信じることと疑うこと

3月 29th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (信じることと疑うこと はコメントを受け付けていません)

自分は、アカデミックに身を置いた期間が比較的長いこともあって、信じることと疑うこと、どちらに重きをおくかという点では、“疑う”ことだと思う。

疑うことに重きを置くことは、良いことと悪いこと、いずれもある。良いことは、物事を深く掘り下げることができること。どんなことでも、”why?”と疑う。そして、何度も何度もwhyを繰り返していくと、本当の要因が見えてくる。

これはビジネスでも当てはまる。たとえば、売上高が10%落ちているとすると、なぜ10%落ちているかを疑う。そして、疑って、疑って、疑い続けると、このプロセスによって、どんどん問題を細分化することができるので、本当の解決すべき課題が見えてくる。たとえば、売上比率30%を占めるある部門の製品が他のライバル製品に押されて売上が落ちたなど。すなわち、この疑うアプローチは、分析アプローチともいえるかもしれない。

でも、疑うことは良いことずくめではない。疑って、疑って、疑いまくる、これをエスカレートすると、結局、何でもないものにまで疑ってしまう、いわゆる、“疑心暗鬼”(闇の中に亡霊を疑うこと)と同じだ。だから、どこかの段階で“信じる”ことが必要になると思う。

 この信じることはとても重要。かつて、アナリストをやっていたとき、ある会社は新事業をぶち上げたのだけど、その事業の成長戦略に全くその根拠に説得力がない。社長に聞いても、“がんばります”の一点張り。だから、誰もがその事業の将来性を疑って、駄目だろうと思った。でも、マネジメントは歯を食いしばって、情熱をもって、必死にその新事業を立ち上げ、ついにはぶち上げた数字を達成した。やっぱり、疑ったところで将来のことは何もわからない、だから、信じるしかない。

 ただ、盲目に信じて、何も疑わないのは、これはこれでよくない。かつての太平洋戦争では、“日本は勝つ”と信じて、疑わなかったことも敗因として大きいと思う。そういう意味で、この信じると疑う、一つを選択するのではなく、“疑いながら信じる”、このバランスが必要なんだと、最近思うようになりました。

長州藩に学ぶ”粘る力”とビジネス

3月 24th, 2013 | Posted by admin in イノベーション | 経営 - (長州藩に学ぶ”粘る力”とビジネス はコメントを受け付けていません)

大河ドラマ”八重の桜”を見ていて、思ったことがあった。

今回のシーンは、蛤御門の変、8月18日の政変で京を追われた長州藩が、何とかしてその勢力を巻き返そうと、御所に攻め入る。もちろん、このドラマは、会津藩からのドラマなので、長州藩は、敵以外の何でもない。でも、自分はあえて、敵たる長州藩の”粘る力”に深く感じるところがあった。

 蛤御門の変では、薩摩藩の力添えもあり、結局、長州藩は完敗、松下村塾の逸材である久坂玄瑞も自刃する。くわえて、追い打ちをかけるように、御所を攻撃した朝敵たる長州藩に対して幕府が全国の大名に命じて第1次長州征伐を実施する。軍力では勝負にならない長州藩は降伏し、高杉晋作を中心とした倒幕派は散り散りになる。歴史に”if(もし)”はありえないけど、これで長州の倒幕派が倒幕を諦めてしまったら、もしかしたら、今は違った世の中になったかもしれない。でも、高杉晋作をはじめ長州倒幕派は、決して諦めることなく、そして、遂には、薩長同盟という形で、一気に流れを変えた。

 これはビジネスでも同じだなと思う。ビジネスにおいて、”新しいことをやろう”と言っても、普通は反対されることが多い、むしろ、これは”素晴らしいから是非やるべし”、と最初から全面的に会社からバックアップされて進むパターンは自分が知っている限り稀だし、これで上手くいく例はあまり知らない。むしろ、”こんなの売れるわけがない、時間の無駄だ”と言われて、お蔵入りになるケースの方が多い。でも、長州藩のように、打たれて(8月18日の政変)、打たれて(蛤御門の変)、ノックアウトされて(第1次長州征伐)、でも、粘って信念を貫く。そして、粘った結果、製品の成功、新しいフロンティア、収益につながるんだと思う。まさに、never never never give upです。

