たった一人の狂気 - 「イーロン・マスク自伝」

11月 15th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (たった一人の狂気 - 「イーロン・マスク自伝」 はコメントを受け付けていません)

 ウォルター・アイザックソン「イーロン・マスク」を読みました。上下あわせて900ページ以上あり、イーロン・マスクの生い立ちから、X(旧Twitter)の買収、内部告発文書であるツイッターファイルあたりまでカバーされています。アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」も読みましたが、いずれも、第3人称の目線ではなく、ほぼ第1人称の目線なので、彼が何を考えたか、どう行動したか、つぶさにわかるとともに、イーロン・マスクはビジネス、私生活含めて、とことん「クレージー」と思いました笑

 で、いろいろな論点がありますが、そのなかで、彼の原動力となっていると思われるのが、「アルゴリズム」です。ビジネスあるいはものづくり生産を始めるにあたって、彼は、5つの「アルゴリズム」を持ち出します、これは、1.要件はすべて疑え、2.部品や工程はできるだけ減らせ、3.シンプルに、最適にしろ、4.サイクルタイムを短くしろ、5.自動化しろ、です。

 このアルゴリズムがいかん発揮されたのが、宇宙ロケットスペースXで、アマチュアでロケットエンジンを作っているトム・ミューラーのアマチュアエンジンを改良からスタートします。そして、宇宙ロケットを製造するにあたって、軍やNASAが決めた仕様や要件を疑い(アルゴリズム1)、エンジン1基の製作費を部品・工程を減らして、コストを10分の1の20万ドルにし(アルゴリズム2)、2010年無人宇宙船を打ち上げる際、最終検査で2段目エンジンのスカート部に亀裂が入っていた際、数週間かけて修理・延期するのではなく、シンプルにスカートを切断して無事成功とシンプルに最適にする(アルゴリズム3)、そして、それが結果的にサイクルタイムも短くなると(アルゴリズム4)。最後は自動化(アルゴリズム5)であるものの、たとえば、テスラでは自動化ありきで進めましたが、結局上手くいかず、要件をすべて洗い直し、部品や工程を減らせるだけ減らし、バグを潰しきることではじめて自動化にたどり着いたといます。

 とはいえ、こうしたアルゴリズムが万能ではなく、2001年に創業したスペースXも発射試験を繰り返し、繰り返し、失敗し、2008年4回目の打ち上げでやっと打ち上げに成功します。というわけで、アルゴリズムを愚直に追及すること、そして、周りから何を言われようが、ギブアップせず、やり続けること、この「クレージー」さが、彼の持ち味だと思いました。で、これまでボーイングのような大手は、宇宙ロケットを製造するために、軍・NASAの仕様・要件に従い、そのコストを請求する実費精算式により膨大なコストがかかっていましたが、スペースXはこの「アルゴリズム」により大手と比較にならない低コストで宇宙ロケット打ち上げを成功させました。という点で、このスペースXの宇宙ロケットはイノベーション(革新)でしょうが、イノベーションを起こしたくて起こすのではなくて、アルゴリズムを追求した結果としてイノベーションにつながったとも言えそうです。

 ただ、こうした「アルゴリズム」は生産には有効ですが、万能のツールではなく、とくに後半ではツイッターの買収での苦悩が描かれます。買収する、しないのすったもんだの騒動で買収したツイッターですが、ツイッターはテクノロジー企業ではなく、人間の感情や関係に基づく広告メディアであり、とくに、政治的なバイアスがかかります。たとえば、ツイッターの内部告発文書であるツイッター文書では、ツイッターの社員の大半が民主党支持であり、大統領選挙の際、民主党候補バイデン大統領の息子のスキャンダルについて、民主党バイアスもあり、わざと拡散しなかった経緯が触れられています。で、この手の話は正解がないので、「アルゴリズム」で何とかなる話でもない気もします。そういう点で、X(旧ツイッター)の企業価値が半減しているのも、やはり、従来のイーロン・マスクの手法が通用しなかったということかもしれないですね。

