Jリーグの経営学:「Jリーグ再建計画」を読む

7月 19th, 2014 | Posted by admin in Jリーグの経営学 | 経営 | 長橋のつぶやき - (Jリーグの経営学:「Jリーグ再建計画」を読む はコメントを受け付けていません)

Jリーグの経営学

このブログでは、「Jリーグの経営学」というカテゴリで、経営の視点からJリーグの抱える問題、その取り組みについて、不定期に取り上げています。

過去のエントリは、Jリーグの経営学 2015年からのJリーグはどうなる?横浜マリノスにみるJリーグの経営学あたりです。そうした問題意識のなかで、「Jリーグ再建計画」を読みました。Jリーグの現状、これからの取り組み、についてきちんと触れており、良い本だと思います。

Jリーグを取り巻く環境

やはり、誰もが共通認識として挙げるのは、現状のJリーグを取り巻く環境は厳しいこと。

Jリーグの収入構造は、1.Jリーグ事務局と2.各J1クラブに分けることができる。Jリーグ事務局での売上は、放映権料と協賛金である。Jリーグ事務局の全収入約120億円のうち、100億円近くをこの2つが占める構造だ。(p14)

という収益構造のなかで、1994年のJリーグバブルでは66回(全264試合)をピークとして現在は7回(全306試合)、しかも、民放はなく、NHKだけ。J1,J2全試合をカバーしているスカパー!のJリーグビジネスも赤字といわれており、放映権料は現在の50億円を維持することすら危ぶまれている状況。

協賛金についても同様で、博報堂が企業向けに広告枠を販売するものの、広告枠が完売することなく、毎年12枠のうち、4~5枠売れ残るという。もちろん、それは、博報堂の持ち出しになると指摘する(p19)。

いってみれば、現状のJリーグは、1.有力選手はヨーロッパにいってしまいJリーグを観なくなった → 2.人々のJリーグへの興味が薄れてきているので、広告主はあえてJリーグに協賛金を払わない、テレビ局もJリーグを放送しても視聴率が取れるとは限らない → 3.Jリーグ事務局、クラブの収益が減少する、というネガティブスパイラルに陥っている。

自分が知っている会社でも、こういうネガティブスパイラルに陥ると結構厳しい。そして、何もしないと、どんどんネガティブスパイラルが加速し、会社であれば事業清算、倒産、売却なんてことがよくある。

Jリーグの次の一手

では、どうやってこのネガティブスパイラルから脱するか?

企業にとって、キャッシュ(お金)がないと生きていけないように、Jリーグも同様。そして、現状のリーグ方式(1リーグ制)のまま行けば、2014年からJリーグ本体に最大13億円の減収予測となるという。そこで、導入したのが、ポストシーズン制の導入。

ポストシーズン制は、簡単にいえば、1年を2シーズンに分けて、それぞれのチャンピオンがポストシーズンに優勝争いをする制度、詳細はこちら

2015年、この制度の導入で10億円程度の増収を確保できるという。

このポストシーズン制でJリーグが復活できるか、といえば、結局のところ、試合数を増やして、増収を作っているので、本質的な解決策ではないと思う。むしろ、願い目で見て、どうJリーグを活性化する戦略をつくるか?

その一つが、やはり、アジア戦略。

たとえば、イギリスのプレミアリーグの場合、イギリス国内での放送権契約は2013-2014シーズンで30億1800万ポンド(1200億円)、国外では別の契約となるも、その全体の6割を占めるのはアジアからの売上。他の欧州リーグとの契約を加えると、アジアがヨーロッパサッカーに支払う放映権料は総額で600億円といわれる。(p86) プレミアリーグもアジアマネーを狙っていて、マレーシアやタイのゴールデンタイムに合わせてプレミアリーグのキックオフをしていると。

香川のように日本からプレミアリーグにいくと、プレミアリーグを観る日本人が増えるように、アジアからJリーグに選手を誘致すればその国でJリーグを観る人が増える。ただし、難しいのは、サッカーはチームプレーなので、ビジネスだけで考えてアジア選手を獲得しても、起用するかどうかは監督次第。無理にアジア選手を獲得しても、”ビジネス先行”になってしまう可能性も否定できないと(p96)

Jリーグ時代の運営もさることながら、今後厳しさを増すのはクラブライセンス制度。クラブライセンス制度については、こちらの通り。

で、どうするか?

