セミナー:ChatGPT等生成AIの基礎理解

6月 16th, 2023 | Posted by admin in 日々の思い - (セミナー:ChatGPT等生成AIの基礎理解 はコメントを受け付けていません)

9月12日 情報機構でChatGPT等生成AIのセミナーを実施します。

https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AD230902.php

「半導体戦争」にみる繰り返される歴史

5月 28th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「半導体戦争」にみる繰り返される歴史 はコメントを受け付けていません)

最近読んだ「半導体戦争」は、思うところがありました、一言でいえば、歴史は繰り返えされる、でしょうか。この本は、1950年代、真空管から半導体が生まれたところからスタートして、現代の中国による半導体製造、世界の半導体が台湾のTSMCに一極集中する現代まで、半導体全史といったところでしょうか。

アメリカで誕生した半導体は当初軍事目的でしたが、早くから「産業界の石油」としての重要性が認知されるようになりました、そして、半導体の用途も軍事用から民生用に拡大します。拡大するなかで、製造コストが下げるために当初は香港、台湾、シンガポールといったアジアに製造を委託します。それが現在の半導体=安全保障につながる話と理解しました。

 で、アメリカにとって、転機は1980年代、まだ、マイクロソフトのWindows95が発売される前で、日本の日立、富士通、NECといったメーカーが半導体を製造のみならず、キャノン・ニコンといった企業も回路をシリコンウェーハに焼き付ける露光装置を開発・販売。あまりにも日本企業の強さにインテルも祖業であったDRAMの製造をギブアップします。この背景の一つが、日米金利差で、80年代当時の米国の金利は最大で21.5%、一方、日本は6-7%で、さらには財閥系銀行から低金利で融資、日進月歩で進化している半導体製造には、自己資金では到底賄えない膨大なおカネがかかるため、調達コストが明暗の差を分けたと指摘します。

 その後、日本もバブルが崩壊し、さらには、インテルはDRAMからは撤退したものの、マイクロプロセッサ(CPU)でWindowsとタイアップして、Wintel時代を築き、インテルは完全復活、さらには、韓国政府が支援するサムソン、台湾が支援するTSMCの台頭で日本は半導体立国の座を失ってしまったことは記憶に新しいのではないでしょうか。

 歴史は繰り返される ― Wintelで圧倒的なシェアを誇ったインテルも、モバイルについては、省電力設計のARM、そして、微細化の最先端をゆくTSMCに追い越され、データセンターもGPUを設計するエヌヴィディアに追い越され、80年代の日本企業に追い詰められた状況に近いのかもしれません。

 もう一つ、歴史は繰り返されるという点でポジティブな点があるとしたら、日本かもしれないですね。80年代の財閥系銀行にかわり、最近では、日本政府が、半導体の投資に本腰を入れ始めました。アジア諸国に追随する二番煎じではあるかもしれないですが、半導体製造装置など日本がシェアを持っている分野もあるので、自動車が内燃機関からEV化して業界が縮小しても、政府の後押しで今後は半導体が日本の基幹産業になるかもしれないですね。

「何でも屋」vs「専門家」

4月 16th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「何でも屋」vs「専門家」 はコメントを受け付けていません)

さて、先日、ある方とお話した話が記憶に残ったのでシェアです。テーマは、「何でも屋」vs「専門家」です。「何でも屋」は、良くも悪くも、どんな分野でも広く浅く何でもできるタイプで、一方で、「専門家」は、ある特定の分野において狭く深くできるタイプです。

 で、この「何でも屋」vs「専門家」の今に始まったわけではなく、その歴史は古くて、この方曰く、「何でも屋」に分があり、かつての明治の知識人もこれに相当すると言います。この「何でも屋」の代表は福沢諭吉です、彼は幼少の頃は、中国の四書五経の漢籍を徹底暗記して、その教えを突き詰めて「専門家」になります。ただ、彼の場合は、漢学の「専門家」をベースにしながら、オランダ語にはじまり英語への洋学、「和魂洋才」でしょうかね、ベースである魂は和で、その魂をベースに才(手段)に洋に応用できると。

 この和魂洋才、明治の知識人に限らず、今にも当てはまることは多いのかと思いました。たとえば、プログラミングは、これに近いかもしれません。コンピュータプログラミングは、コンピュータに指示を与える手続きで、それを実現するために、日本語、英語、中国語など様々な言語があるように、コンピュータプログラミングにも、C言語、JAVA、Python、Goなどなど様々なコンピュータ言語があります。

