7月9日にセミナー開催です。
「ノンエンジニアのためのChatGPTとPythonによる業務自動化・データ分析実践スキル習得セミナー」
7月9日にセミナー開催です。
「ノンエンジニアのためのChatGPTとPythonによる業務自動化・データ分析実践スキル習得セミナー」
先日、新聞でナイキのブランド価値が下がっているという記事を読みました。ナイキといえば、自分がものごころをついたころはマイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズの全盛期と被っており、スポーツ用品と言えばナイキというイメージがあっただけあって、はて?と思いました。
なぜ、ナイキのブランドの価値が下がっているのか?一言で言えば、D2C(Direct To Consumer)の躓きにありそうです。D2Cは、その昔、本を書きました、「D2Cの基本と仕組みがよ~くわかる本」(秀和システム、2021年3月)。で、その際は、製版一体のビジネスをヒントに、顧客がプロダクトを最初に認知する入口から実際にプロダクトを購入するところまで、ネット・スマホ活用によって、よりリッチな顧客体験ができるという話でした。
この話でいえば、ナイキが躓いた理由は、「入口を絞る」ところにありそうです。具体的には、ナイキの前CEOドナホー氏は、イーベイ出身もあり、ネットビジネスの知見を生かし、EC事業の強化と直営店販売の拡大に動いた、すなわち、「入口を絞る」戦略を策定しました。
こうした「入口を絞る」戦略は、2020年kらの新型コロナウィルスの拡大感染期には、EC用アプリの「ナイキアプリ」や限定モデルなどを扱うスニーカー販売アプリの「スニーカーズ(SNKRS)もヒットし、さらには、アマゾンや小売店フットロッカーなどの小売への販売も制限して、直営店への呼び込みをはかり、売上に占める直営店比率は4割まで拡大しました。
が、新型コロナウィルス感染が収束すると、「入口を絞る」戦略は裏目にでました。やはり、誰もが直営店に通う、ナイキの熱狂的なファンであるわけではなく、ショッピングモールにいったらナイキじゃなくて、HOKAのスニーカー、あるいは、日本だとアシックスも増えています。さらに、自分が毎年、楽しみにしている箱根駅伝でも、一時はナイキが独占していましたが、2025年では、ナイキのシェアは23.3%、2023年の61.9%からだいぶシェアを落としていて、アディダス、アシックスのシェアがナイキを上回っています。
こうした結果、ナイキが人々の目にとまらなくなり、売上も4四半期減収、世界ブランド力のランキングも2017年の26位から25年には66位まで大幅に下がったそうです。まあ、方丈記で言えば、「大家滅びて小家となる」といったところでしょうか。
このナイキのブランド低下力の話、いろいろな論点がありそうです。個人的には、「入口を絞る」戦略が問題と認識しました。たしかに、デジタルの場合、特定の顧客に向けてアプリなどで「入口を絞る」ことができます。が、誰もがナイキのアプリをインストールしているわけではなく、たまたま、ショッピングモールでクールなスニーカーを見つけたから買おう、いわゆる、偶然の出会い「セレンディピティ(serendipity)」もあり、「入口を絞る」とは正反対のアプローチでもあります。むしろ、直営店だけではなく、量販店、ECといった面を増やす、いわば、「入口を広げる」ところに、ナイキの教訓、さらには、D2Cの可能性とも思いました。
「入口を広げる」、たとえば、モールにショップを増やすだけではなく、いろいろやり方がありそうです。箱根駅伝もアピールの手段ですよね。箱根駅伝は、日本の駅伝の頂上です、そこで圧倒的なシェアをとれば、「これはすごい、ナイキのシューズを買ってみよう」と「入口が広げる」ことになりそうです。それは、「入口を絞る」とは逆のアプローチではありますよね。というわけで、「大家滅びて小家となる」、これは栄枯盛衰の必然かもしれないですが、とはいえ、「入口を絞る」のではなく「入口を広げる」ことが大事なのではないでしょうか。
いつもチェックしているゴルフブログで紹介されていた「成功する音楽家の新習慣」を読みました。残念ながら自分は音楽、楽器の類はほとんどできないのですが、いろいろ発見がありました。そのなかで、音楽家としてどうしたら成功できるか?というのは、単に音楽家に限らず普遍性があるようにも思いました。
