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魂の奥底にある「分人」

1月 10th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (魂の奥底にある「分人」 はコメントを受け付けていません)

 年末年始に読んだ本で、とても印象に残ったのが「私とは何か 「個人」から「分人」へ」(平野啓一郎、講談社現代新書)です。


 もともと、この本のコンセプトは、これまで私は「個人」で括られることが多かったなかで、「分人」でもいいじゃない、という「私」の別の見方の提示にありそうです。


 まあ、会社でいえば、新卒で入社した会社で、ずっとその会社に勤めて、定年退職する、会社人間というのでしょうか、会社=人生=これ以上分けることができない「個人」でもあります。 一方で、最近は会社人間も少なくなりましたよね、流行りでは副業、あるいは、週末のコミュニティ活動とかでしょうか。「私」は、一人ですが、いろいろな顔・性格を持ち、分けることができる「分人」であると。


 で、印象に残ったのは、2つです。まず、「本当の自分とは何か?」と。


 今となってはもうだいぶ古いですが、自分が中学あたりのとき、尾崎豊の「卒業」が流行っていて、カラオケでも何度も歌った記憶があります。 彼は最後にこう叫ぶのですね、「あと何度自分自身卒業すれば本当の自分に辿り着けるだろう」、これはどういう意味なんだろう?と当時からずっと疑問に思ってました。 ただ、この「分人」という概念を当てはめると、何度卒業しても、その卒業した自分は「分人」であって、そうした分人も認めてあげてもよいのではないかと。 尾崎がこの曲にこめた思いとは違うかもしれないですが、20数年来の疑問が自分なりに整理できました。


 もう一つは、「分人と死」ということです。


 平野氏は最後に分人と死について語ります、いわく、「あなたの存在は、他者の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける。」(p154) 

最近は、だいぶ回数が減りましたが、仏壇の前でご先祖様、亡くなった方に手をあわせる、故人の思い出を語る、それは分人を通じて、残り続けると。 ピクサーの映画「リメンバーミー」も似たコンセプトですよね。主人公ミゲルは、ひょんなことから一度死んだ国である「死者の国」に舞い込みます。 この「死者の国」では、ガイコツ人間となって、生きることができますが、自分のことを思い出してくれる人が誰一人いなくなったら「二度目の死」を迎え、消滅します。 「分人」という話では、他者の分人がいるうちは、この世界に残りつづけますが、それがなくなったら、「二度目の死」を迎えると。そう考えると、ご先祖様を大事にしなくてはいけないですね。


 かつて村上春樹は、「物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。」と指摘しています。 この分人も、平野氏が小説を構想するうえで、魂の奥底まで、考えて、考えた結果なのではないでしょうか。そうした魂の奥底をアクセスできる、とてもよい体験でした。

2021年 今年読んだよかった5冊

12月 26th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (2021年 今年読んだよかった5冊 はコメントを受け付けていません)

 21年もあとわずか、毎年恒例の今年の5冊です、これを投稿しないと年を越せない気分です笑 で、ここ10年以上、同じくらいのペースで本を読んでいて、今年もほぼ例年通りの94冊でした、18年から読書メーターで計測いますが、4年間ほぼ同じペースで、長年の習慣の賜物ですね。今年読んだよかった本です。


1. 起業の天才 ― これは抜群に面白かったです。リクルート創業者江副氏の評伝、謦咳に接することはありませんでしたが、江副さんはどこまでも科学・合理性を追求された方ですね。歴史に「たられば」はありませんが、リクルート事件がなければ、日本のアマゾンになっていたかもしれません。


2. エクストリームエコノミー ― 前にも紹介したかもしれませんが、ビジネス系で一番面白かったです。日本の秋田の超高齢化社会、チリの超自由競争社会、ヨルダンのザーダリ難民キャンプでの超法規社会、いずれも「超(エクストリーム)」のなかで、生き残るためのレジリエンス(復活力)、切り口が素晴らしいと思いました。


3. アルツハイマー制服 ― 青森では昔から年をとるとボケ症状が発生し、その原因の解明から、エーザイのアリセプトの開発話、さらには、最近、承認か否認かで割れているエーザイ・バイオジェンのバイオ治療薬「アデュカヌマブ」まで、ノンフィクションかくあるべしという緻密な取材が光る一冊。