 まあ、たしかに、自分の理解ではC言語とPythonとかはだいぶ違うと思いますが、「和魂洋才」は腹落ちします。というのは、プログラミングの「和魂」は、「データ構造とアルゴリズム」、それは、プログラミングは、処理すべきデータを整理・構造化して、そのデータをアルゴリズム=ルールに基づいて処理することだと思います。一方で、「洋才」は、個別のプログラミング言語です。というわけで、「データ構造とアルゴリズム」の基礎・和魂がある人は、あまり抵抗なく、ほかの言語にも割と応用できるというのが自分の理解です。

 というわけで、「何でも屋」vs「専門家」、と、「和魂洋才」、ここから学べることは、まずは専門家、和魂として何かを突き詰めるということではないでしょうか。そして、地面を掘って、掘って、掘ると地下水に辿り着くように、どの地点でも掘ると同じ場所にいきつく、それが「何でも屋」なのかもしれません。というわけで、そうした地下水に辿り着くような「何でも屋」、こうありたいと思いました。

「心を平安にする」というスキル

3月 12th, 2023 | Posted by admin in 日々の思い - (「心を平安にする」というスキル はコメントを受け付けていません)

「シリコンバレー重要思想家ナヴァル・ラヴィント」を読みました。オリジナルのタイトルは、The Almanack of Naval Ravikant 、直訳すればナヴァル・ラヴィントの生活日誌なので、ずいぶん、盛ったタイトルだなぁ笑、というのが最初の印象でしたが、読んでいるうちに印象が変わってきました。

何というか考えて、考えて思考の深いところを深く掘り進めて、そこから出てきた湧水をくみ上げるというイメージです。自分が愛読する安岡正篤先生の著作にも似た古今東西の事象をもとに、深く掘っている印象を受けました。

  思想家としての彼の考え方について、彼はそれを「合理的仏教」と呼んでいます。「合理的」の部分は、科学や進化論をベースにロジックで検証するところ(p273)で、「前世の業を背負う」といった、自分の目で見たわけじゃない、前世のことなんて1つも覚えてない、だから、信じるわけにはいかない、と。

 一方、「仏教」のエッセンスは、「自分をより幸福に、よりよくして、今この瞬間をより味わい、感情をよりコントロールできるように、よりよい人間になるために、仏教が教える心の動きを理解すること」(p274)と。自分の理解では、仏教は、欲望を消し去ることは不可能なので、どうコントロールするか、ここに仏教のベースがありそうです。

 これだとまるで仏教の解説ですが、自分の興味は、なぜ、彼がこういう話に辿り着いたのか?という点です。もともと、ナヴァル氏はシリコンバレーの投資家でツイッター、ウーバー、ヤマー、オープンDNSなどの投資で成功して、今も200社の企業に投資しているそうで、ビジネスサイドの出身です。

 で、これは自分の想像ですが、ビジネスサイドだろうが、やはり、スキルを磨いて、考えて、考えた結果、感情をコントロールする仏教的な考え方に至ったのではないかと。実際、この本は、2部構成で、第1部は富、いわゆる、ビジネスサクセス的な話で、ビジネスサイド出身の彼の本領でもある富を生み出すスキルセットで、まあ、たしかになぁ、とうなずく部分は多いです。

 ただ、むしろ、本書のテーマは第2部の幸福と思いました。なので、カバーには「2022年最強の「お金の本」とありますが、お金の話ではないかと。むしろ、富を生み出して、お金が増えたけど、それが幸せかといえば、そうでもない人もいますよね。むしろ、お金に関係なく、心に「平安」を取り戻すこと=幸福な状態であり、これも富を生み出すと同様に誰もが学ぶことができるスキルといいます。

 で、我々は彼から何を学ぶべきか?おそらく、彼と同じようなことはできないと思います。ただ、富を増やす、心に平安をもたらす、いずれも才能、運ではなく「スキル」と考えれば、試行錯誤してスキルアップしようと思えるのではないでしょうか、少なくとも自分はスキルアップしようと思いました。

新しい出会い

2月 19th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (新しい出会い はコメントを受け付けていません)

 さて、前にも書いたかもしれませんが、ここ10年くらい、朝ドラをみてから、風呂に入って、本を読んで、一日をスタートするという生活を送っています。で、朝ドラ後のあさイチのテーマ、大人になってから新しくできた友達はいますか?と。