自分も結構いろいろな会社の経営に携わったけど、結論から言うと、Jリーグ全体あるいは各クラブ、をきちんと利益がだせる成長路線に持って行くのはかなり難易度が高いと思う。たとえば、企業の場合は、売上が落ちる局面では、固定費(売上とは関係なく発生するコスト、オフィス、人件費、減価償却費など)を削減するのがセオリーだけど、Jリーグの場合、選手の報酬を大幅カットすると、チームとして成り立たないと思う。

となると、やっぱり、ファンを一人でも多く増やさないといけない。それはアジアもそうだし、日本も同様。ネットビジネスでいうところのユーザを増やすことと同じだと思う。そして、ネットビジネスにおいて、ユーザを増やす方法は、親、家族、親せきなど身近なところから使ってもらって、それを友達、友達の友達、友達の友達の友達と、そのサークルを増やすこと。Jリーグもやっぱりこうやってファンを徐々に増やすしかないのかもしれない。

今から20年ほど前のJリーグ開幕当時、自分は静岡市の中学に通っていて、いたるところに地元チーム清水エスパルスの匂いがした。GKの子供がとなりの小学校にひっこしてきたり、キャプテンが蕎麦屋で蕎麦をすすっていたり。今でいう、”誰でも会えるサッカー選手”といったところか。

いまは苦しいかもしれないけど、Jリーグの次の飛躍にむけてこれからも応援していこうと思いました。

アジャイルな組織

7月 1st, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (アジャイルな組織 はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。

自分はあまり外食するタイプではないけど、たまに外食にいくといつも新しい発見があります。この発見も、先日、某チェーン店にいったときのこと。

景気も良くなっていることもあって、どこのチェーン店も人手が足りない。それはそれとして仕方ないものの、どう対応するか、店長によって2つのパターンがあると思う。

まず、一つのパターンが、“店長ずら”をしている店長。決められた店長業務以外は、すべて、スタッフ、あるいは、バイトに任せて、それ以外のことはしないタイプ。オペレーションを遂行する上で、所定の人数がそろっているという仮定では、この“店長ずら”は成立する。でも、昨今の人材不足ぶりからすれば、所定の人数が足りない場合が多い。したがって、テーブルに前の客が残した皿等が散らかっていて片付けられていない、注文したものが待てど暮らせど来ない、ということがしばしば発生する。

もう一つのパターンが、店長が、プレイングマネージャーのように、バイトのカバーに入ること。たとえば、店長が焼き鳥を焼くのが職務ながらも、バイトが忙しかったら、注文を取る、できたものを配膳する、など、店長が一番汗をかくタイプ。

自分の理想のタイプは、やはり、後者。先日、上梓させていただきました恐竜本のテーマは、アジャイル。数人の小さなチームでも、ある時はプログラマー、あるときは、デザイナーと一人何役をこなすことで、はやいスピードでリリースまでこぎつける方式。

で、このアジャイルでの難しい点は、複数の役回りをテキパキできる人が少ないこと。こうした人材はすぐ育つものではない。だからこそ、手塩をかけて、様々な部署で経験をさせなければいけないのだと思う。

やっぱり、景気が良い時はどこも儲かっていると思うけど、一旦、景気が悪くなると、やはり、残る企業は店長を含めたトップが汗をかけるタイプなんだと思うのです。

良いめんどくさいと悪いめんどくさい

6月 18th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (良いめんどくさいと悪いめんどくさい はコメントを受け付けていません)