まず、どうしたら音楽家として成功できるか?この本は、3部から構成されていて、第1部 練習上手になる、 第2部 恐れず演奏する、 第3部音楽家であり続けるために、です。ざっくりいえば、1.深く練習して練習上手になって、2.プロとして恐れず演奏して、3.故障などを防いで音楽家としてのキャリアを築くこと≒音楽家として成功する習慣と理解しました。この1.練習、2.本番、3.ケアを習慣化することは、これは音楽家に限らず、スポーツでも、芸術でも、ビジネスでも通じるものがありそうです。
この3つの中で最も重要と思われるのが、深く練習して練習上手になること、と理解しました。そして、著者は深く練習することをこう定義します
「深く学んだと言えるのは、学んだ知識で自分が変わったときー数学の試験のためだけに勉強するのでなく、実際に使ってみる、たとえばその知識の彫刻のデザインに応用したときだ。そんなとき、数学の原理は生きたものとなり、どんな試験よりもずっと長く記憶に残る。深い練習の過程には、さらには幅広い内容が含まれる。深く練習すれば、曲であろうと練習課題であろうと、さまざまな面から追求し、何にでも興味深い点を見出すことができるようになる。そうなれば、舞台上で自信をもって芸術的にふるまうことができる(p29)。」
自分の理解では、世の中知っただけではダメで、知ったことを実践すべしという、陽明学でいう、知合同一の考え方でもあります。で、練習上手になると、次のステップ、2.恐れず演奏するにもつながりそうです。プロであっても、人前で演奏するのは誰も不安がつきまといます、ただ、深く曲を学ぶ、深く練習することは、こんなメリットがあると指摘しています。
「曲を深く学ぶことがでえきれば、気づきの力を高めてプレッシャーにも強い土台をつくることができる。それができたら、これまで準備してきたことを足掛かりにすれば、本番では自分自身を心のおもむくままに表現できる。」(p158)
最後は、3.音楽家としてあり続ける、一言で言えば自己管理です、曰く、
「創造的に活動し続けている音楽家は、練習と本番のスキルに秀でているのはもちろんだが、自己管理にも積極的に取り組んでいる。そして自分の身体の限界を尊重し、音楽への情念を日々新たにし、音楽としてのキャリアをたどる中で困難に直面してもひるまずに受け入れる。「私たちの中にある、気分を新たにしてくれるもの、平和に満ちたもの、癒してくれるもの」につながっているのだ。(p243)
というわけで、結論、音楽家、あるいは、スポーツ、芸術、ビジネスでどうしたら成功するか?この3つのプロセスがヒントになりそうです。音楽、スポーツは、練習・本番・ケアはハラオチしますが、ビジネスだとどうでしょうね。
自分の感覚から言えば、1.深く練習して練習上手になる=社会のルール、会社のルール、ビジネスモデルを理解・練習して、実際に使ってみる、2.プロとして恐れず演奏する=失敗を恐れず、仕事・新しい事業にチャレンジする、3.音楽家としてあり続けるために=常にモチベーションを保つ、あたりでしょうか。とすると、1→2→3と逐次つながる話ではなく、1.練習上手になるべく常に研鑽しながら、2.プロして恐れずチャレンジしながら、3.モチベーションを保つ、同時に展開するプロセスかもしれないですね。
いままで、テクノロジーについて何度か書く機会がありましたが、テクノロジーに対する自分の理解は「波」です。「波」にも、すぐに消える「さざ波」、高く押し寄せる「ビッグウェーブ」があるように、テクノロジーにも、すぐ消える「さざ波」、一大トレンドになる「ビッグウェーブ」があるように思います。後者の「ビッグウェーブ」では、インターネット、モバイル、AIあたりでしょうか。
で、自分の経験・理解では、この「ビッグウェーブ」に乗りつづけるのは難しいということです。たとえば、やや前の話ですが、前職では、スマホの前のガラケーのソフトウェア開発をしていました。で、世の中に携帯電話が登場しはじめた90年代後半から10年くらい「ビッグウェーブ」が来ました。が、そのあと、iPhoneが登場してスマホという次の「ビッグウェーブ」が来ました。世の中の「波」をちゃんと見ることができる波乗り上手であれば次の「ビッグウェーブ」に乗れるのでしょうが、こうした機を見るに敏はなかなか難しいなぁ、という問題意識を持っています。