4. 中部銀次郎 ゴルフの真髄 ― 今年からゴルフを始めました、まだまだ下手っぴですが、ご一緒にラウンドしましょう。自分は頭で理解するタイプなので、いろいろなゴルフ本を読みました。そのなかで、中部銀次郎氏、プロに最も近いアマと呼ばれた方、プレーが上手いこともさておき、ゴルフに対する姿勢、一言でいえば、「人生はゴルフそのものである」、人生を競馬に例えたゴルフ界の寺山修司といったところでしょうか。いいときもあれば、悪いときもある、それを受け容れることに彼の真骨頂があるように感じました。


5. 嫌われた監督 ― プロ野球とは残酷なもので、契約書には勝つべしと明記されて、勝つための確率をあげるために守備を強化する、ホームランに頼らない、という地味な取り組みで落合監督はリーグ優勝、日本一と結果を出したものの、華がない、若手を育成しないなど結果的に「嫌われ」ました。組織もそういうことありますよね、結果は出すけど、嫌われる人。でも、「好かれる」ために余計なことをするより、結果を出すことにフォーカスする、こちらの方が大事です。この本はそんな結果を出すことは何か?について考えるきっかけになりました。


2022年も新しい本との出会いを楽しみにしています。

読書メーター: https://bookmeter.com/users/814464/bookcases/11659778?sort=book_count&order=desc

必要十分条件とわかりやすさ

12月 12th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (必要十分条件とわかりやすさ はコメントを受け付けていません)

たしか、先日の日経新聞に、経済活動を担う生産年齢人口(15~64歳)はここ5年で226万人減少していて、今後はデジタル化等の生産性の向上が必要という話がありました。まあ、生産年齢人口は減っているのも事実ですし、デジタル化などで生産性向上も必要ですよね。

 が、生産年齢人口減少という「課題」に対する対策は本当に生産性向上だけでしょうか?もちろん、生産性向上も大事ですが、たとえば、外国人の活用もそうですし、あるいは、今後の生産年齢人口を増やすために、子供を増やしやすくする、いろいろあると思います。

 まあ、これは生産性向上が解決策としてよいわるいという話ではなくて、これは必要十分条件の話と思いました。前回の帰納と演繹と同じで、そういえばそんなのあったですよね。自分もそんなのあった状態だったのですが、いつぞやか、マッキンゼーのコンサルタントが必要十分条件を上手く使いこなしていて、こういう整理方法もあるのだと感心して以来、使ってます。

 ざっくり言うと、十分条件は、ある仮説を十分に満たすための要素、たとえば、人口減少の課題解決するために必要な仮説は、DX化、子育て支援、外国人の活用とかです。で、必要条件は、その表裏一体で、DX化、子育て支援、外国人の活用は、人口減少の課題を解決すると。

 で、ポイントは、必要十分条件で、最初のように今後の人口減少の課題=DX化だとわかりやすいですが、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう点かもしれません。やはり、わかりやすくするには選択肢をできるだけ落とした方がわかりやすいし、一方で、選択肢が多いと「何が言いたいのかわからない」状態になってしまいますね。

 さて、話を戻すと、何でもそうですが、メディアの場合、やはり、わかりやすく伝えるのが仕事と思います、なので、そのわかりやすさを「本当にそうなの?」、「他にも選択肢があるのでは?」と問いかけること、いわゆる、反証可能性に近いことかもしれないですね。

たしか、先日の日経新聞に、経済活動を担う生産年齢人口(15~64歳)はここ5年で226万人減少していて、今後はデジタル化等の生産性の向上が必要という話がありました。まあ、生産年齢人口は減っているのも事実ですし、デジタル化などで生産性向上も必要ですよね。

 が、生産年齢人口減少という「課題」に対する対策は本当に生産性向上だけでしょうか?もちろん、生産性向上も大事ですが、たとえば、外国人の活用もそうですし、あるいは、今後の生産年齢人口を増やすために、子供を増やしやすくする、いろいろあると思います。

 まあ、これは生産性向上が解決策としてよいわるいという話ではなくて、これは必要十分条件の話と思いました。前回の帰納と演繹と同じで、そういえばそんなのあったですよね。自分もそんなのあった状態だったのですが、いつぞやか、マッキンゼーのコンサルタントが必要十分条件を上手く使いこなしていて、こういう整理方法もあるのだと感心して以来、使ってます。