では、何が長州藩の”粘る力”を生み出すか?司馬遼太郎は「世に棲む日々」でとても的確な指摘をしている。

分類すれば、革命は3代で成立するのかもしれない。初代は松陰のように思想家として登場し、自分の思想を結晶化しようとし、それに忠実であろうとあまり、自分の人生そのものを喪ってしまう。初代は、多くは刑死する。2代は、晋作のような乱世の雄であろう。刑死することはないにしても、多くは乱刃のなかで逃走し、結局は非業に斃れねばならない。3代目は、伊藤博文、山県有朋が、もっともその形を代表しているであろう。 (「世に棲む日々(4)p97)

吉田松陰が播いた種が、高杉晋作で実を結び、伊藤博文、山県有朋で収穫を迎えると。もちろん、収穫も重要だけど、やっぱり、一番重要なのは、”種をまくこと”だと思う。吉田松陰は、安政の大獄に座して、非業の死を遂げたけれども、その”種”=理念が後々になって結実した。言ってみれば、理念があるからこそ、”粘る力”が生まれたとも言える。自分もいろいろな会社を見ているけど、やはり、”これだけは絶対にやりとげる”という理念を持っている会社は強い。それは、まさに長州藩のように”粘る力”があるからだと思う。”粘る力”を育てる、これが成功の秘訣なのかもしれない。

CIOはいらない?CDO(Chief Digital Officer)の興隆?

3月 17th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (CIOはいらない?CDO(Chief Digital Officer)の興隆? はコメントを受け付けていません)

自分自身もCIO代行のような立場で企業の情報システムのコスト分析・提案をするので、CIO(Chief Information Officer、最高情報管理責任者)はどうあるべきか、については折に触れて考えることがあります。

そして、この記事、結構、大胆にCIOは使い物にならないので、CDO(Chief Digital Offier、金融の人にとって良い思い出がない略語かもしれない)を登用すべきだと主張する。

なぜ、CIOが使いものならないのか。この記事によれば、その理由は2つ。まず一つは、CIOは、Exchange(メールサーバ)、SAP(企業の財務・販売などの基幹システムパッケージ)の知識はあっても、デジタルマーケティング、ビックデータ、ソーシャルネットワーキングなど、経営が”攻め”に活用する知識・経験がない。2つ目として、CIOの役割は、情報システムをちゃんと動かすこと。したがって、何か会社でチャレンジをやろうとして、少しでも情報システムを変更することがあれば、CIOはそのリスクを取りたがらない。すなわち、もし、そのプロジェクトが失敗すると、CIOの評判に傷がつくので、できるだけだけそのリスクを避けるように行動する。とはいうものの、最近の企業活動において,デジタルマーケティング(ネット広告など)は切っても切り離せなくなってきている、だから、IT部門でないところから、CDO(最高デジタル責任者)を登用すべきという主張だ。

自分としては、例外を除いて、だいたいこの主張に同意できる。例外とは、CIOがいなくてはいけない業種。そのわかりやすい例は、銀行を含めた金融。金融が扱っているのは、つまるところ、おカネという情報、なので、すべてのやりとりは情報システム経由で行われる。だからこそ、情報システムは、止まってはいけない。ちょっと前の話では、三菱UFJ銀行元頭取の畔柳氏は、旧三菱銀行と旧東京銀行の情報システム部門統合を総轄し、その経験から、UFJ銀行とのシステム統合もトップダウンで実行したのは、業界ではよく知られている話。こうした情報システムが企業の生死に関わる業界であれば、CIOを取っ払って、CDOにせよ、というのはナンセンスだろう。