 ただ、X(旧ツイッター)は置いておいて、ものづくりという点では、この「アルゴリズム」がスペースXの宇宙ロケット、テスラのEVなど、米国、そして、世界を大きく変えました。そして、それはたった一人の狂気クレージーによるもの、といってもいいかもしれません。自分はこうしたクレージーな性格ではないですが汗、まわりにイーロン・マスクのようなクレージーを持ち合わせている人がいたら、起業を進めましょう。で、もしかしたら、それによって世界を変えるイノベーションを生み出すことができるかもしれません笑

ChatGPTと質問力

10月 7th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ChatGPTと質問力 はコメントを受け付けていません)

 さて、今年の登場したテクノロジーの中でも今後最も大きな影響を与えそうなのが、生成AI、そのなかで、我々が一番身近に接しているのはChatGPTではないでしょうか。で、これまでこうした新しいテクノロジーをどうやってビジネスに展開するか、何冊も本も出しましたが、いろいろ考えてきました。

 このChatGPTをどう活用するか、自分の中の答えが「質問力」です。AIは、その名の通り、人工知能なので、我々は何もしなくても勝手に素晴らしい答えを人工知能が教えてくれる。そして、ChatGPTでも、自分が知らないことを教えてくれる、そんな幻想があるかもしれないですが、おそらく、そんなことはなくて、AI・ChatGPTを活かすも殺すも、利用者の「質問力」にあるというのが自分の答えです。

 なぜ、「質問力」か? ChatGPTでは、世界中のあらゆるデータを集めてLLM(大規模言語モデル)を生成します。自分の理解では、LLMはグーグルの検索のように、何かしらの問いを、知りたいことを入力すると、その問いに対する答えを返してくれます。たとえば、翻訳はわかりやすいですよね、最近は翻訳をするときは、自分で訳すことはあまりしなくなりました、むしろ、ChatGPTに原文をいれるだけで、かなり正確な、自分の意図した結果を出してくれます、この延長だとプログラミングもあります。ある処理を実現したいという要求について入力するとChatGPTはかなり正確にプログラミングのコードを出力してくれます。

 で、翻訳とプログラミング、いずれにしても、問いという材料が必要で、材料を作るのは「質問力」ではないかと思います。ChatGPTの場合、この「問い」は、プロンプトという形で対話的に入力します。そして、わかりにくい問いを繰り返し質問することで明確にしたり、答えが不明瞭な場合はフィードバックをしたり、答えに対して、他の情報源による別の質問をしたり、こうしたプロンプトを起点にした「質問力」が、ChatGPTを活かす方法と言えそうです。ちなみに、ChatGPTに活用方法を聞いても同じような答えなので、この方向性で間違いはないかと笑

 で、どうやって「質問力」を上げるか?斎藤先生の「質問力」は、もちろん、ChatGPT対策ではありませんが、「質問力」を上げるためのヒントがあります。まず、「質問力」というか、良い質問とは「具体的かつ本質的」であること。それはそうですよね、まったく抽象的な空中戦の質問をしても相手は答えられません、かといって、「今日、何食べた?」みたいな非本質的な問いも、あまり意味があるとは思えません。

 そして、「具体的かつ本質的」な質問をするためには、1.沿うこと、そして、2.ずらすことにあると指摘します。1.沿うこと、質問した答えに対してあいづちを打つ、あるいは、その答えに対してさらに深堀することであり、2.ずらすとは、抽象的な答えであれば「具体的に言うとどういうこと?」だったり、具体的な答えであれば「まとめるとどういうこと?」と具体的な話と抽象的な話を行き来することと理解しました。

 で、ChatGPTの活用事例で、一人壁打ち、ブレストみたいな事例がありますがブレストも、、やはり、この沿って、ずらすの繰り返しであり、このブレストのアウトプットは利用者の「質問力」によると思うのです。というわけで、ChatGPTの活用方法は、話上手になること、沿って、ずらす、を自由自在に使いこなすことではないでしょうか。

グッドライフにみる人間関係の筋トレ

9月 3rd, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (グッドライフにみる人間関係の筋トレ はコメントを受け付けていません)

 さて、思いがけない本との邂逅は、長く続く自分の愉しみの一つですが、最近読んだなかで、印象に残ったのが「THE GOOD LIFE 幸せになるのに、遅すぎることはない」です。著者がかかわるハーバード成人発達研究では、1938年から健康な大学生を対象に人生全般にわたるデータを収集し続けているそうです。