 ざっくり言うと、十分条件は、ある仮説を十分に満たすための要素、たとえば、人口減少の課題解決するために必要な仮説は、DX化、子育て支援、外国人の活用とかです。で、必要条件は、その表裏一体で、DX化、子育て支援、外国人の活用は、人口減少の課題を解決すると。

 で、ポイントは、必要十分条件で、最初のように今後の人口減少の課題=DX化だとわかりやすいですが、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう点かもしれません。やはり、わかりやすくするには選択肢をできるだけ落とした方がわかりやすいし、一方で、選択肢が多いと「何が言いたいのかわからない」状態になってしまいますね。

 さて、話を戻すと、何でもそうですが、メディアの場合、やはり、わかりやすく伝えるのが仕事と思います、なので、そのわかりやすさを「本当にそうなの?」、「他にも選択肢があるのでは?」と問いかけること、いわゆる、反証可能性に近いことかもしれないですね。

帰納と演繹

11月 15th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (帰納と演繹 はコメントを受け付けていません)

 ちょっといい話です。帰納法と演繹法というと、高校の数学であった気がしたけど、もう忘れた、だいたいそんな感じではないでしょうか。ま、帰納法と演繹法、名前自体はそれほど大事ではないと思います。

 むしろ、大事なのはそれぞれの役割で、帰納法は、ボトムアップ、ミクロの目、具体的な様々な事象から一般的な結論にもっていくアプローチです。たとえば、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、こうした具体的な値段があがることから示唆される一般的な結論は物価が上がる(インフレ)、といったところです。

 で、演繹法はその逆で、トップダウン、マクロの目、一般的な結論・仮説をもとに、具体的な事象を敷衍するアプローチです。物価の話でいえば、いまは物価が上がっている(インフレ)、だから、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、というアプローチです。

 で、最近思うのは、ロジカルシンキングというか、何かしらの論拠に基づいてキチンとコミュニケーションができる人は、こうした帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を自在に使いこなしているように思います。空中戦というのでしょうかね、概念的でわかりにくい話であれば、「具体的にはどういうこと?」という問いかけで、演繹(具体化)する。あるいは、具体的な話であれば、「それ、まとめるとどういうこと?」ということで、帰納(一般化)する。具体化と一般化を行き来する、それによってわかりやすさが生まれるのだと思います。

 そういえば、かつてお伺いしたことがあるのですが、建築家も同じアプローチのようですね。こうした家を建てたいといったコンセプト、一般論があって、それを演繹(トップダウン)で具体的な要素・材料に落とし込む。そして、具体的に落とし込みながらも、帰納(ボトムアップ)で、一般的なコンセプトに近づける、この演繹と帰納の行き来がよいモノを生み出すのだと思います。

 さて、帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)、ともすれば、どちらかに偏りがちのように思います、「今までは自分はトップダウンアプローチでやってきて、これが正しい」みたいな。それはそれでありなのかもしれないですが、それ以上に帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を行き来すること、これが大事のような気がしました。

知ることと行うこと

10月 26th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (知ることと行うこと はコメントを受け付けていません)

  先日、ある方とお話して、いろいろ気付きがあったので、シェアします。最近の10代、20代、ほとんど新聞を読んでいないと言います。まあ、それはそうですよね。これまでは、ニュース・情報を把握する手段は、新聞・雑誌・ニュースでしたが、いまは、新聞がなくても、ネットで十分です。たとえば、自分もスマートニュースを毎日読んでますが、興味があるニュースが集約されていて、便利ですよね。

 そういう意味で、紙の新聞がこれからどんどん減るのは仕方ないかもしれません。ただ、一歩引いて、大事なのは「知る」とはどういうことか、なのではないかと。まあ、新聞、ネットを問わず、毎日、いろいろなニュースが入ってきます。昨今では、週末の衆議院選挙の動向なんかそうですよね。

 やはり、選挙の場合、発信側の候補者の動機は単純で新聞・ネットを通じて、情報・政策を発信して、我々は、そのニュース・告知を「知り」ます。で、おそらく、大事なのは、単に「知る」ことで終わるのではなくて、そこから「実行」につなげることなのかと。まあ、この選挙でいえば、候補者の言っていることは納得できる、だからこの候補者に投票しよう、といったところでしょうか。あるいは、ネットニュースでダイエット法が紹介されていたから、それを実践する、これもアリですよね。自分が知ったことを実行する、自分が是とする陽明学の「知行合一」でもあります。