最近おもうこと。

自分はかなりのめんどくさがり屋だけど、このめんどくさいには良い面と悪い面があると思う。

良い面は、めんどくさい、をバネに仕組みを作ること。

たしか、その昔、ドラゴン桜という漫画で、めんどくさいから工夫するみたいな話があって、なるほどなあと思いました。

そして、会社の場合でも、めんどくさいことがいっぱいある。

たとえば、経営管理の場合、会社がどんな状態にあるのか把握しなくてはいけないため、決算資料、営業実績、取締役会資料などなどたくさんの資料を作らないといけない。

正直、こういうのをつくるのは、めんどくさい。だから、どうやって省力化して、何もしなくても、アウトプットができるようにするか考えて工夫する。

たとえば、いままで、自分が工夫したのは、Excelのマクロを作って決算資料から取締役会資料に変換する、会計ソフトの機能を使って予実管理をする、などなど。

この場合は、”めんどくさい”が、発明の母とでも言うべきか、いろいろと工夫をして、効率が上がるきっかけになると思う。という意味で、これは”良いめんどくさい”だと思う。

一方で、思うのは、”悪いめんどくさい”もあること。

極端かもしれないけど、引きこもりは、悪いめんどくさい、だと思う。

めんどくさいから、外にでたくない、めんどくさいから仕事したくない、めんどくさいから人に会いたくない、と。

自分もめんどくさがり屋なので、こういう引きこもり衝動に駆られることがよくある。

でも、これは良くないと思う。外に出て、仕事をして、人に会うからこそ、価値は生まれる、と思う。

こう考えると、悪いめんどくさいは、そこで思考停止してしまうことだと思う。めんどくさい、だからやらないと。

外に出たくなかったら、内でもできるし、仕事をしたくなかったら、不動産・株式投資みたいな投資を生業にすれば、24時間仕事をしなくても生きてはいけるし、人に会いたくなければ、会わなくても済む方法を考える。

と考えると、大事なのは、止まってはいけないこと、やはり、工夫をして走り続ける、ずっと走るのは大変だけど、走るからこそ新しい発見があるのかもしれない、と思うのでした。

林原家 同族経営への警鐘

6月 13th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (林原家 同族経営への警鐘 はコメントを受け付けていません)

先週、読んだ本で、印象に残りました。

先日、倒産のことを勉強する機会があり、事業再生ADRと会社更生法は違うという話があって、いまいち、整理できなかったけど、これを読んで、その違いをとてもクリアに理解できました。
かい
林原という大企業がなぜ会社更生法を適用するに至ったのか、当事者の視点で事細かに語られています。

そして、自分の理解では、同族経営への警鐘という点では、やっぱり、ガバナンスだと思う

自分の会社を財布と思って、いくらでも、お金を引き出せると錯覚してしまう、その感覚が破たんにつながった。たぶん、家事ので溶かした大王製紙の元会長と話は似ていると思う。

で、どうやって、ガバナンスを確保するか。やっぱり、現状をきちんと理解することがまず必要だと思う、彼は1日3時間しか会社に出社せず、経理などはすべて弟に任せ、カネが欲しいときだけ、弟に要求したという、これは健全ではないよね。

で、彼は、会計監査人を置いていれば、こんなことにならなかったのにと語っているけど、例の上場している大王製紙でもこんな事態があったので、万能ではない気もする。むしろ、私利私欲を捨てる、ということかなあと。やっぱり、私利私欲がなければ、会社から個人的にカネを借りることはしない。むしろ、会社にとって何をすべきかを考える。これは難しいけど、この難しいことを普通にやる人がやはり偉大なんだなあと思いました。

成長することはよいこと?

6月 9th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 - (成長することはよいこと? はコメントを受け付けていません)

最近思うこと。

世の中には、たくさんの”成長”がある。

子供がすくすくと育つのも”成長”だし、企業の場合では、ビジネスを大きくするための”成長戦略”のプランを自分も書いていたりする。

で、成長することはよいことか?