 で、80年以上蓄積したデータからわかった結論、それは「健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要だ。以上。」そりゃそうだと言われれば、それまでですが、GOOD LIFEを実現するには、よい人間関係が必要というのは、納得感もあります。

 このよい人間関係とは何か? 人間関係は、筋力と同で、何もしなければ人間関係も衰えていくと指摘します。これもそうですよね。交流会で、名刺交換して、人間関係を築いたつもりになっても、何もしなければ、その関係も疎かになりますよね。これはよい人間関係とは言えません。むしろ、人間関係は、生き物のようなもので、よい人間関係を築くには常にエクササイズが必要(ソーシャル・フィットネス)と指摘します。

 よい人間関係を築くためにいろいろなエクササイズがあるようですが、自分の理解では、このエクササイズのポイントは、自動運転モードにならないことと理解しました。自動運転モードは、毎日のルーチン生活を繰り返すということでしょうか。会社員であれば、朝9時に出社して、夕方5時に帰宅、その後、テレビ・ネットを見て、寝て、また、次の日も同じルーチンの繰り返しといったところでしょうか。前に取り上げた「Die with Zero」でも、この自動運転モードの弊害を指摘し、今しかできないこと・経験を大事にすべしと言います。いずれにしても、こうした自動運転モードではよい人間関係は築きにくいと思います。

 この本でも触れられていますが、自動運転モードにならないためには、やはり、日常のあらゆるものごと・出来事に注意・関心を向ける、言い換えれば、好奇心を持つということではないでしょうか。たとえ、朝9時に出社して、毎日のルーチンワークをこなして、夕方5時に帰宅する生活といっても、業務のなかでいつもと違った工夫をする、帰り道いつもと違うルートで帰る、など、自動運転モードにならない工夫はあるように思いますし、そうした工夫を家族・友人・社員でシェア・共感することがよい人間関係への一歩ではないでしょうか。

 くわえて、人間関係のエクササイズを仕組化する試みもありますよね。たとえば、xx会のような定期的な催し、暑くなったら暑気払会、年末になったら忘年会と、まあ、飲みたいだけなのかもしれないですが笑、年に一度とかの定期的なタイミングで集まることは、年に一度の筋トレとは言わないですが、人間関係のエクササイズを仕組化するやり方のように思います。

 で、この人間関係のエクササイズ、この研究によると、歳は関係ないようです。どんな歳をとろうと、人間関係のエクササイズは始めることができます。そして、こうした人間関係のエクササイズを継続していた人の方が寿命は長いそうです。これもそうですよね、周りに誰も知り合いがいない孤独な状態だと、やはり、自動運転モードになってしまう傾向が強いのではないでしょうか。自分も振り返ってみると自動運転モードが多いような気もしていて、人間関係の筋トレに励みたいと思います!

車内販売に見るアナログ化とデジタル化

8月 13th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (車内販売に見るアナログ化とデジタル化 はコメントを受け付けていません)

 さて、先週のニュースですが、東海道新幹線 23年10月末で車内ワゴン販売を終了するようですね。まあ、仕方ないところもあるのでしょうが、思うところがありました。

 自分も新幹線を利用しますが、車内販売を利用することあまりないですね、最近では、駅のキオスクがコンビニ代わりなので、だいたい、そこで十分ですね。とくに、よく利用する東京・軽井沢は新幹線で1時間ちょっとなので、小田急線でいうと、新宿・藤沢くらいのイメージで、通勤・通学と同じ感覚です。

 さらに、新幹線も早くなりましたよね。たしか、小学生のころ、静岡から母親の実家がある姫路まで、朝一番でこだまにのって、昼過ぎにようやく姫路に到着した記憶があります。で、やはり、新幹線に乗っている時間が長いので、名古屋あたりで、カチカチのアイスクリームを食べるのが楽しみでした。が、いまや、東京・大阪間は、のぞみで2時間半、あっという間ではないですが、その気になれば、日帰りでも往復できますね。で、名古屋についたら、あっという間に大阪です。