 さて、自分が知ったことを実践する、これは知ったことと実践することの「差・ギャップ」があればあるほど、面白い、価値がある、イノベーションなのかと思っています。たとえば、今から160年近く前の幕末・明治、福沢諭吉は咸臨丸に無理矢理ネゴって乗せてもらい米国、渋沢栄一は徳川昭武の随行としてパリに訪問しました。そこで「知った」ことを日本で実践して、近代日本の礎となりました。

 閑話休題、新聞の話。まあ、10代、20代が新聞を読まないこと、それはそれで仕方ないかもしれないです。ただ、むしろ、重要なのは、「知る」ことを「実行」すること、そして、「知る」の裾野が広い方がよいと思います。今の時代、かつての福沢諭吉、渋沢栄一が「知った」未知の世界は少なくなっているかもしれないですが、どんな媒体を問わず、「知った」ことを「実行」する、これが大事なのかなと思いました。

真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー

10月 9th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー はコメントを受け付けていません)

 10月のはじめと言えば、ノーベル賞ウィーク、今年はノーベル物理学賞に気象学者真鍋さんが選ばれました。50年近く前、コンピューターが普及していなかった状況のなか、計算量が必要な大気モデルを構築したこと、まさにパイオニアだと思います、おめでとうございます。さて、真鍋さんは日本生まれですが、米国国籍、記者会見でなぜ国籍を変更したかという質問に対して、「日本人はいつもお互いのことを気にしていて、調和を重んじる関係性を築いている一方アメリカでは他人の気持ちを考えず、好きな研究に集中できるから国籍を変更したと」いいます。


 たしかに、アメリカの場合、調和を重んじるというより、ある道に突き詰めた人をリスペクトするカルチャーはありますね。あと、大学の場合、テニュア(終身在職権)を取得すると、研究費は自身で調達しなくてはいけなかったと記憶してますが、定年とか関係なく好きなだけ在籍することができますよね。日本の場合、定年を越えると名誉教授とかなるのとはちがって、自分の好きなことを生涯通じて取り組める、このあたりは日本よりアメリカの方が分がありそうです。


  一方で、調和を重んじる関係性というのはデメリットだけではない気もします。たとえば、最近の例では、ワクチン接種、日本では調整が遅れてスタートしたのは春あたりでしたが、お互いのことを気にするカルチャーならではないでしょうか、あっという間に60%を越えて、アメリカよりも接種率は上がっています。あとは、会社でもそうですが、チームプレーは全般的に他人に関係なく、自分の好きなことをしていればよい、というわけにはいかないですよね。というわけで、調和によって新しい価値を生み出せることもあるのかと。


  おそらく、これは個人で完結する個人プレーかお互いの調和を重んじる団体プレーかという話と思います。真鍋さんは、団体プレーが窮屈で個人プレーに専念して、そしてその研究の成果がノーベル賞に結び付きました。そして、団体プレーでは、一つの方向に向けてお互いを気にしながら、調和を重んじることがよい結果につながることもあります。で、これはどちらかがよいというのではなく、それぞれの特性なのかもしれないです。自分はもともと個人プレーで団体行動は大嫌いでしたが、30歳過ぎくらいになってからですかね、チームとして一つの目標に目指す、団体プレーが楽しくなってきました。

  どういう人が個人プレーに向いていて、どういう人が団体プレーに向いているのか、それは人それぞれで共通の解はない気もしますし、自分のように変わることもあります。ただ、真鍋さんからのレッスンがあるとすれば、日本も個人プレーに対して認める、あるいは、場を提供することがあってもいいのかもしれないと思いました。

労働生産性に思う

9月 20th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (労働生産性に思う はコメントを受け付けていません)

 さて、たまに経済の話が面白いので、書いてほしいというリクエストをいただきます。で、今回は、労働生産性の話です。あ、自分は専門家ではないので、自分が理解した範囲で書いてます、なので、誤解もあるかもしれません、くわえて、所属する組織とは一切の関係はありません。


 自分の理解では、世界の経済は、コロナも予断を許さないも、落ち着きつつあるようです。米国をはじめとした中央銀行においても、コロナが猛威を振るった昨年は大規模な金融緩和を実施しましたが、そこから徐々に緩和を縮小して、利上げに向かいつつあります。米国は、年内に金融資産の買取を縮小する、いわゆる、テーパリングが市場の話題にもなっていますね。