もちちろん、子供の場合は、育ってもらわないと困るので、成長しないといけないし、企業の場合でも、ビジネスが大きくならないと、食べていけない。

というわけで、成長することは良いことだ。成長なくして、何も生み出さない。

ただ、思うに、”どうやって”成長させるかが重要だと思う。

というのは、子供であれば、ひたすらお稽古をさせて、勉強をさせて、子供の成長にとって良かれと思っても、それが裏目に出る場合もある。

企業も同じで、成長を追求するあまり、営業にきついノルマ、あるいは、現場の店員に長時間労働を強いる、ことで、”成長”するケースもある。

自分は人の親になったことがないのでわからないけど、企業の場合は、バランスが難しい。

というのは、”みんな自分の好きなことやっていいし、好きな時間働いていいいよ”と自由放任にする会社は基本的にうまくいかない、やはり、社員がルーズになってしまい、会社に規律がなくなり、別に、成長しなくてはいいやというモードになってしまう。

逆に、きついノルマを課しすぎると、”ブラック企業”的な、ライフワークバランスもない、自分を捨てて、会社のために身を尽くすモデルになってしまう、

と考えると、成長は重要だけど、もっと重要なのは、成長速度だと思う。

車はエンジンをかけて思いっきりアクセルを踏むとエンストしてしまう。

マラソンでも、最初から全力ダッシュでは絶対にフルマラソンは走れない、かといって、最初から歩いていてはよほどのことがない限り時間制限に引っかかってしまう。

だからこそ、長く続けることができる”速度”を決める、これが重要なんだなあと思いました。

脳に汗をかくこと

5月 23rd, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (脳に汗をかくこと はコメントを受け付けていません)

最近、新規ビジネスプランを書いたりして思うこと。

こうやったら新規ビジネスは上手くいくというノウハウ本はあるけど、この通りにやっても上手くいかないと思う。

なぜか?

やっぱり、新規ビジネスは考えて、考えて、考えて、考え尽くしたところに、新しいビジネスがあって、”こうすれば上手くいく”というノウハウだけでは、やっぱり、考えが浅くなる。

結局のところ、”これはうまくいきそうだ”と思いつくことはある。これはこれで重要だけど、そういう思いつきはもうすでに大半の人がやっている。だから、新しいことをやるには、その”思いつき”を様々な角度から検討し、本当に上手くいくかを考え、上手くいかない場合はどういうケースかを考え、”これだったら絶対いける”というレベルまで昇華させる、やっぱり、その段階でようやく腑に落ちる。

とくにベンチャー企業の場合、基本は資本力では大企業に勝てない、だからこそ、考えて、知恵を絞って、ひたすら考えて、”これなら間違いない”というレベルまで考える。孫さんは、これを「脳に汗をかくくらい考えるべし」と指摘していて、まさに、その通りだと思う。

と考えると、やっぱり、幼いころから「脳に汗をかく」習慣をつけるというのはとても重要だと思う。それは、ちょっと考えたところで「これでいいや」というのではなく、あらゆる角度から考えて、考えて、考える、こういう習慣ができれば、新規ビジネスに限らず、どんなところにいっても確実に生きる。自分もできているとは思わないけど、やはり、これが必要なんだなと思いました。

偏差値教育からアインシュタインは生まれない?

5月 2nd, 2014 | Posted by admin in フォン・ノイマンに学ぶ | 長橋のつぶやき - (偏差値教育からアインシュタインは生まれない? はコメントを受け付けていません)

このところ読んだ2冊の本から、いろいろと学ぶことがありました。

ひとつは、カレン・フェラン著「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 」、これは、コンサルが会社に入って業績を上げるところが、会社をぐじゃくじゃにしてしまうという話。

もう一つは、大前研一「稼ぐ力」、会社が”突然死”する時代に、どうキャリア形成し、個人の能力を高めるかというテーマ。単に教育にだけではなく、政治・経済・技術まで幅広くカバーしており、さすがな一冊。

前者でとても印象的だったのが、第6章「人材開発プログラム」には絶対参加するな。これは、コンサルが人材開発プログラムを作成し、社員を業績に応じてA,B,Cとランク付けする、これは問題であり、こう指摘する。

社員が将来的にどの程度の能力を発揮するかは未知数なのに、どうやって社員を最初から固定的なランクに分類できるというのだろうか。(p207)