 というわけで、東京・大阪といえば、かつての旅情の佇まいから、東京・軽井沢、新宿・小田原のようなカジュアルな通勤圏内になりつつあるのかもしれないですね。で、こうした技術=速度アップの進歩が、これまでの仕事を奪った例は枚挙にいとまがありません。たとえば、もう60年以上前になりますが、電話交換手、その昔、電話で通話するためには、電話交換手という人手を経由して通話をしていました。たしか、となりのトトロで、娘のさつきがお父さんの大学に電話をかけるとき、交換手が登場しました。その昔は、電話交換手は憧れの職業だったようですが、今は存在しないですよね。

 もう一つは、自分も記憶にあるエレベーターガール、昭和生まれじゃないとわからないかもしれないですね笑 今から30年以上前の昭和では、どの百貨店にもエレベーターガールがいました。仕事は、シンプルでエレベーターの操作、案内で、「上にまいります」というシンプルな案内もありましたが、その階のおススメを案内してくれるエレベーターガールもいました。その昔は、若かりし宮沢りえがエレベーターガールの役を演じたりと、高嶺の花でしたが、バブル崩壊以降、エレベーターガールは、めっきり見なくなりましたね。

 さて、車内販売と電話交換手とエレベーターガール、時代が必要とされなくなった役割かもしれません。ただ、振り返ってみると、アナログの良さもあったかもしれないです。自分が若かりし頃、静岡の松坂屋のエレベーターガールは洗練されていて、松坂屋のエレベーターガールのお姉さんにエレベーターにまた乗ってみたいと思わせるものがあったように思います。車内販売も似ているかもしれないですね。駅前のキオスクだろうと、車内販売だろうと、缶ビールは同じですが、「この人」から買うのは違いますよね。


 というわけで結論、電話交換手、エレベーターガール、社内販売、この手の話はデジタル化が避けられない業種です、が、アナログのおもてなしはカタチを変えて残ると思います。たとえば、鉄道だと、JR九州のななつ星 in 九州、とことんおもてなしを追及するスタイルだと思います。で、JR東海は、社内ワゴン販売終了の代替サービスとして「グリーン車のみ」モバイル注文のようですね。こんなデジタル化ではなく、価格を5倍、10倍にして、おもてなし側にふって、旅情溢れる東京・大阪新幹線旅にしてはどうでしょうか笑

「半導体戦争」にみる繰り返される歴史

5月 28th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「半導体戦争」にみる繰り返される歴史 はコメントを受け付けていません)

最近読んだ「半導体戦争」は、思うところがありました、一言でいえば、歴史は繰り返えされる、でしょうか。この本は、1950年代、真空管から半導体が生まれたところからスタートして、現代の中国による半導体製造、世界の半導体が台湾のTSMCに一極集中する現代まで、半導体全史といったところでしょうか。

アメリカで誕生した半導体は当初軍事目的でしたが、早くから「産業界の石油」としての重要性が認知されるようになりました、そして、半導体の用途も軍事用から民生用に拡大します。拡大するなかで、製造コストが下げるために当初は香港、台湾、シンガポールといったアジアに製造を委託します。それが現在の半導体=安全保障につながる話と理解しました。

 で、アメリカにとって、転機は1980年代、まだ、マイクロソフトのWindows95が発売される前で、日本の日立、富士通、NECといったメーカーが半導体を製造のみならず、キャノン・ニコンといった企業も回路をシリコンウェーハに焼き付ける露光装置を開発・販売。あまりにも日本企業の強さにインテルも祖業であったDRAMの製造をギブアップします。この背景の一つが、日米金利差で、80年代当時の米国の金利は最大で21.5%、一方、日本は6-7%で、さらには財閥系銀行から低金利で融資、日進月歩で進化している半導体製造には、自己資金では到底賄えない膨大なおカネがかかるため、調達コストが明暗の差を分けたと指摘します。

 その後、日本もバブルが崩壊し、さらには、インテルはDRAMからは撤退したものの、マイクロプロセッサ(CPU)でWindowsとタイアップして、Wintel時代を築き、インテルは完全復活、さらには、韓国政府が支援するサムソン、台湾が支援するTSMCの台頭で日本は半導体立国の座を失ってしまったことは記憶に新しいのではないでしょうか。