さて、今週の月曜である3月24日(月)、慶應の卒業式に参加しました。卒業式は、卒業後25年経つとご紹介いただけるイベントです。自分はSFCだったので、日吉キャンパス訪問は在学中も数えるほどでしたが、だいぶ久しぶりに参加してきました。その卒業式で、伊藤塾長の式辞に思うところがありました。いわく、「現代のテクノロジースキルの平均寿命は5年で、短いものだとたった2年半しか続かない。つまり、自分が身につけたスキルは2年半から5年で陳腐化するため、仕事上の新しい挑戦を克服するためにも、学び続ける力が必要なことは明らかと。で、何のために学び続けるのか?それは、個人としての自由独立を得ることであり、それは福澤先生のおっしゃった「一身独立して、一国独立する」の言葉通り、国や社会としての自由独立につながる」と。
このテクノロジーの「波」の話と、伊藤塾長の式辞、自分の中ではつながるところがありました。テクノロジーの「波」には、「ビッグウェーブ」があるかもしれないが、基本は、永遠に続くことはなく、いつか陳腐化する、たとえ、「ビッグウェーブ」に乗ったとしても、そこに安住しないで、常に学び続けること、それが機を見るに敏につながるのではないかと。もう一つは、テクノロジースキルも陳腐化するので、全部をやらなくてもよいかもしれません。「波」を根気強く待っていれば、「ビックウェーブ」が来るように、「待つ」ということも選択肢の一つかもしれません。気が付けば、最近こうした話を聞く機会も減っており、よい気づきの機会となりました。
さて、先日、ある方とお話をして、なるほど、と思うことがありました。自動車を製造する際のコスト計算の方法です。自動車を製造すると一言でいっても、自動車を製造するプロセスはとても複雑で、ボディを構成する鋼材の仕入れから、エンジン、トラスミッションなどの主要コンポーネント、シート、エアコンといった内装パーツ、さらには、センサーといった電子部品、その数は2~3万ともいわれています。
で、こうした2~3万の部品から構成される自動車のコストを把握することはとても大変です。かつ、鋼材や半導体は市況によって値段が変わるので、毎回、同じコストになることはないでしょう。で、そうしたなかで、どうやってコストを把握・計算するかといえば、まず、標準的な車のコストを出すそうです。そして、そこから、車種によってボディ、コンポーネント、内装パーツと変えていくそうです。なので、一つ一つについてコストを計算してはとても手間がかかるので、標準を決めて、そこから調整するというアプローチは理にかなっているように思います。
この車のコスト計算のように標準を決めて、そこからの違いを認識する方法、ふと思いだしたのが、自分のワインの愉しみ方です。ワインもフランス、イタリア、アメリカ、チリ、アルゼンチン、ニュージーランド、オーストラリアなど世界中で生産されています。そして、フランスといっても、ボルドーがあったり、ブルゴーニュがあったり、ローヌがあったりと、車のパーツ同様、すべてのワインを把握することはほぼ無理でしょう。その難しさがワインの愉しみでもあり、逆に取っつきにくいさかもしれません。
で、自分の中での気づきは、こうした車のコスト計算のように標準を決めて、そこから違いを認識する方法、これは言い換えれば何かしらの測定方法である「物差し」がワインにも当てはまるのではないかと思いました。たとえば、自分のなかの、ワインの「物差し」は、ニュージーランドワインです。最後にニュージーランドに訪問したのは、もう10年近く前なので、今はだいぶ変わっているかもしれないですが、自分の中でのニュージーランドワインは「おふくろの味」のような心地良さがあります。それは、クセもなく、クリーンですね。この写真のMATUAもまさにニュージーランドという感じで、クリーンでクセのないソーヴィニヨンブランです。値段も2000円以下が多くて、お手軽に楽しめます。
自分の場合、このニュージーランドワインが車でいう標準車です。赤ワインだと、ちょっと繊細だとブルゴーニュで、太陽の光を浴びて力強くて、果実味が強いとカリフォルニアワインあたりでしょうか。標準からどう離れているか、これを意識するようになって、ワインへの愉しみが増したような気がします。日本酒もこういうかんじで判断する方も多いみたいですね。