 で、日本の場合、もう10年近く、中央銀行である日銀は、金融緩和、すなわち、利率を下げて、マネーの供給量を増やして、結果として、2%の物価上昇(インフレ)を目指してます。ただ、このインフレ目標がなかなか達成できなくて、その先の出口である金融緩和の縮小もめどが立っていない状況です。

 なぜ、インフレ目標が達成できないか?、国としての将来に不安がある、今後少子化が進み経済活動が縮小する、などいろいろあるようですが、日銀では賃金(給料)が上がらないことが大きな要因としています。賃金があがって、消費に回して、物価が上がると。そして、なぜ、賃金が上がらないか?やはり、労働生産性の低い会社が多いのではないかと思います。


 たとえば、前職ではとても苦労したのですが、日本の場合、労働者をクビにすることは難しいです。で、これをどうにかするという議論は必要でしょうが、それはさておき、クビにできない以上、何かしらの形で雇用を維持する必要があり、そのコストが結果として労働生産性さらには賃金が硬直する要因になると。 

この話は、正解があるわけではなくて、難しい話と思いますが、ただ、クビにすることがだけが労働生産性向上の唯一の手段ではない気もします、これは45歳定年も似た話かもしれないです。むしろ、適材適所というか、それぞれの社員の長所を最大化するポジションを提供する、あるいは新しいビジネスを創出して、そこに人材をあてる、これはマネジメントの役割でもありますよね。

 というわけで、マクロでみたら労働生産性が低いのかもしれないですが、ミクロでみたらちゃんとできている会社もあるし、伸びしろのある会社もあります。というわけで、金融緩和の出口はいつかはわかりませんが、会社の体質を強化して、労働生産性を上げて、賃金を上げる、これが礎のような気がします。

ダークホースとチャンス

9月 10th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ダークホースとチャンス はコメントを受け付けていません)

「Dark Horse 好きなことだけで生きる人が成功する時代」を読みました。表題のダークホースは、競馬でいう穴馬ですね。競馬の場合、事前オッズで1~3倍くらいを本命◎、順当にいけば勝ちます。ダークホース穴馬▲はレースの展開によって番狂わせで勝つ、ですね。ただ、馬主的な観点から言えば、出走するレースは全力を尽くして勝つつもりで、本命も穴も関係ない結果論でもあります。
 

で、この本でいうダークホースは、標準のコースではないはずれたコースです。たとえば、標準コースで、天文学者になるには、大学で天文学を専攻して、博士号をとって、研究者になる、ま、いわゆる、順当なコースです。ダークホースの場合、高校を卒業して、アルバイトをしていて、星に興味をもって、そこから勉強をして、天文学者になったという、本命ではない、亜流、ダークホースの位置づけがあると。


 ま、この手の話は、本人のモチベーションというか志というかやる気次第なところは大きいと思います。たとえば、音楽が本当に好きであれば、その好きなことをするために、どんな境遇だろうが徹底的に努力して、ポジションを勝ち取ると。


 ただ、この「ポジションを勝ち取る」のは、我武者羅に努力するのではなく、自分にあった方法で勝ち取るべしと言います、これは大事な視点ですよね。たとえば、ワインソムリエの最高資格マスター・ソムリエ資格は、単にワインを暗記するのではなく、知識・経験・想像力あらゆる力を発揮しないと合格できない資格といいます。で、この資格に合格するには、単に暗記、時間をかけるのではなく、論文を書くのが得意なのではあれば論文を書く、あるいは、味覚と身体感覚(この赤ワインであれば、舌がピリピリするなど)が鋭いのであれば、これを活かすなど、自分にあったやり方・勉強方法を見つけることが重要だと。


 自分の理解では、全員がダークホース▲になるわけではなく、問題外である無印も存在します、そして、無印が勝つこともあります。ただ、どんなレースでも1位は1頭しかいません。なので、本命◎もあれば、ダークホース▲もあれば、無印もある、この多様性というのでしょうか。誰にでもレースに出走して、勝つチャンスがある、たとえば、江戸時代の封建制度では才能があってもレースに出走できないですね、チャンスを与えること、これが重要だと思いました。