将来の未知数が化けたもっとも良い例が、アイン・シュタイン。彼は20世紀を代表する人物に選ばれながらも、父親からできそこない扱いされ、チューリッヒ工科大学の入試におち、家庭教師もクビになり、散々な人生だったものの、友人の口利きでベルンの特許庁の職員になり、そこでも昇進できず、1905年暇を持て余して書いた論文が「特殊相対性理論」、「光量子仮説」、「ブラウン運動」、「質量とエネルギーの等価性」の4本。これが、一般相対性理論につながった。

これと共通する話が、後者の「この国をダメにした「偏差値」を廃止せよ」の議論。彼は、偏差値をこう指摘する。

日本で導入された偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるためのもの、つまり「あなたの能力は全体からみるとこの程度なんですよ」という指標なのである。そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者達(1950年以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の”限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概をもたなくなってしまったのではないか、か考えざるを得ないのである。
本田技研工業を創業した本田宗一郎さんは、従業員わずか25人の小さな町工場のときに「世界のホンダを目指す」と朝礼でリンゴ箱の上から演説していたという。(p198)

偏差値も前者でいうところも”ランク”と同じだと思う。そして、いったん、ランク付けした瞬間に、「身のほど」をわきまえてしまう。そして、身のほどをわきまえてしまったら、それ以上の気概をもたなくなってしまう。

難しいのは、誰でもアインシュタインになれるわけではないこと。以前、紹介したフォン・ノイマンにしても、何もないところから天才は生まれない、やはり、生まれつきのものもあるだろうし、育った環境(ファン・ノイマンは規則が複雑なラテン語を完璧にマスターしたという)もあるだろう。だから、偏差値教育をやめたところで、次のアイン・シュタインは生まれるとは限らない。

でも、重要なのは、アンビション・気概をもつこと。志を持たないとなにも生まれない。だから、志を育てることが重要だと思う。

後者では、その解決案として、こう指摘している。

とにかく、日本人がかつての蛮勇、アンビション、気概を取り戻して日本が再び元気になるためには、今すぐ偏差値教育をやめるべきだ。そして、北欧のような21世紀型の教育に移行すべきである。先生は「ティーチャー」(教師)ではなく、「ファシリテーター」(能力を引き出す伴走者)「メンター」(助言者)として、集団教育ではなく個人教育的な能力を増やす。(p201)

かつて幕末の吉田松陰は、松下村塾の塾長で”教師”とされているけど、実は”教師”というよりは、孟子を教えに則った”志”を植えつける「ファシリテーター」、「メンター」的な要素が強かったんだろうと自分では思っています。そして、自分も一人でもそうした”志”を育てることができればと、この2冊から思ったのでした。

店の器

4月 20th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (店の器 はコメントを受け付けていません)

近所に贔屓にしている店があって、先日、いってきました。

 実は、かれこれ1年以上も通っていなくて、行ってみたら、大将がお亡くなりになられたとのこと。前回、訪問時も体調が悪いとお話をされていて、心配していましたが、まさかこうなるとは。そして、その店は、当時のスタッフが切り盛りしているのだけど、仕込み、スタッフの教育など、目に見えてクオリティが落ちていて、ちょっと切ない気持ちになりました。

 先日、企業倒産・再生の話で、”オーナーが引退できず、かつ、時代の流れについていけず、倒産する例は多い”というお話をお伺いして、これもそのケースかもなあと思いました。もっと、準備をして、店をゆずるべきだったんだろうけど、なにせあまりにもその時間が短すぎて、それがクオリティの低下につながっていると思う。そして、資本主義の摂理から言えば、その店も早晩淘汰されてしまうかもしれない。

 ”会社はトップの器以上に大きくならない”とは稲森さんの言葉ですが、この店もこれが当てはまるかもしれない。でも、トップの器は心がけ次第でいくらでも大きくなることができると思う。だから、”味が落ちたからもういかない”、というわけではなく、むしろ、当代が先代にキャッチアップして、かつての勢いを取り戻す、これからも定期的に通って、そんな日を待ちたいと思いました。