 歴史は繰り返される ― Wintelで圧倒的なシェアを誇ったインテルも、モバイルについては、省電力設計のARM、そして、微細化の最先端をゆくTSMCに追い越され、データセンターもGPUを設計するエヌヴィディアに追い越され、80年代の日本企業に追い詰められた状況に近いのかもしれません。

 もう一つ、歴史は繰り返されるという点でポジティブな点があるとしたら、日本かもしれないですね。80年代の財閥系銀行にかわり、最近では、日本政府が、半導体の投資に本腰を入れ始めました。アジア諸国に追随する二番煎じではあるかもしれないですが、半導体製造装置など日本がシェアを持っている分野もあるので、自動車が内燃機関からEV化して業界が縮小しても、政府の後押しで今後は半導体が日本の基幹産業になるかもしれないですね。

「何でも屋」vs「専門家」

4月 16th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「何でも屋」vs「専門家」 はコメントを受け付けていません)

さて、先日、ある方とお話した話が記憶に残ったのでシェアです。テーマは、「何でも屋」vs「専門家」です。「何でも屋」は、良くも悪くも、どんな分野でも広く浅く何でもできるタイプで、一方で、「専門家」は、ある特定の分野において狭く深くできるタイプです。

 で、この「何でも屋」vs「専門家」の今に始まったわけではなく、その歴史は古くて、この方曰く、「何でも屋」に分があり、かつての明治の知識人もこれに相当すると言います。この「何でも屋」の代表は福沢諭吉です、彼は幼少の頃は、中国の四書五経の漢籍を徹底暗記して、その教えを突き詰めて「専門家」になります。ただ、彼の場合は、漢学の「専門家」をベースにしながら、オランダ語にはじまり英語への洋学、「和魂洋才」でしょうかね、ベースである魂は和で、その魂をベースに才(手段)に洋に応用できると。

 この和魂洋才、明治の知識人に限らず、今にも当てはまることは多いのかと思いました。たとえば、プログラミングは、これに近いかもしれません。コンピュータプログラミングは、コンピュータに指示を与える手続きで、それを実現するために、日本語、英語、中国語など様々な言語があるように、コンピュータプログラミングにも、C言語、JAVA、Python、Goなどなど様々なコンピュータ言語があります。

 まあ、たしかに、自分の理解ではC言語とPythonとかはだいぶ違うと思いますが、「和魂洋才」は腹落ちします。というのは、プログラミングの「和魂」は、「データ構造とアルゴリズム」、それは、プログラミングは、処理すべきデータを整理・構造化して、そのデータをアルゴリズム=ルールに基づいて処理することだと思います。一方で、「洋才」は、個別のプログラミング言語です。というわけで、「データ構造とアルゴリズム」の基礎・和魂がある人は、あまり抵抗なく、ほかの言語にも割と応用できるというのが自分の理解です。

 というわけで、「何でも屋」vs「専門家」、と、「和魂洋才」、ここから学べることは、まずは専門家、和魂として何かを突き詰めるということではないでしょうか。そして、地面を掘って、掘って、掘ると地下水に辿り着くように、どの地点でも掘ると同じ場所にいきつく、それが「何でも屋」なのかもしれません。というわけで、そうした地下水に辿り着くような「何でも屋」、こうありたいと思いました。

新しい出会い

2月 19th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (新しい出会い はコメントを受け付けていません)

 さて、前にも書いたかもしれませんが、ここ10年くらい、朝ドラをみてから、風呂に入って、本を読んで、一日をスタートするという生活を送っています。で、朝ドラ後のあさイチのテーマ、大人になってから新しくできた友達はいますか?と。

そういわれてみると、新しくできた友達少ないかもしれませんね。小学生、中学生のころはたくさん友達ができたのに、大人になってから新しく友達ができない、この理由は関係の固定化ではないでしょうか。

 小学生・中学生時代は、クラスがあり、かつ、定期的にシャッフルするので、そこで否が応でも新しい出会いがあります、社会人でも人事異動も会社によってはありますよね。。で、一方で、大人になって、就職すると、まあ、だいたい、同じ職場で同僚も同じ、取引先も同じ、家族も同じで、関係は固定化してしまい、新しい出会いが少ないのという状況ではないでしょうか。