東京パラリンピックにみるレジリエンス

8月 30th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (東京パラリンピックにみるレジリエンス はコメントを受け付けていません)

 

 東京オリパラ2020,オリンピックは、日本人が大活躍でメダルも過去最高、素晴らしかったです。ただ、自分としては、オリンピックも素晴らしかったですが、それ以外にパラリンピックがそれ以上に素晴らしかったです。 

 やはり、オリンピックに比べるとパラリンピックはあまり注目されないのかもしれないのかもしれないですね。自分も、これまでのオリパラでパラリンピックはちゃんと観た記憶があまりないです。ただ、今回の東京オリパラ、ゴールインタイムでもパラリンピックの中継があって、本当にちゃんと観ることができました。

  その中で、今日、8月30日、100m決勝T64は、本当に素晴らしいレースでした。本命は、英国のジョニー・ピーコック選手(写真:右)、これまで2連覇、ただ、1年前太ももを痛め、1年延期が結果としてチャンスになったと。そして、対抗がドイツのヨハネス・フロア選手(写真:左)、幼少時に病気のため両脚が痛くて堪らなくなったため、両脚切断して、両足義足になったと。

 当たり前ですが、誰もがなりたくて障害を持つわけではないです。くわえて、この手の障害は、医療行為で回復できるのではなく、現状を「受け入れる」しかないと思います。そし、その現状を「受け入れて」、そこからベストを尽くす、この回復力というか、レジリエンスですよね。もし仮に自分が同じ立場に置かれたら、嘆くだけで、もう二度とスポーツはしないと思います。この強靭なメンタルに本当に頭が下がる思いです。

 ただ、当事者にとって、障害とかそんなのは関係ないのだと思います、自分のできる範囲のベストを尽くす、某24時間テレビとは違うスタンスかもしれないです。結果として、レース本番、ピーコック選手、フロア選手、同着で3位、素晴らしいレースでしたが、1位ではありませんでした、お二人は悔しいのではないかと思います、だからこそ、次のレースも楽しみにしています。

 今回、コロナでオリパラ中止という話題は何度もありました。もちろん、感染拡大を防ぐための手段は必要だと思いますが、そのなかで、開催したことに敬意を表したいと思います、そして、次のパラリンピックも観たいと思いました。

イギリスのクラシックとロック

8月 25th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (イギリスのクラシックとロック はコメントを受け付けていません)

 旅の思い出、ベトナム、US、シンガポールについで、英国(UK、イギリス)です。たしか、自分が初めて海外に行ったのは、大学受験が終わった1996年、もう四半世紀前ですね、母親といったイギリスです。当時は、飛行機に乗るのも初めての経験で、離陸のときの高揚感は今も忘れません。

 その後、初めて海外に6か月以上、滞在したものもUKです、ドクター終わって、半年、ポスドクとしてケンブリッジ大学コンピュータ研究所でお世話になりました。さらには、アナリスト、IRとして、ロンドン、エジンバラの機関投資家に訪問と、たぶん、自分にとっては、日本の次に滞在歴が多く、馴染みのある第2の故郷かもしれません。

 さて、このイギリス、自分の理解では、クラシックとロックが混ざっている国だと思います。クラシックは、過去のしきたりを守るというのでしょうか、貴族制度もそうですし、景観もありますよね、同じ景観を維持することが、イギリスにとっては大事な指標で、たとえば、アップルストア、ユニクロがオープンする際にも、19世紀の外観をキープしつつ、内装を変える、この保守というかクラシックさがUKの伝統ですね。

 ただ、守るだけでもなく、ロックというか新しい試みを積極的に取り入れるのもイギリスの懐の深さです。かつて太陽の沈まぬ国と言われた大英帝国の矜持でしょうか。古いものを守るのではなく、新しいものを取り入れるのもイギリスの良さと思います。ビートルズもイギリスですしね。ケンブリッジでも、イギリス、ヨーロッパだけではなく、世界各国から留学生が集まっていました。いまでいうダイバーシティでしょうか、保守ながらも多様性を受け入れる「ロックの素地」があるように思います。

 さて、このイギリス、いち早く、コロナとともに生きる、ウィズコロナを選択しました、もしかしたら、この多様性を受け入れる、この「ロックな素地」にあるかもしれないです。もう5年以上、イギリスには行ってませんが、いつかまた第2の故郷に訪問できること楽しみにしています。