ネット時代の一次情報と二次情報 

6月 24th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき

本日のニュースで立花隆氏が逝去されたこと知りました。謹んでお悔やみ申し上げます。残念ながら、謦咳に接することはありませんでしたが、「僕はこんな本を読んできた」、「臨死体験」、「中核vs革マル」などの著書を通じて、「知ることの楽しみ」を教えていただいた恩人とも言えます。

 で、ネットで彼の仕事について、本をたくさん読んでいて、その二次情報の寄せ集めなのではという記事を読みました。この賛否はともかく、ネット時代の一次情報と二次情報、思うところがありました。

 一次情報とは、一次、すなわち、自分が直接、「経験」したことです、それは自伝のような自分の人生の「経験」もそうでしょうし、食レポのように自分で食した「経験」、あるいは、誰かにインタビューして対話した「経験」、そうした自分にしかできない「経験」、それが一次情報と言えます。 

 二次情報は、こうした一次情報をもとに「編集」した情報ですね。たとえば、本を読んで、そこから得た情報、いわゆる、公開情報をもとに得た情報とも言えそうです。やはり、ネット時代だと、この二次情報の価値がゼロではありませんが、確実に薄れていると思います。このあいだ書いたD2C本では、かつては百貨店は世界各地で起きているトレンドを先駆けて仕入れて、それを2次情報として「編集」して日本向けにアレンジする、これが付加価値でしたが、今は誰でも一次情報にアクセスできる時代になりました。

 ただ、二次情報が完全に価値がなくなるかといえばそうでもない気もします。ある意味、商社のビジネスに似ているところもありますよね。やはり、二次情報の「編集」する目的は、エンドユーザ(最終消費者)にとってメリットがあるからだと思います。たとえば、今週のアマゾンプライムセール、自分はいろいろ見ていましたが、どれを本当に買うべきものなのか正直よくわかりませんでした、だからこそ、信頼する編集者、キュレーターが欲しい分野と思いました、「プライムセール、これを買うべし!」みたいなヤツですよね。

 本題に戻って、立花隆氏、自分にとっては、そうした編集者、キュレーターのような存在だったと思います、中核と革マル派とのちがい、臨死体験の想像、そして、ネットの可能性、そうした「知ることの楽しみ」を教えていただいたように思います。心よりご冥福をお祈りいたします。

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