 で、この新しい出会いは良いことか、それとも固定化された方がよいのか?これは人それぞれの価値観なので、正解はないと思います。が、自分は、新しい出会いは良いことだと思ってます。というのは、たとえば、会社の場合、関係が固定化すると、組織が硬直化する、というのはこれまでの自分の実感ではあります。

 こうした究極の関係の固定化は、江戸時代の封建制度ですよね。江戸時代、たとえば、武士であれば、ご先祖様が残した役職・石高をつつがなく、増やしも減らしもせず、次の世代に継承することが仕事でした。ただ、こうした関係の固定化が、組織の硬直化を生んでしまい、変化に耐えることができませんでしたね。

 というわけで、関係の固定化、組織の硬直化を防ぐためには、やはり、新しい出会いではないでしょうか。で、どうやったら新しい出会いがあるか?自分はそういうノウハウがあるわけではないですが、やはり、虚心坦懐というか、心の壁を作らずに、新しいことに目を向けることではないでしょうか。自分にとっても考えるよいきっかけになりました。

歴史に学ぶ強いチームの作り方

1月 29th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (歴史に学ぶ強いチームの作り方 はコメントを受け付けていません)

さて、最近読んだ本「真珠湾攻撃総隊長の回想 渕田美津雄自叙伝」でいろいろ思うところがありました。著者の渕田美津雄中佐は、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃での航空隊の総隊長で、当時は海軍上層部から大規模な航空戦の指揮をできるのは彼しかいないという逸材だったそうです。

 もちろん、戦争というのは悲惨なものであり、かつ、日本国憲法第9条では戦争を国際紛争の解決する手段として永久に放棄しており、もう繰り返すことはないと信じていますが、一方で、チームワークという点では今の我々にも学ぶことが多そうです。

 真珠湾攻撃が計画された1940年初めは航空戦の黎明期であり、複数の空母を使った大規模な作戦はほぼなかったようです。とくに、飛行機の場合、難しいのは3次元&飛行時間が限られていること。車両の場合であれば、「この場所に集合」といえば、だいたい間違いないですが、航空機の場合、複数の空母から、「この場所に集合」だと、3次元の決まった場所の特定から、飛行時間が限られているため効率的に発着艦しなくてはいけないなど高い練度が要求されたそうです。そういうこともあり、真珠湾攻撃以前では、第一航空戦隊は空母赤城のみ、第二航空戦隊は空母蒼龍と航空部隊はバラバラに運用されていました。ただ、彼は早くから航空威力はマス、すなわち、集団で攻撃することに価値があることを見抜いていて、全航空部隊を集中、そして、統合した航空部隊を徹底的にトレーニングしたそうです。

 もう80年以上前の話ですが、このあたりのトレーニングの話は、昨年公開された映画「トップガン マーヴェリック」に近いかもしれないですね。この映画では、ならず者国家の濃縮ウランプラントを破壊すべく、急勾配の山を登り、谷底のプラントを破壊するミッションをこなすべく、日々トレーニングする姿が描かれています。ただ、決定的な違いは、やはり、数でしょうね。「トップガン マーヴェリック」の場合は、たしか、2機×2機の4機でした、真珠湾攻撃の場合は、空母6隻で、2段発進、第一波は189機、第二波は171機、合計、360機の大編隊、当時と今の技術の進歩はあるでしょうが、いずれにしてもチームとしてのまとまりが要求されます。

 で、チームワークという観点では、こうした大規模な編隊を一糸乱れように統率し、目的を達成することは、とても難しいことだと思います。たとえば、この作戦のなかで難しかったのが、真珠湾に碇泊している艦船へ魚雷を発射する雷撃だったそうです、真珠湾は水深が12mと比較的浅い海で、当時の魚雷は水深60mを想定していたため、魚雷の改良にくわえて、水面ギリギリまで急降下して雷撃する必要があり、鹿児島県の錦江湾を真珠湾に見立てて何度も何度も訓練を重ねたそうです。