そういわれてみると、新しくできた友達少ないかもしれませんね。小学生、中学生のころはたくさん友達ができたのに、大人になってから新しく友達ができない、この理由は関係の固定化ではないでしょうか。

 小学生・中学生時代は、クラスがあり、かつ、定期的にシャッフルするので、そこで否が応でも新しい出会いがあります、社会人でも人事異動も会社によってはありますよね。。で、一方で、大人になって、就職すると、まあ、だいたい、同じ職場で同僚も同じ、取引先も同じ、家族も同じで、関係は固定化してしまい、新しい出会いが少ないのという状況ではないでしょうか。

 で、この新しい出会いは良いことか、それとも固定化された方がよいのか?これは人それぞれの価値観なので、正解はないと思います。が、自分は、新しい出会いは良いことだと思ってます。というのは、たとえば、会社の場合、関係が固定化すると、組織が硬直化する、というのはこれまでの自分の実感ではあります。

 こうした究極の関係の固定化は、江戸時代の封建制度ですよね。江戸時代、たとえば、武士であれば、ご先祖様が残した役職・石高をつつがなく、増やしも減らしもせず、次の世代に継承することが仕事でした。ただ、こうした関係の固定化が、組織の硬直化を生んでしまい、変化に耐えることができませんでしたね。

 というわけで、関係の固定化、組織の硬直化を防ぐためには、やはり、新しい出会いではないでしょうか。で、どうやったら新しい出会いがあるか?自分はそういうノウハウがあるわけではないですが、やはり、虚心坦懐というか、心の壁を作らずに、新しいことに目を向けることではないでしょうか。自分にとっても考えるよいきっかけになりました。

歴史に学ぶ強いチームの作り方

1月 29th, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (歴史に学ぶ強いチームの作り方 はコメントを受け付けていません)

さて、最近読んだ本「真珠湾攻撃総隊長の回想 渕田美津雄自叙伝」でいろいろ思うところがありました。著者の渕田美津雄中佐は、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃での航空隊の総隊長で、当時は海軍上層部から大規模な航空戦の指揮をできるのは彼しかいないという逸材だったそうです。

 もちろん、戦争というのは悲惨なものであり、かつ、日本国憲法第9条では戦争を国際紛争の解決する手段として永久に放棄しており、もう繰り返すことはないと信じていますが、一方で、チームワークという点では今の我々にも学ぶことが多そうです。

 真珠湾攻撃が計画された1940年初めは航空戦の黎明期であり、複数の空母を使った大規模な作戦はほぼなかったようです。とくに、飛行機の場合、難しいのは3次元&飛行時間が限られていること。車両の場合であれば、「この場所に集合」といえば、だいたい間違いないですが、航空機の場合、複数の空母から、「この場所に集合」だと、3次元の決まった場所の特定から、飛行時間が限られているため効率的に発着艦しなくてはいけないなど高い練度が要求されたそうです。そういうこともあり、真珠湾攻撃以前では、第一航空戦隊は空母赤城のみ、第二航空戦隊は空母蒼龍と航空部隊はバラバラに運用されていました。ただ、彼は早くから航空威力はマス、すなわち、集団で攻撃することに価値があることを見抜いていて、全航空部隊を集中、そして、統合した航空部隊を徹底的にトレーニングしたそうです。

 もう80年以上前の話ですが、このあたりのトレーニングの話は、昨年公開された映画「トップガン マーヴェリック」に近いかもしれないですね。この映画では、ならず者国家の濃縮ウランプラントを破壊すべく、急勾配の山を登り、谷底のプラントを破壊するミッションをこなすべく、日々トレーニングする姿が描かれています。ただ、決定的な違いは、やはり、数でしょうね。「トップガン マーヴェリック」の場合は、たしか、2機×2機の4機でした、真珠湾攻撃の場合は、空母6隻で、2段発進、第一波は189機、第二波は171機、合計、360機の大編隊、当時と今の技術の進歩はあるでしょうが、いずれにしてもチームとしてのまとまりが要求されます。

 で、チームワークという観点では、こうした大規模な編隊を一糸乱れように統率し、目的を達成することは、とても難しいことだと思います。たとえば、この作戦のなかで難しかったのが、真珠湾に碇泊している艦船へ魚雷を発射する雷撃だったそうです、真珠湾は水深が12mと比較的浅い海で、当時の魚雷は水深60mを想定していたため、魚雷の改良にくわえて、水面ギリギリまで急降下して雷撃する必要があり、鹿児島県の錦江湾を真珠湾に見立てて何度も何度も訓練を重ねたそうです。