だからといって、すべての業界でCIOが必要というわけではない。逆に言えば、金融以外について、CIOががっちり情報システムを守るという会社は、よほどの大企業以外はなくなりつつあると思う。むしろ、”止まらないように情報システムを守る”というCIOアプローチよりは、”リスクを冒してでも、デジタル分野を開拓する”というCDOアプローチの方が、企業価値を上げる手段としては有効だと思う。

今日、明日にCIOがなくなって、CDOにリプレースされるということはない。でも、長い目でみると、”情報システムのおもり”は重要だけど、それだけだと、生み出す価値も限定的だと思う。だからこそ、CDOよりな、デジタルを使ってビジネスを生み出すアプローチが情報システムにとっても重要だと思うわけでした。

進化するTwitterのビジネスモデル

3月 13th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (進化するTwitterのビジネスモデル はコメントを受け付けていません)

Twitterといえば、オンラインストレージのDropboxと並んで、IPO有力候補として注目されている企業。とくに、2011年8億ドルをロシアのベンチャーキャピタルから調達していることもあり、VCの出口として年内に公開するのではといわれている。

そうしたなかで、Twitterのビジネスモデルが変わりつつある。
4 Ways the Twitter You Know is Changing Foreverによれば、次の4つの道に進化し、プラットフォーム化しつつあるという。

  1. レーティングサービスとしてのTwitter:自分も含めて140字のつぶやきで多いのは、テレビの感想。そのテレビの感想をまとめて、レーティングをつけて、データを提供すれば、それをほしいと思う会社はいる。Twitterは、ソーシャルテレビを分析するBluefinを買収し、広告代理店Nielsenと共同で、テレビのレーティングサービスを提供する。
  2. ソーシャルコマースといてのTwitter:Twitterは、2013年2月にクレジットカード大手のAmerican Expressと提携。ユーザ情報にクレジットカード情報を記載し(まだ、実装されていない模様)、AMEXが指定したハッシュタグが付与されている商品を登録したクレジットカードで一発で購入できるサービス。
  3. キュレーションとしてのTwitter:これも実装されていないものの、ツィートに、”high(高い)”,”medium(中間)”,”low(低い)”という優先度をつけ、優先度の高いツィートを優先的に表示する。(現在のFacebookのアプローチに近い)。そして、これも発表されたわけではないけど、優先度”high”を課金として徴収する。いわゆる、カネで優先度を買う方法も検討されているという。
  4. ディスカッションフォーラムとしてのTwitter:今後のSXSWで発表されるTwitterの機能の一つであるnestivityは、フォロワーに質問をしたり、フォロワーとディスカッションする機能を提供する。単に、一方的ツイートするだけではなくて、フォロワーとのディスカッションフォーラムを展開するサービス。

すくなくとも、この4つを確実に実行すれば、投資家が満足するようなマネタイズ(収益化)は可能になると思う。ただ、マネタイズに走るあまりに、ユーザが離れてしまう場合もすくなくない。たとえば、ツィートの優先度をカネで買うことができれば、たちまち、ツィートが広告だらけになって、”いつものTwitter”ではなくなる可能性もある。たしかに、Twitterはマネタイズのプラットフォームに近づきつつあると思うけど、楽しくツィートできる”いつものTwitter”であってほしいと一ユーザとして願うところです。

便利屋ビジネスと顧客満足度

3月 11th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (便利屋ビジネスと顧客満足度 はコメントを受け付けていません)