「いらない社員」はいない

2月 8th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「いらない社員」はいない はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。「いらない社員」はいない、ということ。

たまに、雑誌などで「いらない社員」の特集を見かけることがある。これにすごく違和感を感じる。

まあ、これは、「いらない社員」から「いる社員」になるべし、みたいな啓蒙的な意味を含めてのキャッチなので、刺激的なタイトルの方が売れるというのはあるのだろう。

でも、マネジメントがウチのこの社員は「いらない」といったら、その会社は終わりだと思う。

たしかに、リストラなど社員を解雇しなくてはいけない場面もでてくるかもしれない、でも、それは「泣いて馬謖を斬る」的な已むに已まれぬ事情によるものであるべきだと思う。

あるいは、入社して数十年間、一つの仕事だけしかやってこなくて、そのビジネスが立ち行かなくなり、配置転換しても全然ダメ、だけど、給料だけは支払う、このケースも「いらない社員」かもしれない。

でも、逆の見方をすれば、その従業員に最適な仕事を提供できないマネジメントの責任ともいえるかもしれない。そして、どうしても社内に最適な仕事を提供できないのであれば、誠意をもって、外に他の仕事を探す手伝いをすべきだと思う。

江戸幕末の儒学者佐藤一斎は、重職心得箇条の第二条で次のように指摘している。

二. 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。

訳文
二. 大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。

出所は、Wiki

これは、現代にも十分通用すると思う、この話では、「部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。」と。気合が乗るようすることで、会社も活性化し、企業もどんどん成長し、企業価値もあがる。でも、マネジメントがこの社員は「いらない社員」と烙印を押したら、押された社員は気合が乗るわけがない。

だから、「いらない社員」はいないと思うのです。

MBAは士官学校か?

2月 2nd, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (MBAは士官学校か? はコメントを受け付けていません)

MBAを持っていいない自分がMBAについて語る資格はないのですが、まわりにたくさんのMBAがいることもあり、最近思うこと。

MBAは士官学校か?

MBA(Master of Business Administration 経営学修士)は、ときに、ビジネスの士官学校と呼ばれる。

おそらく、その所以は、MBAをとると、経営・指導に携わる”エリートコース”を歩む点が、士官学校を卒業して、一兵卒ではなく、将校からスタートする点と似ている、という点にあるかもしれない。

たしかに、それはあるかもしれないけど、自分の理解は、たぶん、MBAと士官学校は違うと思う。

先日、ある方から教えていただいたのは、”士官学校の目的は上司から受けた命令を部下にきちんと伝えること”、という。

軍隊の場合、これはとても重要、やはり、上司から受けた命令が、”これはイケてない”とおもって、部下に”イケてないので、これはやらない”といってしまったら、軍隊のような大きな組織は成立しない。だからこそ、ピラミッドの組織を維持すべく、上官の命令を、確実に上手く部下に伝える、こうした中間管理職的な職務は必要だと思う。




MBAを否定するつもりはないけど、やはり、2年程度大学にいったからといって、こうした士官学校的なトレーニングが身に付くとは思えない。だから、MBAはビジネスの士官学校というのは、やはり違う気がする。

だからといって、MBAに価値がないか?

といえば、そうでもない。自分が思うに、様々なバックグラウンドのつながりだと思う。

たとえば、日本の場合、今でも、xx年入社という同期のつながりが深い。でも、同期のつながりだけを重視すると、視野が狭くなってしまう。

だからこそ、ビジネススクールという全くバックグラウンドが違う、そうしたバックグラウンドの違う人とつながることで、新しいビジネスにつながることが多々ある。

逆に言えば、士官学校の問題点は、”同質化”してしまうこと、士官学校の成績が、将来の昇進につながり、多面的な判断ができなくなる。だからこそ、異なるバックグランドの人つながることで新しいビジネス・価値を生み出す、これはこれで素晴らしいことだなあと思います。

だからこそ、たくさんの日本人が、まったく違うバックグラウンドに”飛び込む”、これが重要なのだと思いました。自分も”飛び込み”ます!