 ここまでの練度を上げるのは相当大変とは思いますが、会社あるいは組織でも似た話でもありますよね。航空部隊の場合、いざ作戦開始となったら司令官が一つ一つ指示するヒマはないですね、実際、渕田大佐は一番機で出撃しましたが、そのメインな役割は戦果確認でした。なので、それぞれのメンバーが目標を共有して、自律的に行動せざるをえない、そして、こうした最強のチームを作るためには、優れたリーダー、絶え間ないトレーニング、目標の共有が欠かせなく、優秀な企業にも共通してみられる傾向ではありますね。ただ、これを常に維持するはとても難しいと思います。

 維持するという点では、作戦指導部は、真珠湾攻撃が上手くいきすぎたところもあり、慢心が芽生えたのでしょうね。その後、ミッドウェー海戦を契機に百戦錬磨のパイロットもどんどん失われ、敗戦となります。そして、渕田大佐は、理不尽な戦後処理に疲れ、引退するも、キリスト教に改宗し、布教という第二の人生を送ります。 歴史に「タラレバ」はありませんが、学ぶことは多いと思います。それは、強いチームのつくりかた、リーダーが明確なビジョンを掲げて、そのためにトレーニングをして、チームが同じ方向に向かって目標を実現する、これは今でも学ぶ点がありそうです。

教材づくりという目標

1月 3rd, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (教材づくりという目標 はコメントを受け付けていません)

あけましておめでとうございます、といっても、もう正月も3日になってしまいました、かつ、新年の決意表明とか目標とか、あまり達成した記憶がないので汗、基本はこの手のヤツはやらないのですが、自分のなかで、これからもやりたいことは何かな、と新年つらつら考えていたことです。

 基本、新しいことを学ぶことが好きなので、新しい分野のチャレンジ、会社をもっと強くしたい、などなどいろいろあるのですが、そのベースが教材づくりにあるのかなと思いました。自分と教材づくりとの付き合いは長くて、たしか最初は、20年くらい前に、シスコのCCNA向けのネットワーク研修のための教材づくりですね、TCP/IPの基本・応用を学んで、CCNAを取得するみたいなプログラムで、2008年に「これならわかるネットワーク」(講談社ブルーバックス)にもなりました。その後、NHK教育テレビ番組「ITホワイトボックス」などに関わらせていただいたのは今では懐かしい思い出です。

 そのあとは、たしか2015年くらいに、今は亡きインプレス顧問の故佐藤邦夫さんから「ナガハシ、お前大学のとき統計やっていたよな? 機械学習セミナーの講師やってくれ」という無茶ぶりもあり、まあ、たしかに大学というか証券会社のアナリストのときに統計っぽいことをやっていたので、2016年くらいから機械学習・ディープラーニングの教材づくりを開始しました。ただ、開始当初は、ヒドイもので、かなりクレームがありましたが、受講生からのフィードバックなどを通じて、受講生が何を知りたいのかのニーズを拾って、改善を繰り返してきました、何社かとやらせていただいたのですが、そのときの教材がいまでも利用されているとこもあるようで、やった甲斐がありました。本はそれほど売れませんでしたが、2冊ほど出しました。

 最近では、昨年シェアした記憶がありますが、野原ホールディングスのCFOとして、従業員向けにマネープランニング・投資教育の教材づくりを始めました。おカネとどう付き合うは古くて新しいテーマですが、DC・iDeCo・NISAなど長くおカネと付き合うことでメリットが得られる制度が増えてきたので、これからおカネとどう向き合うのか、自分も含めて何かしらの気づきがあればよいなと思います。こちらは社内限定で熟成中ですが笑、どこかのタイミングでアウトプットできればよいですね。

 で、こうした教材づくりをするのは、自分が教えたいという教育者的な信念は全くなくて、教材づくりを通じて、自分にも学びが得られるというところが大きいと思います。かつて、幕末の蘭学者・医学者の緒方洪庵の設立した適塾は、新しい西洋学問を学びたい門下生が多すぎたため、直接、緒方洪庵が指導する時間がなくて、門下生が門下生を教えるというスタイルだったそうです。で、その門下生であった福沢先生はこのスタイルを「半教半学」に結実させました、これは教師・生徒関係なく、お互いに教えあい、学びあうことでお互いを高める、能動的に学習するという点で、いまでいうアクティブラーニングに近いのかもしれないですね。自分の理想も、教材づくりを通じて、自分が少しでも新しいことを学びたい、ここにスタートラインにあるように思います。