先日、写真の便利屋のチラシが入っていて、いろいろとビジネスを考えるきっかけになりました。

かのピーター・ドラッガーは、企業活動の目的について、”顧客の創造”と定義しました。それは当たり前の話で、お客さんがいなくては、ビジネスにならない。

そして、この便利屋のビジネスも、”ゲームの相手がいない”、”犬の散歩の時間がない”、”洗車の時間がない”といった”時間をお金で買う”顧客にハマるモデルだと思う。

ただ、これでビジネスとしてマネタイズできているのか。これは、どこまでお客さんのわがままを聞くか、だと思う。

”お客様は神様です”よろしく、お客さんのわがままをすべて聞く、もちろん、これは顧客満足度を高める最大の方法だけど、ビジネスとして成り立つとは限らない。

たとえば、自分のなじみのあるIT業界では、システムをつくる際、顧客のシステム設計をする際に、”お客様は神様です”とばかりに、、”ECと連動したい”、”ボタン一発で経営状態が見えるようにしたい”など、お客さんの言い分をすべて聞いて、システムを作ろうとすると、ほとんどの場合、予算、制限時間オーバー、もしくは、ひどいとシステム会社の持ち出しになってしまう。やはり、お客さんのわがままをすべて聞くいわゆる”御用聞き”は必要とされていない。むしろ、腕利きのプロマネは、お客さんのやりたいことを制約条件(予算、時間)のなかでうまく調整する、あるいは、断る能力に長けていると思う。ちなみに、当社では、このシステムと経営とのギャップをセカンドオピニオンサービスという形でギャップ分析を提供しておりますので、お気軽にお問い合わせください。

 便利屋もこのシステム開発の話と同じで、お客さんのやりたいことをすべて聞いていると、たぶん、ビジネスとして成り立たないと思う。だからといって、”これはできません”と断り続けては、便利屋の沽券に関わる問題で、その折り合いの付け方が、便利屋ビジネスモデルの肝・ノウハウなんだと思う。ちなみに、システムの話に戻ると、システムでは、この肝・ノウハウは、パッケージに相当します。極端な話だけど、Windowsには、製造業向け専用Windowsもなければ、医療向け専用Windowsもない、どの業種でも同じ。パッケージを買って、インストールするだけで終わり、ものすごくレバレッジの効くビジネスだと思う。Windowsまでいかないにせよ、多くのパッケージは、”お客さんのやりたいこと”がだいたい凝縮されていて、それをインストール&カスタマイズである程度のことができる。そして、”だいたい”という最大公約数をどこに設定するのかが、企業の腕の見せ所、ニーズの捉えどころなんだと思う。

 こう考えると、最初の”顧客の創造”とは、単に、お客さんのわがままを叶えておカネをもらうのではなく、お客さんがおカネを払ってでも、その成果に満足する仕組み(イノベーションとも言えるかもしれない)を作ることなんだろうと思いました。改めてドラッガーの教えての深さが身に沁みます。

マラソンと経営

2月 11th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (マラソンと経営 はコメントを受け付けていません)

マラソンと経営

自分が本格的にマラソンを始めたのが2007年2月の第1回東京マラソンだから、はやくも6年目。

それほど速いといわけではないけど、ほぼ毎年(去年は湘南マラソン)、フルマラソンを走っています。

今年は、6月に100㎞走る予定(2008年に宮古島100㎞マラソンは完走しました!)なので、今から調整中。

走りながらいつも思うことは、マラソンと経営は似ているということ。

ちなみに、本の執筆とマラソンも全く同じです、エントリー時(企画時)が一番楽しい!そして、スタート最初の10㎞は余裕、20kmあたりになるとちょっと苦しくなってきて、30㎞になると苦しくてもうやめたくなる、だけど、35㎞を過ぎると、ランナーズハイになって、あとはゴールを目指すのみ。最初からペース配分すれば苦しくならないんじゃないの、と走ったことない人にいわれるけど、そんなに簡単じゃないんですよ。

さて、経営とマラソン、いずれも一番重要なのは、”自分のペースを守る”こと。マラソンの場合、自分のトレーニング量、体調からおのずと自分が無理をしないで走ることができるペースがきまっていて、それを越えて走ると、とてもフルマラソンは走れない。抜かれたから抜き返すというのはありえない。

経営も同じで、企業にはリソースがあるので、そのリソースを無視して、ライバルに追随すると、どこかで無理がでてしまう。むしろ、ライバルに抜かれることはあるかもしれないけど、最後まであきらめず、自分のペースを貫く、これが長い目で見ても長続きするモデルと思う。

たかがマラソン、されどマラソン、走っているという単純な行為だけど、単純な行為だからこそ、気づきがあります。