 ここまでの練度を上げるのは相当大変とは思いますが、会社あるいは組織でも似た話でもありますよね。航空部隊の場合、いざ作戦開始となったら司令官が一つ一つ指示するヒマはないですね、実際、渕田大佐は一番機で出撃しましたが、そのメインな役割は戦果確認でした。なので、それぞれのメンバーが目標を共有して、自律的に行動せざるをえない、そして、こうした最強のチームを作るためには、優れたリーダー、絶え間ないトレーニング、目標の共有が欠かせなく、優秀な企業にも共通してみられる傾向ではありますね。ただ、これを常に維持するはとても難しいと思います。

 維持するという点では、作戦指導部は、真珠湾攻撃が上手くいきすぎたところもあり、慢心が芽生えたのでしょうね。その後、ミッドウェー海戦を契機に百戦錬磨のパイロットもどんどん失われ、敗戦となります。そして、渕田大佐は、理不尽な戦後処理に疲れ、引退するも、キリスト教に改宗し、布教という第二の人生を送ります。 歴史に「タラレバ」はありませんが、学ぶことは多いと思います。それは、強いチームのつくりかた、リーダーが明確なビジョンを掲げて、そのためにトレーニングをして、チームが同じ方向に向かって目標を実現する、これは今でも学ぶ点がありそうです。

教材づくりという目標

1月 3rd, 2023 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (教材づくりという目標 はコメントを受け付けていません)

あけましておめでとうございます、といっても、もう正月も3日になってしまいました、かつ、新年の決意表明とか目標とか、あまり達成した記憶がないので汗、基本はこの手のヤツはやらないのですが、自分のなかで、これからもやりたいことは何かな、と新年つらつら考えていたことです。

 基本、新しいことを学ぶことが好きなので、新しい分野のチャレンジ、会社をもっと強くしたい、などなどいろいろあるのですが、そのベースが教材づくりにあるのかなと思いました。自分と教材づくりとの付き合いは長くて、たしか最初は、20年くらい前に、シスコのCCNA向けのネットワーク研修のための教材づくりですね、TCP/IPの基本・応用を学んで、CCNAを取得するみたいなプログラムで、2008年に「これならわかるネットワーク」(講談社ブルーバックス)にもなりました。その後、NHK教育テレビ番組「ITホワイトボックス」などに関わらせていただいたのは今では懐かしい思い出です。

 そのあとは、たしか2015年くらいに、今は亡きインプレス顧問の故佐藤邦夫さんから「ナガハシ、お前大学のとき統計やっていたよな? 機械学習セミナーの講師やってくれ」という無茶ぶりもあり、まあ、たしかに大学というか証券会社のアナリストのときに統計っぽいことをやっていたので、2016年くらいから機械学習・ディープラーニングの教材づくりを開始しました。ただ、開始当初は、ヒドイもので、かなりクレームがありましたが、受講生からのフィードバックなどを通じて、受講生が何を知りたいのかのニーズを拾って、改善を繰り返してきました、何社かとやらせていただいたのですが、そのときの教材がいまでも利用されているとこもあるようで、やった甲斐がありました。本はそれほど売れませんでしたが、2冊ほど出しました。

 最近では、昨年シェアした記憶がありますが、野原ホールディングスのCFOとして、従業員向けにマネープランニング・投資教育の教材づくりを始めました。おカネとどう付き合うは古くて新しいテーマですが、DC・iDeCo・NISAなど長くおカネと付き合うことでメリットが得られる制度が増えてきたので、これからおカネとどう向き合うのか、自分も含めて何かしらの気づきがあればよいなと思います。こちらは社内限定で熟成中ですが笑、どこかのタイミングでアウトプットできればよいですね。

 で、こうした教材づくりをするのは、自分が教えたいという教育者的な信念は全くなくて、教材づくりを通じて、自分にも学びが得られるというところが大きいと思います。かつて、幕末の蘭学者・医学者の緒方洪庵の設立した適塾は、新しい西洋学問を学びたい門下生が多すぎたため、直接、緒方洪庵が指導する時間がなくて、門下生が門下生を教えるというスタイルだったそうです。で、その門下生であった福沢先生はこのスタイルを「半教半学」に結実させました、これは教師・生徒関係なく、お互いに教えあい、学びあうことでお互いを高める、能動的に学習するという点で、いまでいうアクティブラーニングに近いのかもしれないですね。自分の理想も、教材づくりを通じて、自分が少しでも新しいことを学びたい、ここにスタートラインにあるように思います。

