「史観」と「藪の中」

8月 4th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「史観」と「藪の中」 はコメントを受け付けていません)

 「決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8か月」を読みました。もともと、筆者は、コーポレートガバナンスの本を書く予定で、そのなかで、LIXILのお家騒動を取り上げることで、コーポレートガバナンスとは何かを問うと。

 このお家騒動、2019年に大々的に報道されました、LIXIL合併前のトステムの創業家の潮田氏は、持株比率は3%程度であるものの、業績不振を理由に当時のCEOの瀬戸氏に対して「指名委員会の総意で取締役を辞任してもらう」(p14)と持ちかけます。で、論点は、この辞任が「本人による意思か?潮田氏による不明瞭なプロセスによる強要なのか?」と。当事者の瀬戸氏は、後者として、この不明瞭なプロセスに憤りを感じて、関係者、機関投資家などを巻き込みながら、株主提案として独自の候補を送り込み、勝つことは不可能といわれる株主総会で「勝利」を収めた、こんな話です。

 帯にあるように、この話、「ドラマよりドラマチックな企業ノンフィクション」に偽りはなさそうです。CEOとして会社改革に手ごたえを感じているところからの突然の辞任要求という挫折、そこからかつての仲間、INAXの伊奈家、機関投資家といった仲間を集めて、株主提案を提起したものの、議決権行使会社は会社側の議決権を推奨して、形勢不利であったものの、最後は奇跡の逆転勝利、本当にドラマを見ているようですし、江口洋介主演、WOWOWでドラマ化されるかもしれないですね。

 さて、ある過去の出来事に対して何かしらの解釈を加えることを「史観」と定義するなら、本書は「瀬戸史観」だと思います。その一方で、会社側はこの辞任騒動について取締役会の意思決定の経緯を弁護士経由で調査報告書を作成していて、本書ではこれを「潮田史観」(p72)と定義しています、この史観を端的に言えば、「瀬戸氏が辞任を申し出た」と。どちらかが正しいか?今から見れば、「瀬戸史観」が正しかったということになりますね。

 たしか国語の教科書に掲載されていたと記憶していますが、芥川龍之介の短編「藪の中」があります、これは黒澤明が「羅生門」として映画化したことでも知られていますね。で、藪の中で起こった男の殺人事件に対して、尋問を受けた7人の証言を並べた話で、それぞれの証言は微妙に異なり、真相が謎に包まれたままという話で、真実がわからないことを「藪の中」とも言います。まあ、「瀬戸史観」、「潮田史観」、すなわち、辞任を申し出たのか、強要したのか、どちらが真実なのかは「藪の中」ですが、様々な史観からフェアに判断する、これは大事ですよね、本書はこうした視点を提供してくれたように思います。

ドラッカー先生に学ぶ完全を求めること

6月 13th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ドラッカー先生に学ぶ完全を求めること はコメントを受け付けていません)

 さて、自分にとって本との出会いはかけがいのないもので、ブックオフで220円均一で購入した本がまさに僥倖でした。タイトルは、「往復書簡2 P.F.ドラッカー・中内功 創生の時」(ダイアモンド社、1995年)です。

 これは私淑するドラッカー先生とダイエーの創業者中内功氏との往復書簡です、なぜ、1ではなく2かというと、たまたまブックオフに2があったからです笑、ただ、この2の創生の時、ドラッカー先生の創生の時が綴られていて、目から鱗が落ちたので、シェアです。

 ドラッカー先生の最初の体験は、1930年あたり、彼が20歳前後のドイツのハンブルクでの大学生時代、当時、オペラ劇場は売れ残ったチケットがあれば大学生は無料で入場できたそうです(日本もやればいいですよね)。で、そのオペラ劇場での演目がヴェルディの「ファルスタッフ」、これはヴェルディが最晩年の1893年、80歳で書いた作品です、この80歳で書いた作品にドラッカー先生は「あの夜の衝撃は、一度たりとも忘れたことはない」と衝撃を受けます。