さて、この車のコスト計算の話、ニュージーランドワインの話、ふと思ったのは、こうした「物差し」を提供するのは付加価値になるのではないかと。車のコスト計算は、すべての部品を集めてコスト計算したらとんでもない手間がかかります、なので、標準車という「物差し」でほかを比較する。ニュージーランドワインであれば、味覚は人それぞれなので、ニュージーランドワインが合うかどうかは、その人の価値観でしかないですが、少なくとも自分にとってワインを愉しむ上で付加価値になっているように思います。古代ギリシャの哲学者プロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」と指摘しましたニュージーランドワインに限らず、いろいろな物差し・尺度があり、この尺度は付加価値でもあり、愉しみでもありそうです。
自分はルーチン・日々の習慣を守ることを大事にしていて、そのルーチンの一つが本を読むことでもあります。基本は、朝起きて、朝ドラを観て、そこから風呂に入りながら、本を読むルーチンで、その生活をもう15年近くは繰り返してきていると思います。で、7年前から、どれくらい本を読んでいるのか記録してみようということで、読書メーター(*)で記録してみました。2018年からはじめてほぼ93~94冊で、その間にコロナなどもありましたが、あまり根本的な生活習慣は変わっていないようで、今年も93冊でした。まあ、スタイルがちょっと変わったとしたら、アマゾンのサブスク、Kindle Unlimitedの利用が増えたかもしれないですね、前から使っていたのですが、ここ数年でラインアップがかなり充実してきました、さらにリコメンド機能もそこまでターゲティングされないので、幅広いジャンルを愉しめて、ちょっとした図書館のようです。まだ、紙の書籍がメインですが、こういうサービスもあるのでこれからは電子が増えるような気もしています。そのなかで、2024年今年読んでよかった5冊です。
https://bookmeter.com/users/814464/bookcases/11989034
1.「力道山未亡人」 https://amzn.to/4fzZUZF ― 昭和のスターである力道山が亡くなったのは1963年、その後、力道山が残した30億円の負債は力道山未亡人である田中敬子さんが背負います。その負債をどう整理していくかという縦の糸と力道山が立上げた日本プロレスからジャイアント馬場の全日本プロレス、アントニオ猪木の新日本プロレスの日本のプロレス史という横の糸が折り重なっていて、面白い一冊でした。で、皮肉ではありますが、力道山がいなくなって、新日本プロレスと全日本プロレスがライバル同士、切磋琢磨することで、日本のプロレスが盛り上がったのではないでしょうか、やはり、ライバルは必要ですよね。
2.「わが投資術」 https://amzn.to/3PdgPGL ― もうだいぶ前ですが、アナリスト時代、何度かタワー投信にプレゼンをして、清原さんをはじめとして資本市場に対する深い洞察に、結果を出すファンドは違うなぁと思っていました。さらに、自分もアナリストとして関わった銘柄も何件かあって、懐かしさがこみ上げてきました。で、この本、清原さんのノウハウをすべて詳らかにした本で、なるほど、と思わせるところが沢山あります。とくに、株価の割安度を判断する指標としてPBRではなくネットキャッシュで判断していて、自分なりの物差しを持つことがパフォーマンスの秘訣なのではと思いました。最後の今後の日本株の指摘、増配・自社株買いは続く、新NISAで個人投資家が激増、政府は株式市場にネガティブな政策はとりにくくなる、やはり、これからそうなりそうですね、改めて清原さんの深い洞察力に感じ入りました。
3.「結局、人生最後に残る趣味は何か」 https://amzn.to/3BJzXJs ―リンボウ先生は、だいぶ昔ですが、たしかケンブリッジでお目にかかったことがあって、爾来、その深い教養に私淑しております。で、今回の話は、趣味で、リンボウ先生は、趣味をやるなら真面目に取り組むべきで、それは上手な素人ではなく下手な玄人になれと主張されます。下手な玄人とは、歌・絵などの趣味を自己満足ではなく人前で披露することでレベルが上がると。となると、趣味と仕事の境目は曖昧なのかもしれないですね。
4.「カオスの帝王」 https://amzn.to/4iP0ohn ― この本のサブタイトルは、惨事から巨万の利益を生み出すウォール街の覇者たちで、過去にはリーマンショック、コロナショックなど何度か惨事がありました。こうした滅多に起こらない惨事(ファットテール)が発生すると利益を生み出すユニバ―サ・インベストメンツのストーリーです。自分もこうしたファンドの存在は知ってましたが、当事者も含めて内部まで踏み込んでいて、こういう風にモノを考えるんだという視点が新鮮でした。