 まあ、教材というとややかしこまった感はありますが、自分のイメージとしては、たたき台、ディスカッションマテリアルに近いものだと思います。やはり、どんなことをやろうとしても、話しているだけでは空中戦になってしまって前に進みません、たたき台をたたいて、PDCAを繰り替えして、よい教材にする、今年というかこれからも続けていきたいと思いますので、皆様方におかれましては、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2022年 今年読んだよかった5冊

12月 29th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (2022年 今年読んだよかった5冊 はコメントを受け付けていません)

2018年から読書メーターで読んだ本を記録して、今年の5冊を紹介するのが習慣になっています。で、2022年は94冊でした、ここ5年間ほぼ同じペースです。たぶん、生活スタイルがあまり変わらないので、読むペースもあまり変わらないのだと思います。 

ただ、このスタイルは、変わらないようでも、最近は若干変わってきました、やはり、電子書籍ですね、ここ2年くらい読み放題のKindle Unlimitedを購読していて、最近はラインナップがかなり充実してきました。それでKindle経由は増えてきましたが、Kindle Unlimitedの場合、本を借りて返す図書館スタイルなので、電子なのに記憶が残らないというデメリットもあり、この辺は割り切りなのかもしれないです。 

その一方で、紙の本は減っていますよね、感覚的には本屋がどんどん減っている気がします。前は待ち合わせとかのとき、ちょっと早めについて本屋で立ち読みみたいなことが好きでしたが、いまはほとんどないですよね、まあ、スマホに置き換えられた感じでしょうか。それはそれで仕方ないかもしれないですが、最近はふらっと立ち読みがない分、偶然の出会いというか、面白い本を見つけるハードルもあがっている気がします、もしかしたら、紙でなくてデジタルでその努力をしたほうがよいかもです。そんな過渡期ではありますが、今年の5冊はこれです。

敗北からの芸人論 ― 知り合いの芸人を書くだけ、以上です。ただ、その目線が優しいです。それは、ダウンタウンには勝てない、相方であるノブシコブシ吉村には勝てない、というノブシコブシ徳井の「敗北」があるからこそ、優しくなれると思いました。

豪商の金融史 ― サブタイトルは「廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション」、廣岡家は、朝ドラ「あさが来た」のモデルの廣岡浅子で、近年、江戸・明治時代の文書の解読が進みました。江戸時代、廣岡家は、中津藩に大名貸しをしていたそうですが、貸し倒れを防ぐべく事業計画の策定など今の企業再生コンサルのようなことをしていたようです。江戸時代というと近いように思えるけど、まだまだ解明されていないことがたくさんありますね。

危機の外交 ― コロナで惜しまれつつもお亡くなりになられた岡本行夫氏の自伝、海部政権の湾岸戦争での失敗、沖縄の基地移転問題など当事者目線で、そうだったのかと思わせることが多いです。

DIE WITH ZERO – 以前に紹介した本ですが、今年一番影響を受けました。おカネを貯めるだけではなくて体験に使う、アリとキリギリスの中間、ややキリギリス寄りの発想で、目から鱗でした。

複眼の映像 私と黒澤明 ― 著者の橋本氏は黒澤明の「羅生門」、「七人の侍」といった初期作品にシナリオライターとして参加。黒澤明というと世界的に有名な映画監督であるものの、何がスゴイかいままでイマイチわかりませんでした。で、これを読むと納得、初期作品は、ライター先行型で、複数のシナリオライターが同じ脚本を書いて、その中からよいものを採用するという機械学習でいうアンサンブル学習的なスタイル。そこから「いきなり決定稿」として、こうした共同の要素を排した結果、「影武者」、「乱」などストーリーに奥行がなくなってしまったと。だけど、ほぼ最後の「夢」では終わり良ければ総て良しで、黒澤明らしさが戻ると。

https://bookmeter.com/users/814464/bookcases/11778995

調光レンズというイノベーション

12月 14th, 2022 | Posted by admin in 日々の思い - (調光レンズというイノベーション はコメントを受け付けていません)

さて、もう5年以上前ですが、網膜剝離の手術のポストをしたと記憶しています。で、それ以来、とくに症状は変わりませんが、目のケアについては、注意しています。まあ、注意といっても、それほど多くはありませんが、お酒を飲みすぎない、目薬点眼を忘れない、紫外線に注意するといったところでしょうか。 