 なぜ、80歳でヴェルディが「ファルスタッフ」を実現できたのか?ドラッカー先生は調べた結果、ヴェルディのこの答えに辿り着きます「音楽家としての全人生において、私は常に完全を求めてきた、そしていつも失敗してきた。私にはもう一度、挑戦する責任があった」、ヴェルディは18歳から音楽家として80歳になるまで、いかに年をとろうとも、けっしてあきらめずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩み続けよう、そして、失敗しても完全を求めようと。

 では、どうやって目標とビジョンをもって自分の道を歩み続けるか?ドラッカー先生の次の気づきは、ドイツでの新聞記者での振り返りの経験にあると。20歳前後で入社したドラッカー先生は年に2回、50歳前後の編集長と年2回面談があり、そこで編集長から「集中すべきことはなにか?」、「改善すべきことはなにか?」、「勉強しなければいけないことはなにか?」徹底的に対話したと言います、今でいえば、1オン1ですよね。

 で、この振り返りの経験は、ドラッカー先生にとって、ヴェルディの完全をもとめて努力をするという命題を遂行する上で、欠かせない経験で、彼は毎年1回、完全をもとめて努力しているかを振り返って、目標を立て、そして、「その新しい仕事で成果をあげるためには何をしなければいけないか?」を問い続けなければいけないと言います。

 そして、その問いの答えは、自分で出すだけではなく、上司の教えを参考にする、あるいは、メモして、書きとめて、それで見直して反省する、何をしなければいけないかと常に考えて、完全を求めよと説きます。

 まあ、我々のような凡人にはドラッカー先生のストイックに1年に一度新しい目標を設定して、それを達成するために何をしなければいけないか、そして、完全を求めることは難しいですよね汗 とはいうものの、どんな年に関係なく失敗を恐れず挑戦すること、そして、挑戦するにあたって、常に完全を求めること、そして、完全にするために、何をしなければいけないかと問い続けること、これは大事な視点ではありますよね。

「最高の人生の見つけ方」という「体験」

5月 26th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「最高の人生の見つけ方」という「体験」 はコメントを受け付けていません)

 最近読んだ本 「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」に大いに刺激を受けました。で、人生が豊かになりすぎる究極のルールとは何か?その答えは、「おカネをためるのではなく、おカネを使って思い出「体験」をつくること」だと。

 たしかにそうですよね。平日は朝9時に会社に出社して、夜は退社して、寝る前だけの生活、さらには、土日も何もせずゴロゴロ過ごす。この本では、このルーチンを「自動運転モード」と定義しています。「自動運転モード」は、おカネをためるのは良いかもしれないですが、かりに、おカネをためて、定年退職して、自由に時間とおカネを使えるといっても、体力的に衰えて、楽しめない場合もあります。

 だからこそ、老後に備えて蓄えるのではなく、今にしかできない「体験」におカネを使い、最後は「DIE WITH ZERO」、おカネを使い切ってゼロで死ぬべしと。これはイソップ童話のアリとキリギリスの中間の生き方でもあります。アリのようにひたすら働いて、蓄えるだけではく、キリギリスほどの浪費ではないものの「体験」におカネを使うべしと。江戸っ子的には、宵越しの銭は持たず、とでもいったところでしょうか。

 さて、自分の大好きな映画に「最高の人生の見つけ方(Bucket List)」があります、温かくて泣けるいい映画です。主人公は、傲慢な実業家演じるジャック・ニコルソンと心優しい自動車整備工演じるモーガン・フリーマン。二人はたまたま病院の一室で一緒になり、かつ、二人とも末期がんを患っており、余命半年。二人は人生の終わりを知って、やりたいことリスト(Bucket List)を心ゆくまで「体験」します。日本でも、吉永小百合、天海祐希でリメイクされましたね、二人は最後、宇宙に行ってしましました笑

 で、いままで、最高の人生の見つけ方じゃなくて、どうしてバケットリストとか原題にしなかったのだろう、と思っていましたが、この本を読んで腹落ちしました。最高の人生とは、おカネではなくて、「体験」だと。さらには、人生の最後を知った時点で、その体験におカネを使うことが「最高の人生の見つけ方」だと。これは、深くて素晴らしい和訳ですね。