5.「黄色い家」 https://amzn.to/3Ds9Ve4 ― 最初は退屈な話なのかなと思ってましたが、途中から俄然面白くなってきて、一気に読みました。主人公のわたしと母親の知り合い黄美子さんの物語で、黄色い家での同居生活での出来事、以上ではありますが、登場人物の感情、軽快なストーリー展開で一気に読める本でした。
先日、ある方から面白い話をお伺いしました。テーマは、「なぜ、日本のIT化は遅れているか?」ということです。たしかに、先日、発表されたIMDの世界デジタル競争力ランキングだと日本は31位(昨年は32位)と1ランク上がっていますが、シンガポール、米国などにくらべるとだいぶ溝をあけられています。
その方の話では、世界デジタル競争力を見ると、日本はモバイルブロードバンドの普及だったり、ロボットの流通だったり、ソフトウェア著作権保護などの分野では日本のレベルは高いものの、国際経験、デジタル技術スキルが低いことが要因だと。たしかに、最近は大企業では、デジタル技術スキルを向上する研修などが必須のところが増えていますが、中小企業などでは、なかなかそこまで手が回らないですよね。これは実感として納得できるものであります。
さて、この話で思い出したのが、IBMの話です。いまは大分変わってしまったと思いますが、かつて、外資を中心にIT企業のトップ・マネジメントの大半がIBM出身者で占めていました。オラクルとかセールスフォースとかですね。そして、実際にIBM出身の方に、「どうしたらIBMは人材輩出企業になれたのでしょうか?」と聞いたことがあります。その答えは「とにかく研修といった学びの機会が多かった。単なるスキルだけではなく、いろいろな研修を受けたことが役に立っていて、IBMには継続して学習する文化がある」という回答で、なるほど、ハラオチした記憶があります。
自分の感覚だと、プログラミング、データ分析、AI、クラウド技術のようなデジタル技術スキルは、日進月歩で進化するので、「一回勉強すればスキルが身につく」、という話ではなく、継続的に学習をしないと、すぐに陳腐化、磨いたスキルが錆びてしまうように思います。実際、自分もその昔、プログラミングをやっていましたが、今はほとんどやっていないので、プログラミングの考え方自体は理解していますが、スキルとして使えるようになるには相当なリハビリが必要そうです汗 という意味で、デジタル技術スキルの場合、「継続して学習する」という要素がきわめて重要な分野と思われます。
こうした継続的な学習が必要なデジタル技術スキルをどう取得するか?自分の場合は、幸いなことに大学・大学院の時代にこうしたスキルを取得できる機会がありました。が、これは独学ではできなくはないですが、相当の努力が必要そうです。なので、IBMのように、デジタル技術スキルに限らず、継続的な学習の機会を提供してくれるのであれば、これに乗っからない手はないですよね。何といっても、会社でキチンと仕事をすることが前提ですが、給料ももらえて、スキルも取得できて、さらに、継続的に学習できるので、錆びずにキープできるのですから。企業にとっては大きな経費負担ではありますが、、錆びないスキルをもつ優秀な社員を抱えることができるので、Win-Winな関係でもあります。
で、最初の話に戻ると、「日本のIT化が遅れている」という点は、IBMの「継続して学習する文化」に学ぶところが多そうです。デジタル技術スキルならびにどんなスキルでも「一回勉強すれば身につく」ものでなく、錆びないように磨き続けることに価値があるように思います。なので、デジタル技術スキルの資格もありかもしれないですが、継続的にスキルを磨く要素も必要かもしれないですね。あるいは、就職・転職する際、「どんな研修がありますか?」よりも「継続的な研修の仕組みがありますか?」の方がスキルアップできる企業かもしれないですね。
「アクティビズムを飲み込む企業価値創造」(手島直樹著、日経BP)を読みました。もう、だいぶ前ではありますが、自分もアナリストとして、上場会社をカバーすることがあり、どうやって企業価値を上げるかについて、事業会社と議論した経験がありますが、そこから、モノ言う株主であるアクティビストの立ち位置がだいぶ変わったように思います。
