ITは人を幸せにするか?

9月 27th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき

先日、とある方とお話する機会があって、大いに考えさせられる機会がありました。

自分は長いこと情報技術(Information Technology)に身を置いてきて、基本的にIT化することはよいことだと思っています。

IT化の最大の恩恵のひとつは、知識のオープン化。

もう10年以上前からだけど、一部の大学では、その大学の教員による授業を包み隠さず公開しています。

Open Course Wareは、その代表例だし、最近では、MOOCもこの流れだと思う。

で、包み隠さず授業を公開してしまったら、大学に行かなくてもいいじゃないか?と思うかもしれなけど、実はそんなことはない。

むしろ、大学側が全く想定していない、かつ、世界中の優秀な学生が、その講義をネットで閲覧して、かつ、オンライン講義を履修して、優秀な成績を収める。

そうした優秀な学生を引っ張ってくれば、大学はますます活性化する。一種のタレント養成機関の一種とも言えるかもしれない。

実際に、モンゴルの高校生がMITのオンライン授業で優秀な成績を収め、最終的にMITに留学するというもあり、やはり、これはIT化の最大の恩恵とも言えると思う。

でも、ITによって、失われる部分もあると思う。

そのなかで、自分が危惧しているのは、人間の思考力の低下。

たとえば、Google。自分は、何度かGoogleによって世界が変わるみたいな、Google礼賛記事、書籍を書いたりしました。

もちろん、テクノロジーという点では、Googleは素晴らしい企業だと思います。

”いろいろなところから引用されているホームページこそがランクの高いホームページ”という単純明快な切り口で検索のビジネスを一変し、さらには、検索連動型広告で、ユーザの気持ち=たとえば、サバ寿司で検索したら、サバ寿司の広告を表示する = ユーザはサバ寿司を食べたいことから検索したので、その広告をクリックする、というイノベーションで、IT業界を席巻したのは、記憶に新しいところです。

ただ、自分が思うのは、ITが便利になればなるほど、人間が判断する余地が少なくなること。

たとえば、今後の技術の進歩の結果として、無人運転が実用化されると目されている、もちろん、自動運転は技術的には素晴らしいことだと思う。

そして、自動運転が当たり前になれば、言うまでもなく、コンピュータが勝手に運転してくれるので、人間が判断する余地が少なくなる、ちょっと、ネガティブな言い方をすれば、人間が判断することなく、コンピュータに任せてしまう。

もちろん、自動運転だからといって、すべてをコンピュータに任せるわけではないけど、やはり、人間が考える余地が減ってしまうと思う。

そう、こうしたコンピュータが考えてくれる”人工知能”はすばらしいことだと思う。でも、人間が人工知能に頼って、考えることをやめてしまったら、たぶん、良いことはない。たとえば、レコメンデーションエンジンで、”この人に投票しましょう”というレコメンドが出て、何も”考えず”に投票してしまって、後の祭りということは十分あると思う。

じゃあ、どうするか?

やっぱり、人工知能の時代だからこそ、”脳に汗をかくくらい”考えなければいけないと思う。ある命題について、考えて、考えて、考えまくる。そのプロセスが人工知能時代にはますます重要になると思う。

そのなかで、一つの指針となるのが、20世紀の科学哲学者カール・ポパーが提唱した”反証可能性”という考え方。

反証可能性とは、ある仮説について、その仮説が誤っている可能性を示すこと。

たとえば、グーグルが提示したレコメンデーションはあくまでも仮説であって、それが100%正しいとは限らない。

そして、その仮説が間違っていたら、それを自分で考えて、判断すべきであり、グーグルがリコメンドしていることは100%正しいとおもねってはいけない。

だからこそ、こうした”反証可能性”を養うこと、批判的精神を養うこと、これを涵養することが、人工知能時代にとても重要だと思うのです。

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