 さて、自分にとっておカネを使っても得たい「体験」は何だろう、後から振り返って思い出の配当となるのは何だろうと。まあ、やっぱり、ひたすら働いて老後のためにおカネをためることではないと思います。あとは、休みをダラダラ過ごすのもつまらないですね。さらには、スカイダイビングもやりました、エジプトのピラミッドもいきました。やっぱり、泣くほど笑うでしょうか笑いずれにしても、もっと「体験」に投資して、最高の人生の見つけたいと思いました。

株価にみる「自分ごと」と「他人ごと」

5月 8th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (株価にみる「自分ごと」と「他人ごと」 はコメントを受け付けていません)

 さて、日本電産の永守さんCEOに復帰するそうですね、理由は業績と株価が不甲斐ないからと。念のため、とくに、どの会社を特定しているわけではありませんが、株価について思うところというか、思いを改めました。

 最近はだいぶ少なくなりましたが、一時、時価総額経営というのが持て囃されました。株価(時価総額)をいろいろな手段を使って上げて、株価が高くなったところで増資をし、調達した資金で会社を買収するなりして、株価を上げて、さらに増資の繰り返すと。

 自分の感覚では、ライブドア事件以前までは、時価総額経営は良いことだという風潮でしたが、その後は強欲だとか、資本主義の負の側面だ、のようにあまり良い意味でとらえられないように思います。自分も割とアンチ時価総額経営に与していて、株価は適正な企業業績に上で決まるので、株価を無理に釣り上げるものではないのではと思っていました。

 ただ、最近思いを改めるようになっていて、株価を上げるのは経営の仕事と思います。つまるところ、それは株価をどこまで「自分ごと」にできるかなのではないかと。やはり、株価ほど、「他人ごと」にできるものはありません。ウクライナで戦争が起きれば株価は下がるし、アメリカで金利が上がれば株価は下がります。そして、ウクライナの戦争もアメリカの金利も、一企業の経営者がコントロールできる話ではありませんよね。さらに、株価自体も市場が決めるもので、一企業ができることはそれほど多くありません。

 ただ、ウクライナの戦争、アメリカ金利上昇で株価が下がっているから、それは仕方ないと「他人ごと」にするのか、どんな外部環境であっても、成長戦略を示して、業績をあげて、会社の価値をあげて、株価を上げる努力をする「自分ごと」にするか、この差は大きいと思います。

 で、この「他人ごと」と「自分ごと」の差は、オーナーシップ(株式持ち分)の差かなと。いわゆる、サラリーマン社長のようにオーナーシップが少なめの場合、株価が下がっても自分のフトコロが痛むわけではないので、やはり、「他人ごと」になりがちですよね。一方で、創業者・オーナーの場合、自分の資産に直結するので「自分ごと」になりやすく、オーナーシップが多めの経営者のパフォーマンスが比較的良いのも、「自分ごと」という観点で割と説明できるようにも思います。

 というわけで、投資のヒント。よく経営者インタビューで「株価についてどう見ておられますか?」という質問がありますが、「国際情勢の緊迫感で株価全体が下がっているので、仕方ない」よりも「国際情勢の緊迫感で株価全体が下がっているが、あらゆる手を尽くして株価を上げたい」、こちらですよね。

アンラーニングに思う

4月 26th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (アンラーニングに思う はコメントを受け付けていません)

 先日、ある方と話をして、「アンラーニング」なるものがあるそうで、寡聞にして初めて知りました。アンラーニングは、「学習棄却」と訳すそうです。学習するのが人間たる所以なのに、なぜに学習を棄却するのかと?

