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偏差値教育からアインシュタインは生まれない?

5月 2nd, 2014 | Posted by admin in フォン・ノイマンに学ぶ | 長橋のつぶやき - (偏差値教育からアインシュタインは生まれない? はコメントを受け付けていません)

このところ読んだ2冊の本から、いろいろと学ぶことがありました。

ひとつは、カレン・フェラン著「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 」、これは、コンサルが会社に入って業績を上げるところが、会社をぐじゃくじゃにしてしまうという話。

もう一つは、大前研一「稼ぐ力」、会社が”突然死”する時代に、どうキャリア形成し、個人の能力を高めるかというテーマ。単に教育にだけではなく、政治・経済・技術まで幅広くカバーしており、さすがな一冊。

前者でとても印象的だったのが、第6章「人材開発プログラム」には絶対参加するな。これは、コンサルが人材開発プログラムを作成し、社員を業績に応じてA,B,Cとランク付けする、これは問題であり、こう指摘する。

社員が将来的にどの程度の能力を発揮するかは未知数なのに、どうやって社員を最初から固定的なランクに分類できるというのだろうか。(p207)

将来の未知数が化けたもっとも良い例が、アイン・シュタイン。彼は20世紀を代表する人物に選ばれながらも、父親からできそこない扱いされ、チューリッヒ工科大学の入試におち、家庭教師もクビになり、散々な人生だったものの、友人の口利きでベルンの特許庁の職員になり、そこでも昇進できず、1905年暇を持て余して書いた論文が「特殊相対性理論」、「光量子仮説」、「ブラウン運動」、「質量とエネルギーの等価性」の4本。これが、一般相対性理論につながった。

これと共通する話が、後者の「この国をダメにした「偏差値」を廃止せよ」の議論。彼は、偏差値をこう指摘する。

日本で導入された偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるためのもの、つまり「あなたの能力は全体からみるとこの程度なんですよ」という指標なのである。そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者達(1950年以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の”限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概をもたなくなってしまったのではないか、か考えざるを得ないのである。
本田技研工業を創業した本田宗一郎さんは、従業員わずか25人の小さな町工場のときに「世界のホンダを目指す」と朝礼でリンゴ箱の上から演説していたという。(p198)

偏差値も前者でいうところも”ランク”と同じだと思う。そして、いったん、ランク付けした瞬間に、「身のほど」をわきまえてしまう。そして、身のほどをわきまえてしまったら、それ以上の気概をもたなくなってしまう。

難しいのは、誰でもアインシュタインになれるわけではないこと。以前、紹介したフォン・ノイマンにしても、何もないところから天才は生まれない、やはり、生まれつきのものもあるだろうし、育った環境(ファン・ノイマンは規則が複雑なラテン語を完璧にマスターしたという)もあるだろう。だから、偏差値教育をやめたところで、次のアイン・シュタインは生まれるとは限らない。

でも、重要なのは、アンビション・気概をもつこと。志を持たないとなにも生まれない。だから、志を育てることが重要だと思う。

後者では、その解決案として、こう指摘している。

とにかく、日本人がかつての蛮勇、アンビション、気概を取り戻して日本が再び元気になるためには、今すぐ偏差値教育をやめるべきだ。そして、北欧のような21世紀型の教育に移行すべきである。先生は「ティーチャー」(教師)ではなく、「ファシリテーター」(能力を引き出す伴走者)「メンター」(助言者)として、集団教育ではなく個人教育的な能力を増やす。(p201)

かつて幕末の吉田松陰は、松下村塾の塾長で”教師”とされているけど、実は”教師”というよりは、孟子を教えに則った”志”を植えつける「ファシリテーター」、「メンター」的な要素が強かったんだろうと自分では思っています。そして、自分も一人でもそうした”志”を育てることができればと、この2冊から思ったのでした。

大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革

5月 1st, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革 はコメントを受け付けていません)

レビュープラスさんより頂きました、ありがとうございます。

21世紀はアジアの時代といわれて、21世紀ももう10年以上たつ。
やはり、21世紀はアジアの時代だと思う。先日もベトナムのホーチミンにいく機会があったけど、次々と新しい開発がおこなわれていて、いつもいくたびに、アジアの時代を感じます。

そして、この本「大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革」も、アジアで副業からはじめて事業を大きくする方法を取り上げている。

では、どうするか?