で、この紫外線対策の話、先日、ある方から調光レンズなるものの存在を教えていただき、早速、調光レンズ対応のサングラスを買ってみました。調光は、よくLEDで用いられる概念ですよね、LEDは、光の明るさを調整することができる機能で、リモコンで明るい、暗いとか3段階で調整することができます。 調光レンズもLEDに近くて、レンズに光を感知するコーティングがされていて、太陽光の度合いに応じて発色する仕組みのようです。なので、室内では普通のメガネですが、屋外だと、サングラスになり、紫外線を防ぐという仕組みで、メガネメーカーではなく、レンズメーカーのHOYAのプロダクトです。メガネのレンズというと、もう何十年も同じかと思いきや、こうした新しい製品も出ています。

 さて、これで思い出したのが先日観た映画「ダウントン・アビー 新しい時代へ」です、映画の場合、毎回テーマがあり、今回のテーマは、伯爵家を映画撮影のために利用するというもので、1920代は、ちょうど映画はセリフがないサイレントから音声付きのトーキーに変わりつつある時代でした。で、もともとサイレントで映画撮影をしていましたが、伯爵家長女メアリーの機転でトーキーに変える話がありました。 

企業の目的はイノベーションにあるというのは、ピーター・ドラッガーの金言ですが、やはり、同じ状態のまま留まるとサイレント映画のように時代の流れについていけなくなるような気がします、だからこそ、調光レンズのような新しいイノベーションが必要なのかと、もうちょっと使ってみたいと思います。

グーグルとの20年

11月 24th, 2022 | Posted by admin in 日々の思い - (グーグルとの20年 はコメントを受け付けていません)

 メタ、アマゾンにつづきグーグルもリストラ検討ということで、いろいろ思うところがありました。たしか、自分がはじめてグーグルを知ったのは大学の学生時代なので、もう20年以上前、当時は21世紀になるかならないか、そのあたりだったと思います。

 やや、昔話になってしまいますが、グーグル以前の検索は、いろいろあったのですが、自分は当時アルタビスタを使っていたように思います。ただ、アルタビスタ、それなりに便利だったのですが、検索ワードと検索結果のマッチがイマイチだったりで、その後、登場したグーグルの検索精度の衝撃は今でも憶えています。これはアカデミックの世界で、論文の引用度が多い論文は影響度が高いという事象をウェブ検索に応用したページランクというグーグルの最初のイノベーションですね。

 で、ページランクがグーグルの最初のイノベーションだとしたら、次のイノベーションは、こうした検索ワードをユーザの興味として捉えて、ユーザの興味のあるコンテンツを広告として表示する、アドワーズですね。たしか、2000年中ごろだったと思いますが、バナー広告はそれなりにありましたが、バナーではなく、検索ワードを広告に見立てて、グーグルはそれをビジネスとして大成功させました。そこから、グーグルをはじめとしてアマゾン、フェイスブック(Meta)、アップルのGAFAが世界の大部分のデータを握る覇者の存在になりました。

 さて、古代では永久に繁栄を続くと思われていたローマ帝国は滅び、近年では、米国のテレコム業界で圧倒的なパワーのあったAT&Tが分割されたように、やはり、グーグルならびにGAFAもかつての全盛期が過ぎ去りつつある、そんな風に思いました。

で、何がグーグルそしてGAFAをピークアウトに導いたのか?やはり、21世紀の石油であるデータのコストが上がったことではないでしょうか。 当たり前ですが、20年前は、データはタダでした。まあ、これは石油も同じですよね、19世紀後半、まだ石炭が全盛の時代、石油はいくつかの油井から汲み上げられたといいますが、基本はタダみたいなものだっといいます。それが、20世紀になって、自動車の燃料として石油が利用されると一気に競争は加速、規制もあり、米国では当時9割以上のシェアを持っていたスタンダードオイルは分割されました。

 データも最初は、履歴履歴・検索履歴、タダみたいなものでした。ただ、そのデータをタダで利用して、GAFAが独占的な地位を手に入れてから、プライバシーなどデータを取得するコストが上がったように思います、これまではスマホアプリは自由にデータを取得できましたが、今ではデータを提供できるかユーザが許可しないといなくなっています。

さて、今後、GAFAがどうなるのか自分にはわかりませんが、次のテクノロジーの萌芽もありますよね。いろいろとスキャンダルもありますが、トークンエコノミーはどちらかといえば、GAFAとは反対のユーザが自由になる世界のようにも思います。そして、世の中の動きにあわせて、適応する、これも大事ですよね。