 まあ、教材というとややかしこまった感はありますが、自分のイメージとしては、たたき台、ディスカッションマテリアルに近いものだと思います。やはり、どんなことをやろうとしても、話しているだけでは空中戦になってしまって前に進みません、たたき台をたたいて、PDCAを繰り替えして、よい教材にする、今年というかこれからも続けていきたいと思いますので、皆様方におかれましては、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2022年 今年読んだよかった5冊

12月 29th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (2022年 今年読んだよかった5冊 はコメントを受け付けていません)

2018年から読書メーターで読んだ本を記録して、今年の5冊を紹介するのが習慣になっています。で、2022年は94冊でした、ここ5年間ほぼ同じペースです。たぶん、生活スタイルがあまり変わらないので、読むペースもあまり変わらないのだと思います。 

ただ、このスタイルは、変わらないようでも、最近は若干変わってきました、やはり、電子書籍ですね、ここ2年くらい読み放題のKindle Unlimitedを購読していて、最近はラインナップがかなり充実してきました。それでKindle経由は増えてきましたが、Kindle Unlimitedの場合、本を借りて返す図書館スタイルなので、電子なのに記憶が残らないというデメリットもあり、この辺は割り切りなのかもしれないです。 

その一方で、紙の本は減っていますよね、感覚的には本屋がどんどん減っている気がします。前は待ち合わせとかのとき、ちょっと早めについて本屋で立ち読みみたいなことが好きでしたが、いまはほとんどないですよね、まあ、スマホに置き換えられた感じでしょうか。それはそれで仕方ないかもしれないですが、最近はふらっと立ち読みがない分、偶然の出会いというか、面白い本を見つけるハードルもあがっている気がします、もしかしたら、紙でなくてデジタルでその努力をしたほうがよいかもです。そんな過渡期ではありますが、今年の5冊はこれです。

敗北からの芸人論 ― 知り合いの芸人を書くだけ、以上です。ただ、その目線が優しいです。それは、ダウンタウンには勝てない、相方であるノブシコブシ吉村には勝てない、というノブシコブシ徳井の「敗北」があるからこそ、優しくなれると思いました。

豪商の金融史 ― サブタイトルは「廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション」、廣岡家は、朝ドラ「あさが来た」のモデルの廣岡浅子で、近年、江戸・明治時代の文書の解読が進みました。江戸時代、廣岡家は、中津藩に大名貸しをしていたそうですが、貸し倒れを防ぐべく事業計画の策定など今の企業再生コンサルのようなことをしていたようです。江戸時代というと近いように思えるけど、まだまだ解明されていないことがたくさんありますね。

危機の外交 ― コロナで惜しまれつつもお亡くなりになられた岡本行夫氏の自伝、海部政権の湾岸戦争での失敗、沖縄の基地移転問題など当事者目線で、そうだったのかと思わせることが多いです。

DIE WITH ZERO – 以前に紹介した本ですが、今年一番影響を受けました。おカネを貯めるだけではなくて体験に使う、アリとキリギリスの中間、ややキリギリス寄りの発想で、目から鱗でした。

複眼の映像 私と黒澤明 ― 著者の橋本氏は黒澤明の「羅生門」、「七人の侍」といった初期作品にシナリオライターとして参加。黒澤明というと世界的に有名な映画監督であるものの、何がスゴイかいままでイマイチわかりませんでした。で、これを読むと納得、初期作品は、ライター先行型で、複数のシナリオライターが同じ脚本を書いて、その中からよいものを採用するという機械学習でいうアンサンブル学習的なスタイル。そこから「いきなり決定稿」として、こうした共同の要素を排した結果、「影武者」、「乱」などストーリーに奥行がなくなってしまったと。だけど、ほぼ最後の「夢」では終わり良ければ総て良しで、黒澤明らしさが戻ると。

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