 当たり前ですが、ラーニングは大事です。義務教育であれば、国語、算数、理科、社会、英語、社会人になっても、語学、プログラミング、会計、マーケティング、などなど、いろいろな学ぶべき分野があり、そうしたラーニングの重要性は言うまでもありません。

 ただ、こうした基礎とはやや離れますが、成功体験というのもありますよね。たとえば、営業が、ちょっと工夫した提案がクライアントに採用されて、受注に至ったとか、この成功体験もラーニングの積み重ねでもあります。

 一方、こうした成功体験が仇になることもありますよね。一度、上手くいった営業手法も、時代の流れとともに、通用しなくなることはよくあります。だからこそ、アンラーニング、学習棄却、忘れることも大事なのかもしれません。

 ちなみに、ディープラーニングは人間の脳の仕組みをマネしたアルゴリズムで、そのなかで、ドロップアウトという手法があります。これは、ざっくり言うと、学習する際、全部を丸暗記して学習するのではなく、一定の割合をドロップアウト、すなわち、落とす(忘れる)機能で、忘れることによって、学習の汎用性が生まれ、ディープラーニングのブレークスルーにもなりました。

 じゃあ、どうやって、「アンラーニング」するのか?学習するのはやろうと思えばできますが、学習棄却するのは、やろうと思ってもできませんよね、、汗 まあ、あるとしたら、虚心坦懐というのでしょうか、先入観を持たず、過去の成功体験にとらわれない素直な心かもしれません。松下幸之助翁もこうおっしゃってます「要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境遇に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。」と。

 というわけで、話戻って、アンラーニング、たしかに、学習棄却という点では大事な視点かもしれないですが、棄却するも、受け入れるも、自身の心持(マインドセット)なのかもしれないですね。

ググらない旅

4月 3rd, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ググらない旅 はコメントを受け付けていません)

 今日の日経新聞の沢木耕太郎のエッセイ「ただそれだけで」、いろいろ思うところがありました。自分は沢木耕太郎のファンで、最近は少なくなりましたが、新刊が出れば真っ先に読みます。彼は1947年生まれ、もう75歳なんですね。。 

 入口は、やはり、「深夜特急」です、会社をやめて、突然旅にでることを思い立った26歳の彼が、香港からロンドンまでバスを乗り継いで旅をする、言わずと知れたバックパッカーのバイブルですね。さらには、アマゾンで文明と接触したことのないイゾラドを追ったドキュメント「イルカと墜落」、登山家山野井泰史がヒマラヤの難峰ギャチュンカンの登攀記「凍」もいいですね。

 さて、このエッセイ、彼が東北地方を訪問して、近くにいい居酒屋ないか?と黒服に尋ねたところ、地元じゃないとわからなさそうな店を教えてもらい、その居酒屋で至福の時を過ごしたものの、マスターから最近では食べログを見て、訪問する客が多いことを知り、それは「もったいない」だろうと。

 自分はどちらかと言えば、この食べログ派で、知らない街で、何か食べるとなるとたいてい食べログをチェックして、レーティングが高い店を訪問してます。ただ、これはまさに彼の指摘の通りで、知らない街で、食べログに頼らず、いろいろと試行錯誤を重ねながら、たまたま見つけた店と食べログで見つけた店との間では、やはり、違いがありますよね。

で、「深夜特急」でも、彼はバンコクからインドを端から端まで見たいと、カルカッタ(いまではコルカタですね)まで飛行機で飛びます。そして、カルカッタの空港で偶然東北大学の学生と出会い、インスピレーションのまま、一緒にホテルにいったら、それは素晴らしいところだったと。「深夜特急」は、こうしたググる以前の偶然の邂逅のエピソードの塊でもあり、それが面白いんですね。

 さて、このエッセイ、沢木耕太郎の「深夜特急」から変わらず連綿と受け継ぐ旅のココロを見た気がしました。旅というのは、ググって、その場所を見るのではなく、知らない場所で試行錯誤しながら偶然の邂逅を楽しむことに魅力がありそうです。

APUの出口さんは、「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」に変えるべしと諭します。本当にこれはその通りで、バックグラウンドの違う人と会う、いろいろな本を読む、そして、「ググらない旅」で試行錯誤して、偶然の邂逅を楽しんで、視野を広げる。まだまだ、コロナも収束はしていませんが、国内、そして、海外もだいぶ近くなりそうですよね、今年は「ググらない旅」を楽しんでみようと思いました。


 さて、島耕作、今度は社外取締役になるそうですね。賛否両論あるようで。自分はジオコード、ネットスターズの2社の社外取締役をつとめさせていただいていることもあり、社外取締役について日々思うところもあります。