本書は、「日本以外に住居を持ち、最高の人生を実現する具体的な方法をお教えする」(p86)というように、アジアに家を持つことで、1.リスク分散、2.節税、3.ワークスタイル(好きなときに好きな場所で仕事ができる)、4.日本に準外国人として入国できることのメリット(例:外人専用のレールパス、ジャパンレールパスの利用)、5.複数の国にわたる事業展開をあげる。

これを実現するために必要なのは、”動くこと”。筆者は、こう指摘する。

「動くことは単なる消費ではなく、電気、利益を生み出す方法である」

それは、自転車のランプが、自転車の動力から電気を生み出し、そこからランプを点灯するように、動くことでエネルギーを生み出すと。

そして、電気をどう生み出すか、筆者は、1.運び屋、2.個人貿易、3.サービス事業初期立ち上げ、4.サービス会社立ち上げ、5.サービス事業世界展開の4つの”発電“ステージを提唱する。

やっぱり、そういう時代なんだと思う。もちろん、日本国内で動いてもエネルギーを生み出すことができるし、それは否定すべきことではない。

でも、それ以上に、アジア、海外をまたにかけて、動いて、電気を生み出すことで、さらなる付加価値を生み出すことができると。

どのように海外に住む場所を得るかといった実践的なポイントからエネルギーを生み出すポイントまで網羅されていて、得るものは多い本でした。

店の器

4月 20th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (店の器 はコメントを受け付けていません)

近所に贔屓にしている店があって、先日、いってきました。

 実は、かれこれ1年以上も通っていなくて、行ってみたら、大将がお亡くなりになられたとのこと。前回、訪問時も体調が悪いとお話をされていて、心配していましたが、まさかこうなるとは。そして、その店は、当時のスタッフが切り盛りしているのだけど、仕込み、スタッフの教育など、目に見えてクオリティが落ちていて、ちょっと切ない気持ちになりました。

 先日、企業倒産・再生の話で、”オーナーが引退できず、かつ、時代の流れについていけず、倒産する例は多い”というお話をお伺いして、これもそのケースかもなあと思いました。もっと、準備をして、店をゆずるべきだったんだろうけど、なにせあまりにもその時間が短すぎて、それがクオリティの低下につながっていると思う。そして、資本主義の摂理から言えば、その店も早晩淘汰されてしまうかもしれない。

 ”会社はトップの器以上に大きくならない”とは稲森さんの言葉ですが、この店もこれが当てはまるかもしれない。でも、トップの器は心がけ次第でいくらでも大きくなることができると思う。だから、”味が落ちたからもういかない”、というわけではなく、むしろ、当代が先代にキャッチアップして、かつての勢いを取り戻す、これからも定期的に通って、そんな日を待ちたいと思いました。

ネットビジネスと論語の「近き者説び、遠き者来る」

3月 23rd, 2014 | Posted by admin in イノベーション | 経営 | 長橋のつぶやき - (ネットビジネスと論語の「近き者説び、遠き者来る」 はコメントを受け付けていません)

温故知新とはいったもので、論語を読むといつも新しい発見があります。

今回の発見は、子路第十三にあるこの一節

葉公政を問ふ。子曰く「近き者説(よろこ)び、遠きもの来る。」

葉公が政治について孔子に質問した。孔子は言う「政治を行うには民心を得ることを貴びます。ゆえに近くにいる民は己の恩沢をこうむって悦び、遠方の民は己の封を聞いて来たり附くようにすべきであります」

「論語新釈」(宇野哲人、講談社学術文庫p389)

そう、ある政治家がすばらしい政治をしていれば、そこに住んでいる人々は喜ぶ。そして、それを遠方の人が聞きつけ、そこによって来る。

これは当たり前といえば当たり前なんだけど、すごく含みがある。やっぱり、遠方の人間を直接呼ぶことはできない、まずは、近い人々を呼ぶと。

そして、ネットビジネスでも同じことが言えると思う。

最近、よく相談を受けるのは、どうやってユーザを増やすか。とくにスマホのアプリの場合、誰でもアプリをつくることができるので、企業だろうが個人だろうが同じ土俵で相撲を取らざるをなくて、結局、がんばってつくったアプリが埋もれてしまうケースが多い。

で、どうやって埋もれないようにするか?

