「いらない社員」はいない

2月 8th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「いらない社員」はいない はコメントを受け付けていません。)

最近、思うこと。「いらない社員」はいない、ということ。

たまに、雑誌などで「いらない社員」の特集を見かけることがある。これにすごく違和感を感じる。

まあ、これは、「いらない社員」から「いる社員」になるべし、みたいな啓蒙的な意味を含めてのキャッチなので、刺激的なタイトルの方が売れるというのはあるのだろう。

でも、マネジメントがウチのこの社員は「いらない」といったら、その会社は終わりだと思う。

たしかに、リストラなど社員を解雇しなくてはいけない場面もでてくるかもしれない、でも、それは「泣いて馬謖を斬る」的な已むに已まれぬ事情によるものであるべきだと思う。

あるいは、入社して数十年間、一つの仕事だけしかやってこなくて、そのビジネスが立ち行かなくなり、配置転換しても全然ダメ、だけど、給料だけは支払う、このケースも「いらない社員」かもしれない。

でも、逆の見方をすれば、その従業員に最適な仕事を提供できないマネジメントの責任ともいえるかもしれない。そして、どうしても社内に最適な仕事を提供できないのであれば、誠意をもって、外に他の仕事を探す手伝いをすべきだと思う。

江戸幕末の儒学者佐藤一斎は、重職心得箇条の第二条で次のように指摘している。

二. 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。

訳文
二. 大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。

出所は、Wiki

これは、現代にも十分通用すると思う、この話では、「部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。」と。気合が乗るようすることで、会社も活性化し、企業もどんどん成長し、企業価値もあがる。でも、マネジメントがこの社員は「いらない社員」と烙印を押したら、押された社員は気合が乗るわけがない。

だから、「いらない社員」はいないと思うのです。

「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」を読む

2月 4th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」を読む はコメントを受け付けていません。)

【連載】世界ハイテク企業ウォッチや個人投資家向け投資アイデアプラットフォームLongineにGoogle, Appleのようなハイテク企業について書かせていただく機会があるので、割とこうした本は出るたびに読んでいます。

そして、今回の「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」、結論から言えば、これからのハイテク企業がどう動くかを把握するためには、ぜひ、読むべきだと思う。

本書の英語のタイトルは、「Dogfight How Apple and Google Went to War and Started a Revolution」であり、アップルとグーグルの戦争であり、本書は”グーグル・アップル戦記”ともいえるかもしれない。

なぜ、アップルとグーグルは戦争をしないといけないのか。その理由は、以下に集約できる。

アンドロイドとの闘いは、ビル・ゲイツとマイクロソフトを相手に繰り広げた一九八〇年代の闘いとは似ていないとジョブズは言ったが、アップルの内外の人間は口をそろえて、似ているという。アンドロイドとiPhoneの闘いは「プラットフォーム戦争」だった。プラットフォーム戦争は勝者の総取りになりがちだ。勝者が市場シェアと利益の七五パーセント以上を手にして、敗者をビジネスを続けることすらおぼつかなくなる。
(本書p182より)

まず、このスマホのプラットフォーム戦争で勝ったのは、アップル。当時、キーボード付きが当たり前のスマホ市場にタッチパネルという斬新なプロダクトで一気に市場シェアを獲得した。ただし、iPhoneのシェアが高まると、iPhoneに対抗したいと思うメーカーも増えてくる、そして、そのメーカーのニーズを取り込んだのがアンドロイド。

iPhoneに対抗したかったメーカーとキャリアは、<ドロイド>の成功を見て、アンドロイドがいちばんの選択肢だと思った。ルービンはそのチャンスを最大限に活かし、二〇一〇年のうちに、たたみかける勢いでソフトウェアの大きな更新を三回おこなった。同年末には、ドロイドのような爆発的なヒット商品のほかにも、HTCの<イーボ4G>やサムソンの<ギャラクシーS>なども加わっていた。全体で200種類近いアンドロイド携帯が50か国で売られ、世界中のキャリアとメーカーが何百万ドルというマーケティング予算をアンドロイド製品につぎこんだ。
(同書p169より)

iPhoneをパクッたアンドロイドについて、スティーブ・ジョブズが猛烈に怒り、アンドロイドを搭載しているメーカーを訴えたのは記憶に新しい。とはいうものの、現実としては、

一方、二〇一三年なかばの時点で、グーグルとアップルの携帯プラットフォーム戦争は、明らかにグーグルが優勢になっている。
(同書p280より)

というようにグーグルが優勢になっている。結局のところ、プラットフォームとしてのアンドロイドのほうがより多くのユーザー・メーカーに支持されているといえるかもしれない。

とはいうものの、Windowsがかつては盤石といわれながらも、スマホにおいて苦戦しているように、スマホから別のデバイスに変わったとき、また、新しいプラットフォーム戦争が起きると思う。そして、その時はそれほど遠くないのかもとも思いました。

いずれにして、グーグル、アップルがどう戦ったのか、いろいろ考えさせられる本です。

MBAは士官学校か?

2月 2nd, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (MBAは士官学校か? はコメントを受け付けていません。)

MBAを持っていいない自分がMBAについて語る資格はないのですが、まわりにたくさんのMBAがいることもあり、最近思うこと。

MBAは士官学校か?

MBA(Master of Business Administration 経営学修士)は、ときに、ビジネスの士官学校と呼ばれる。

おそらく、その所以は、MBAをとると、経営・指導に携わる”エリートコース”を歩む点が、士官学校を卒業して、一兵卒ではなく、将校からスタートする点と似ている、という点にあるかもしれない。

たしかに、それはあるかもしれないけど、自分の理解は、たぶん、MBAと士官学校は違うと思う。

先日、ある方から教えていただいたのは、”士官学校の目的は上司から受けた命令を部下にきちんと伝えること”、という。

軍隊の場合、これはとても重要、やはり、上司から受けた命令が、”これはイケてない”とおもって、部下に”イケてないので、これはやらない”といってしまったら、軍隊のような大きな組織は成立しない。だからこそ、ピラミッドの組織を維持すべく、上官の命令を、確実に上手く部下に伝える、こうした中間管理職的な職務は必要だと思う。




MBAを否定するつもりはないけど、やはり、2年程度大学にいったからといって、こうした士官学校的なトレーニングが身に付くとは思えない。だから、MBAはビジネスの士官学校というのは、やはり違う気がする。

だからといって、MBAに価値がないか?

といえば、そうでもない。自分が思うに、様々なバックグラウンドのつながりだと思う。

たとえば、日本の場合、今でも、xx年入社という同期のつながりが深い。でも、同期のつながりだけを重視すると、視野が狭くなってしまう。

だからこそ、ビジネススクールという全くバックグラウンドが違う、そうしたバックグラウンドの違う人とつながることで、新しいビジネスにつながることが多々ある。

逆に言えば、士官学校の問題点は、”同質化”してしまうこと、士官学校の成績が、将来の昇進につながり、多面的な判断ができなくなる。だからこそ、異なるバックグランドの人つながることで新しいビジネス・価値を生み出す、これはこれで素晴らしいことだなあと思います。

だからこそ、たくさんの日本人が、まったく違うバックグラウンドに”飛び込む”、これが重要なのだと思いました。自分も”飛び込み”ます!