 もちろん、コーポレートガバナンスの強化とか、監視役とか、社外取締役にはこうした基本的な役割はもちろん大事だと思います。ただ、それにくわえて、自分の経験では、社外取締役は1.生かすも殺すもトップ次第、2.次の経営の担い手、が論点ではないかと思っています。

 1.生かすも殺すもトップ次第、京セラの稲森氏の言を俟つこともなく、どんな企業もやはりトップで決まるところが大きいと思います。で、トップの役割の一つは「使う」ことだと思います。当たり前ですが、会社はトップ一人では回りません、なので、従業員を雇って、適材適所に配置することも「使う」ことですし、社外取締役を「使う」のもトップの仕事でしょう。

 自分の理解では、この「使い方」はいろいろあって、たとえば、トップがある施策を進めようとしていたけど、社内は反対しているなかで、社外取締役を「使う」のはよくありますよね。ただ、この場合、その施策を進めるのが本当に良いのか、悪いのか、悪いなら全力で止める、胆力が必要でもあり、耳障りな事案をあえて発言するのも社外取締役の仕事の気もします。まあ、仲良しのお友達だけでは意味ないですしね。ちなみに、この「使う」というのは、前のアプリックスでトップをつとめていたとき、社外取締役の平松さんから常に「俺を使え」と叱られた影響がありそうです笑

 2.次の経営の担い手、たしか、元カルビーの松本さんはカルビーの社外取締役をつとめたことで、スムーズにトップになれたといいます。これは自分も同じ経験があり、前のアプリックス、今の野原も社外監査役からスタートしました。落下傘部隊というのでしょうかね、いきなり、全く知らない会社に外部から落下してトップになるケースもありますが、これは難易度が高いような気がします。むしろ、取締役会でどんな意思決定をしているのか、何が課題なのか、どんな社員がいるのか、社外取締役であれば全部ではないですが、ある程度、把握はできるのではないでしょうか。

 閑話休題、社外取締役島耕作、彼は業界3位の塗建会社であるウエマツ塗建工業の社外取締役に就任するそうで、同社では社長が島耕作と同じ年75歳ですが、息子と愛人の息子の跡継ぎ問題でお家騒動になっているようです。で、社長が島耕作をお家騒動収束にむけて1.どう島耕作を「使う」のか、はたまた、2.次の経営の担い手として島耕作が復帰するのか!?楽しみにしたいと思います。

Win-Win-Winの関係

2月 27th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (Win-Win-Winの関係 はコメントを受け付けていません)

 さて、最近、この広告・CMよく見ます。キャッチは「店長、時給を上げてください!」まあ、この広告が良いとか悪いとかではなく、つらつらと思うところがありました。

 で、このCMでは、「店長、時給を上げてください!」のあとにDAIGOが演じる人材派遣会社の営業が「時給アップをお願いしています」と頼み込むところで終わります。個人的には、お願いされる側の店長が登場しておらず、一方的なお願いをやや違和感を覚えるところではあります。かつ、乃木坂にお願いされては、世の中のオジサンはクラっときてしまうのではないでしょうか笑 

 それはさておき、時流に乗っている広告であることは間違いなさそうです。政府の方針としても、賃上げする企業に税制優遇をし、さらに、原油高、世界各地での物流の停滞、あらゆる商品が値上げと、インフレまっしぐらです。なので、時給アップした方が、日本経済にも個人の懐にも良いことは間違いなさそうです。

 ただ、このCMでいえばお願いされる側の店長さらには経営の立場からすると、ホントに時給アップすることが良いのか悩ましいところです。もちろん、昨今の労働力不足で、時給アップしないと、人材が獲得できないのは仕方ないかもしれないですが、企業はゴーイング・コンサーン、将来にわたって継続するものであり、時給アップした結果、倒産してしまっては元も子もありませんよね。 

