつこと。志を持たないとなにも生まれない。だから、志を育てることが重要だと思う。

後者では、その解決案として、こう指摘している。

とにかく、日本人がかつての蛮勇、アンビション、気概を取り戻して日本が再び元気になるためには、今すぐ偏差値教育をやめるべきだ。そして、北欧のような21世紀型の教育に移行すべきである。先生は「ティーチャー」(教師)ではなく、「ファシリテーター」(能力を引き出す伴走者)「メンター」(助言者)として、集団教育ではなく個人教育的な能力を増やす。(p201)

かつて幕末の吉田松陰は、松下村塾の塾長で”教師”とされているけど、実は”教師”というよりは、孟子を教えに則った”志”を植えつける「ファシリテーター」、「メンター」的な要素が強かったんだろうと自分では思っています。そして、自分も一人でもそうした”志”を育てることができればと、この2冊から思ったのでした。

ベトナムベンチャー企業訪問記4 Peacesoft

1月 16th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ベトナムベンチャー企業訪問記4 Peacesoft はコメントを受け付けていません)

Peacesoftは、2001年、Nguyen Hoa Binh CEOが学生のときに立ち上げたクロスボーダーのEコマースを手掛ける企業です。同社の主要ビジネスは、1.ペイメントインフラ、2.国内Eコマース、および、3.クロスボーダーEコマースの3部門。

1.ペイメントインフラについては、オンラインペイメントシステムであるnganluong(https://www.nganluong.vn)を独自で開発、銀行などにライセンスしており、ベトナムでナンバーワンのオンラインペイメントプラットフォームとなっています。ペイメントインフラにくわえて、オンライン広告のAdnet(http://www.adnet.vn) の運営、シッピングシステムの開発とITに特化したECのインフラを提供しています。

2.国内Eコマースについては、上記のプラットフォームの国内展開にくわえて、最近、注力しているのが、モバイルペイメント・POS、同社では、SquareのようなモバイルPOS端末の国内展開を実施しています。とくに、ベトナムでは近年クレジットカードが普及しつつあり、“部下がクレジットカードをもっていてびっくりした”(日系企業の日本人の方のコメント)という指摘もあり、クレジットカード利用が高まっています。

くわえて、日本のように宅急便が“確実”に配達してくれるわけではなく、ECの普及率も低い(Binh CEOによればベトナム小売のなかにECが占める割合は0.5%)ため、モバイルペイメントの需要が高まっており、そのソリューションとして提供しています。

3.クロスボーダーECについては、最もわかりやすいのが、ebay.vnの運営。ebay.vnで商品を購入すると、Peacesoftが代理でebayにて購入し、それを購入者に届けるという仕組みです。そして、このドロップシッピングの仕組みを拡張し、ebay, TaoBao(中国最大のECモール)、ヤフー、楽天などから商品を仕入れ、それをASEAN諸国(現状の構想では、ベトナム、フィリピン、インドネシア、マレーシア)へ展開を計画しています。

 同社には、ベトナムのVCであるIDGグループ、ならびに、ソフトバンク(アジア統括)が出資。ベトナム国内におけるペイメントインフラの実績、ならびに、ECというぶれない軸がPeacesoftの企業価値と個人的に感じました。

Nguyen Hoa Binh CEO

司馬遼太郎にみる理想の文体

1月 5th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (司馬遼太郎にみる理想の文体 はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。

小中高の義務教育の間は、読み・書きの基本を学ぶものとして、”国語”を習う。

これはこれで日本人に必須の科目であり、日本人である以上避けては通ることはできない。

いままで、自分もいろいろ文章を書いてきたけど、自分が文章を書く上で、参考になったのは、”国語”ではない。もちろん、その基礎は国語にあるので、国語は否定しません。

で、いつもモノを書くうえで、気にとめているのは、”冷静と情熱”。

自分はアナリストを経験していることもあるので、第3者目線で、冷静に起きていることを分析するのがクセになっている。でも、読む側としては、冷静すぎると、あまりにも”評論家”っぽすぎてつまらない。だから、パッションすなわち“情熱”も必要。

ただ、情熱だけで書くと、もう暴走状態で世の中の客観的なモノをまったく見据えず、自分の”情熱”だけでモノを語ってしまう、これはこれでフェアではないと思う。

さて、本題。自分が文章を書く上で一番の手本、マックス・ウェーバー的にいえば、”エートス”となっているのが、司馬遼太郎だ。

いわずもがな、名作「竜馬がゆく」をはじめとして、戦国、幕末を中心とした歴史小説、あるいは、「街道をゆく」、「この国のかたち」といったエッセイでも知られた作家です。

一言でいえば、彼の文体は、歴史家としての”冷静”な視点を保ちながらも、坂本竜馬、高杉晋作、吉田松陰といった人物に惚れる”情熱”が見事に凝縮されていると思う。たとえば、名作「世に棲む日々」の一節

松陰の幸運は、藩政の沈滞期に成人したのではなく、それが上昇しつつある時期-政治に活気と可能性がみちあふれた時代に成人したことであろう。松陰というこの若者は、終生、惨憺たる苦難にあいながらつねにあかるく楽天的で、その死にいたるまで絶望ということを知らなかった。ふしぎな性格というべきである。
「世に棲む日々」(1)p38

そう、自分のなかでの理想の文体とは、冷静と情熱、です。冷静だけだとつまらないし、情熱だけだと我を忘れてします、その間を司馬遼太郎の文体のように上手く行き来したいと思うのでした。ちなみに、自分の文章に、「」もしくは””が多いのは、彼の影響に他なりません。