何が変わったか?やはり、自分がアナリストをしていたときも、アクティビストはいましたが、どちらかといえば、マイナーで、当時の雰囲気は「敵対的買収はありえない」、といった、総じてアクティビストに対してはネガティブな印象であり、どうやって強請ってくるアクティビストを上場会社は排除するかにエネルギーを注いでいたように思います。
そこから、現在では、アクティビストに対する受容度はだいぶ変わったように思います。やはり、現状では、東証の要請もあるでしょうが、上場企業であれば株価を意識して経営すべしという考え方が少しずつ浸透してきたように思います。それは、現金など過剰に持っていて、かつ、株価対策をしていない上場会社に対して、アクティビストが自社株買い・増配を要求することは、もはや排除すべきことではなく、受け容れる土壌が育ってきたように思います。
さて、本書では、「アクティビズムを飲み込む企業価値創造」というタイトルで、アクティビスト的な考え方を「処方箋」として経営に取り組むべしと理解しました。まず、アクティビストによるアクティビズムには、良いアクティビズムと悪いアクティビズムがあり、良いアクティビズムは、アクティビストが対象とした会社について長期的な視点で会社の経営改革を促し、会社のポテンシャルを引き出すアクティビズム、一方、悪いアクティビズムは、一瞬の自社株買い・増配要求をして、それで終わってしまう「残念な」アクティビズムと定義しています。まあ、アクティビストも出資者が出資するファンドの一つであり、短期的にリターンを求める結果として、「悪い」アクティビズムなアプローチもあるので、一概に、良い悪いは定義するのは難しいかもしれないですね。
良い悪いはさておき、アクティビズムには大きく分けて2つの手法があると指摘しています。まず一つは、グレハム流古典的なアクティビズム、ベンジャミン・グレハムはバリュー投資の概念を生み出した投資家で、バリュー投資は会社の価値と株価の間に乖離に投資をするスタイルです。グレハムのアクティビズムという点では、ある会社が時価総額を越えるレベルの社債を保有しており、その過剰資産を特別配当として株主還元を要求しました。会社の資産・資本をコントロールするキャピタル・マネジメントがグレハム流古典的なアクティビズムと指摘します。
もう一つは、バフェット流現代アクティビズムで、資産・資本をコントロールするキャピタル・マネジメントのみならず、場合によっては取締役を派遣するなどして、経営や事業戦略まで踏み込んで価値向上を目指す、いわゆる、プライベートエクイティに近いアプローチかもしれないですね。で、株式取得から売却までのプロセスのなかで、大事なのがエンゲージメント。アクティビストとしてもリターンを上げるために会社に変革をしてもらいたい。一方で、会社としてもいろいろな事情もあり、すぐに変革できないときもあり、エンゲージメント(対話)を通じて、合意形成を目指すといったところでしょうか。
この本の結論は、こうしたアクティビズムの手法は、キャピタル・マネジメントを含めて有効な手法であり、ターゲットになる前に「処方箋」として実践すべしと。これはそうですよね。たとえば、クロスボーダーのM&Aが盛んな業種であれば、いつ敵対的買収を提案されるかわからない、だからこそ、ターゲットになる前に、株価を上げる。これはアクティビズムの手法を反面教師として実践することでもあります。で、今年になって新NISAも始まったこともあり、株が身近になってきたように思います。そして、上場企業がアクティビズムの「処方箋」を取り入れて、株価を上げる努力をする、こうした絶え間のない努力をしている会社に投資したいですね。
ちょっと前のことですが、「となりのトトロ」を観ました。最初に観たのは、たしか、小学生のころで、「火垂るの墓」と同時上映でした。1988年上演なので、もう36年も前なのですね。いつ見ても、新しい気づきがあって、年月が経っても色褪せない素晴らしい作品でもあります。
今回の気づきは、サツキの電話のシーンですね。となりのトトロにはネタバレがないという理解ですが笑、入院しているお母さんの病状が悪化を知らせる電報が届きます。そして、サツキは、取り乱して、お父さんの大学の研究室に電話をかけるのですよね。令和の現在では、電話そのものも減っていますが、となりのトトロの時代設定である昭和30年代では、サツキからの電話を電話交換手が物理的にプラグを差し替えて、大学の研究室に取り次いでいました。