 となると、何を目指すべきか? 当たり前ですが、バイトを雇って、そのバイトがちゃんと働いて、店・会社の業績に貢献し、店・会社の業績もアップ。この好循環が続くと、バイトもさらに時給が上がるし、人材派遣会社もさらに手数料入るし、店・会社もさらに業績もアップとWin-Win-Winの関係が目指すところではないでしょうか。で、その好循環を生み出す最初の一歩が時給アップかもしれないですね。

 で、最初の違和感に戻ります。やはり、この目指すところから言えば、バイト、人材派遣会社はWin-Winですが、最後の店・会社の視点が抜けている点が違和感の正体と思いました。というわけで、バイトルさん、次回のCMではバイトの時給を上げた結果、店・会社の業績もうなぎ登りで店長・社長もハッピーという展開はいかがでしょうか笑

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Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】

2月 22nd, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】 はコメントを受け付けていません)

Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】として5月25日にオンラインセミナーを実施します。受講者の分かりにくい点を吸い上げながら、ノウハウをためてきました。

https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AD220518.php

虎にならない方法

2月 11th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (0 Comments)

 ここ1か月くらいに読んだ中で出色の出来だと思いました。タイトルは、「多様性の科学」、致命的な失敗を未然に向付け、生産性を高める組織改革を全てがここにある、です。

 この致命的な失敗の一つが、20年前の9・11テロ攻撃の際、CIAの分析官は、アルカイダがテロを計画しているという事前情報が何度もありながらも、「テロが起きるはずがない」と一蹴、世紀のミスジャッジともいわれている事象です。とはいえ、CIAの分析官がダメなわけではなく、白人男性、アイビーリーグ出身、成績優秀者のみを選抜した結果として多様性がない画一的な組織になってしまい、アルカイダの活動という点とテロという点をつなげることができなかったと。

 最近は、だいぶ減りましたが、会社でもありますよね。たとえば、だいたい同じような高校・大学の新卒を雇って、教育をして、現場で営業して、はや数十年となると、良くも悪くも考え方が画一化するように思います。やはり、致命的な失敗を未然に防ぎ、組織の生産性を高めるには、多様性が必要というのは尤だと思います。

 そして、これは組織的な話もありますが、個人の考え方もあるのかなとも思います。たとえば、「なぜルート128はシリコンバレーになれなかったのか?」ルート128は、ボストン近郊の幹線で当時の盟主はDEC、今ではほとんど見ることはないですが、1970年代のオフコンVAXとか世界のコンピューターを支配していました、ちなみに、自分が大学生のころ、DECのワークステーション使ってました、たぶん、DEC最後世代だと思われます。

さて、このDEC、秘密主義で知られ、自社内でも秘密を貫き通し、外部との交流はほとんどなかったといいます。一方、シリコンバレーは、対極のカルチャーで、エンジニアは仕事帰りにバーに集い、交流し、解決の糸口をさぐり、「情報の水平伝播」によって世界最大のIT産業地帯になったと。エートスというかそういう雰囲気がシリコンバレーにあったのかもしれないですが、これは個人の考え方もありますよね。

 で、もう一つ、国語の教科書にだいたい載っている中島敦の「山月記」、主人公李徴は、才気溢れた官僚でしたが、傲慢ゆえに、一官僚に甘んじるわけにいかずと、一人籠って詩作に専念します、いまでいうとフリーランス転向でしょうか。が詩作に、専念するも一向に上達せず、また、官僚に戻るも、同輩は遥か先に出世し、後輩に使われ、そして、己の自尊心を大いに傷つけられ、その後、行方がわからなくなります。

で、同輩がたまたま虎となった李徴と出会い、李徴は、自尊心・プライドの高さが己を「虎」にしたと後悔します。まあ、もちろん、虎は比喩ですが、どんな環境であろうと、自分の殻に閉じこもるのではなく、つまらないプライドは捨てて、外部と交流すべし、でないと「虎」になってしまうと笑

 自分もここ2年くらいコロナ禍で外部との交流が少なくなり、仕方ないなぁ、と思ってはいましたが、もしかしたらこれは自分の殻に閉じこもる「虎」化への一歩かもしれません汗、というわけで、コロナ禍なりにも、虎にならないように、外部との交流をもう少し増やせたらとも思わせるよい本でした。