FACT FULLNESSと世界の見方

5月 28th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (FACT FULLNESSと世界の見方 はコメントを受け付けていません。)

 さて、最近は昔の本を読むことが多く、新刊はひさびさですが、『FACT FULLNESS』は多くの学びがありました。いわゆる、出色の出来栄え、と言うに相応しいと思います。

 テーマは世界をどう見るかことで、我々は意識せずに先進国、途上国のように分断して考えたり、世界の人口はひたすら増え続けるといった将来を直線で考えたり、一つの例がすべて当てはまるように考えたり、「色眼鏡」をかけてモノをみていると。

 むしろ、こうした思い込みを乗り越えて、データをもとに世界を正しく見るべし、という話と理解しました。データをためる・使うのは大事だけど、じゃあ、どう使うのか。やっぱり、世界を正しく見るためだと思います。

 これは世界だけではなくて、ビジネスでも同じですよね。たとえば、会社で上司が「アイツは使えない」という思い込みで判断するのではなくて、データ・事実にもとづいて正しく世界を見る、どの世界でも共通の話なんだと思います。

 あるいは、日本の場合、「外人」は思い込みが多い気がします。まあ、もともと島国ということもあるんでしょうが、我々は髪の色が違うと「外人」って思い込みがちですよね。でも、見た目はアメリカ人だけど、日本語しか話せない、ZIP!の朝ごはんジャーニーに出演しているマーティンは外人じゃないですよね。あと、中央競馬で最近は外国人騎手が増えていますが、一言に外国人騎手といっても日本で免許をもっているD・デムーロ騎手、C・ルメール騎手は短期免許で来日する外国人騎手ではなくて日本人騎手と言うべきですね。

 いずれにしても、こうした思い込みは、誰にもある話で、だからこそデータに基づくファクトフルネスが大事で、よい刺激になりました。自分が思うに、本のクオリティは、かけた時間に比例すると思っています(だから、自分が書く時もとことん時間をかけるわけですが)。たとえば、今年映画化されるピアノコンクールの名作『蜜蜂と遠雷』は構想12年、取材11年、執筆7年もかけた名作です。『FACT FULLNESS』も著者ハンス・ロスリングという一人の人生そのものの経験がすべて詰め込まれていて、それが何とも言えないコクになっていると思います。事あるごとに読み返そうと思います。

 

 

雍正帝 中国の独裁君主

5月 5th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (雍正帝 中国の独裁君主 はコメントを受け付けていません。)

ここのところ読んでいて思うところがあったのでシェア。宮崎市定「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫)を読みました。もともと、トップダウンというマネジメントスタイルに興味を持っていて、中国の皇帝は究極のトップダウンという話を聞きました。で、このスタイルに興味を持っていたので読んでみました。

 この本、良い意味で裏切られました。中国、清時代、第4代皇帝康熙帝と第6代皇帝乾隆帝の間の第5代皇帝雍正帝は、たしかに、地方の政治の細かいことまで口を出す、いわゆる、マイクロマネジメントのスタイル。まあ、現在だと社長が平社員の仕事についても全部口を出すスタイルでしょうか。

 ただ、天子である中国の皇帝を以てしても、命令に従わないことは多々あったようで。それは、中国の科挙制度で登用された官僚が本書の言葉を借りれば「資本家」になり、地元の民は、皇帝の命令よりも資本家の命令を聞き、かつ、皇帝に正しく報告しなかったと。会社でもありますよね、こういうの。

 なので、雍正帝は「大小の官吏からべつべつに報告させて、ただいに比較してみてその間に虚偽がないか確かめねば気が済まなかった」(p103)という。これ、自分がアナリストのとき同じことをいわれました。事業会社は得てして自社に都合がいいことを言う傾向あるので、取引先、顧客にもヒアリングしろと。独裁者といえども自分の言うことを聞いてくれなくて苦労が絶えないと。

 この雍正帝のマイクロマネジメントは資本家には窮屈なようで、結局、13年しか続かなかったものの、このマイクロマネジメントが清の国力を押し上げ、つぎの乾隆帝の治世につながったと。結局は、この官僚制度がネックになって、外からの外圧で清は滅亡します。なので、マイクロマネジメント自体も否定すべきものではないのかもしれないですね。

 自分が思うに歴史書の醍醐味は昔何が起きたかを知ることではなくて、過去の出来事を「自分ごと」ととらえることにあると思います。自分が司馬遼太郎をこよなく愛するのも、彼がまるで坂本龍馬のような歴史上の人物と昨日酒を酌み交わしたように「自分ごと」として書いているところにあると思います。宮崎先生もまさに同じで、ひょんなことから古本屋で雍正帝の資料と出会い、雍正帝を「自分ごと」として噛み砕いています。この本最初に出版されたのが60年前近くですが、明日、どこかの会社で同じことが起きているような気がします。