この電話交換手、今では、存在しませんが、その昔、担当したことがある方にお話をお伺いしたことがあって、楽な仕事ではないようです。というのは、サツキは、明確に大学の研究室を明示していましたが、曖昧な宛先もあったらしく、相応のコミュニケーション能力が求められたようです。あるいは、警察・救急・消防などの緊急通報についても、電話交換手が窓口として取り次ぎ、気を遣う仕事だったようです。とはいえ、物理的に電話プラグを交換するという作業は電子的な電話交換機に置き換わり、電話交換手はもはや存在しなくなりました。
さて、先日、久しぶりファミレスのバーミヤンに行く機会がありました。最近のファミレス、注文はタブレット、配膳は配膳ロボット、会計はキャッシュレスと、場合によっては全くスタッフと接することがなく、無人で完結できることに驚きました。自分の知っているファミレスは、ウェイターがメニューを渡して、それを選んで、配膳してもらい、お会計もお願いするスタイルでしたが、注文・配膳・会計と無人で完結できるようになりました。というわけで、電話交換手がいなくなったように、ファミレスではウェイターがいなくなる日も近いかもしれないです。
電話交換手とウェイター、いずれも、DXというか、電子化によって、仕事がなくなる業種ではあり、「寂しい」という見方もできますが、一方で、電話交換機で電話のキャパシティは増え、そして、レストランの自動化では、スタッフの費用も削減につながり、結果的に、料金につながるのではないでしょうか。
もうだいぶ昔の高校・大学時代ですが、囲碁をやっていた時期がありました。今でもたまにネット碁をやるくらいですが、当時はだいぶハマっていました。その当時のスター棋士といえば、趙治勲氏(現名誉名人)で、当時は本因坊戦10連覇など破竹の勢いだったのを記憶しています。
で、先月まで日経新聞の「私の履歴書」コーナーが趙治勲氏で、懐かしいなぁ、と思いながら、読んでいたのですが、29回目のAIに抵抗感にいろいろと考えるところがありました。2016年、「アルファ碁」が韓国のトップ棋士イセドルに4勝1敗で勝利したことは話題になりましたが、まだ、当時はAIにはつけ入る余裕があり、負けたのは、本人の油断だろうと趙治勲氏は判断しています。ただ、その後、AIの進化は凄まじく、今では、トッププロが2子を置いても勝てないといいます。たしか、自分の記憶では、コンピュータがチェスのチャンピオンを破ったのが1997年で、その当時、チェスはルールが単純なのでコンピュータでも勝てるが、囲碁はルールが複雑なので、無理だろう、いう論調でしたが、20年近くたって、囲碁も人間がAIに勝てなくなりました。
なぜ人間がAIに勝てないか?それは、「AIはどんな状況でも結論を出す」からと指摘します。囲碁は、一言でいえば、陣取りゲームで、19×19=361の陣地のうち、黒もしくは白がより多くの陣地を取った方が勝ちます。ただ、終盤になると、どちらの形勢が優位なのか、アマチュアはもとより、プロでも判断するのが難しいです。一方で、この手の判断、AIは得意な分野ではありますよね。現状のそれぞれの持っている陣地、今後の打ち手を判断しながら、「黒の勝率70%」と形勢判断をする、これを毎回やられたら人間は勝てないですよね、「神様が作ったゲーム」にAIという別の神様が降臨してきた、というのはアイロニックではありますが、言い得て妙でもあります。
というわけで、これからはどんなに逆立ちをしても囲碁ではAIに人間が勝てることはなさそうです。で、どうやってAIと付き合っていくのか?趙治勲氏が指摘するように、AIで勉強するというのは一つのやり方ですよね、人間よりも圧倒的に形勢判断が優れているAIを使って、さらに強くなる、囲碁の大リーグ養成ギブスになるかもしれません笑
さて、この話、ちょっと抽象度を上げると、囲碁に限らず、人間はAIとどう付き合うか?という話ではないでしょか。人間が囲碁にAIで勝てないように、ビジネスの多くの分野でAIに勝てないのは間違いないですよね。だからこそ、囲碁の形勢判断にAIを利用するなど、優れているものを利用することですよね。じゃあ、何を利用すればいいんだ?と、これはケースバイケースですが、ChatGPTとか、優れた言語モデルを手軽に利用できる機会も増えてきました。自分も最近Googleの検索以上に、ChatGPT使っているような気がします。というわけで、趙治勲氏はAIに抵抗感があるのは理解できますが笑、我々はAIを大リーグ養成ギブスとして能力大幅アップのために使いたいですね。