やっぱり、「近き者説び、遠きもの来る。」しかないと思う。簡単にいえば、自分の知り合い、企業であれば取引先、など、ほんとに顔の見える近い人を呼び込み、近い人が”このアプリはいけてる”と思ってもらって、はじめて、遠方の人が聞きつけ、そのアプリをダウンロードする。だから、どんなすごいアプリでも、リリースすればすぐに遠方の人がやってくることはほとんどないと思う。

論語のこの説は政治の話だけど、その言わんとするところは政治、ビジネス、ひいては、ネットビジネスとも同じであり、まずは、自分の知っている人を口説く、それがなくては、遠方への拡散はありえない。まさに、論語を読み返して、温故知新の思いです。

失敗を認める文化

3月 20th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (失敗を認める文化 はコメントを受け付けていません)

先週、ある方との会話で、なるほど、と思ったこと。

彼はこう指摘する。「ビックデータは、100%完璧な答えを出すものではない、むしろ、70%くらいの確率で未来を教えてくれる」

これは当たり前といえば当たり前だけど、こういう視点もありだなあと思いました。

やっぱり、日本のシステムとくに情報システムの場合”100%”を要求される。

もちろん、銀行の勘定システムの場合、1万円引き落とすつもりだったのに、1000円しかでなかったというミスがあってはいけない。

でも、その100%にこだわることによるデメリットもある。

それは、それはミスを許さないカルチャーになってしまい、冒険をしようという気概がなくなってしまうことだと思う。

たとえば、日本の大企業には、情報システム部があり、情報システム部の仕事は、”安定的”にシステムを運用すること、冒険はできない。

そして、安定的な運用にこだわるあまり、新しいものを取り入れなくなり、しまいには競争力が落ちる可能性はゼロではない。

で、どうするか?

”冒険”は必要。そして、一番重要だと自分が思っているのは、”冒険の失敗を認めるカルチャー”だと思う。もちろん、失敗はよくないし、失敗はゼロが望ましい。でも、どんなに努力しても失敗することはある。でも、その失敗が次の成功につながるのであれば、悪い話ではない。だから、冒険の失敗を認めるカルチャーは大事だと思う。

で、難しいのが、失敗の”度合い”。かつて、旧日本陸軍がビルマ英軍攻略で立案したインパール作戦では、山岳地域の補給路確保の難しさから、立案者の牟田口中将を除いて誰もが”失敗”すると感じていた。でも、彼の上司である川辺中将が”彼ががんばって立案しているから、認めてあげよう”という温情で作戦は決行され、多大な犠牲を強いられた。すなわち、失敗を認めることは重要、でも、致命的な失敗を認めたら会社はつぶれてしまうこともある。

結局のところ、バランス感覚なんだと思う。リーダーたるマネジメントが次につながる失敗であれば認め、会社を揺るがすような失敗であれば、断固として拒否する、難しいけど、こうしたことが大事なんだと、ビックデータの話から思いました。

キューピーにみる良い会社の条件

3月 19th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (キューピーにみる良い会社の条件 はコメントを受け付けていません)

週末にテレビ番組カンブリア宮殿のキューピー特集を見ました。

キューピーは、マヨネーズのイメージが強いけど、マヨネーズの売上は全体の10%くらいでそれほど高くない。むしろ、卵製品、サラダ、物流といったマヨネーズ以外が売上をけん引している。

でも、キューピーのビジネスはマヨネーズであり、マヨネーズを研究した結果、卵の派生製品に行きつき、おいしくマヨネーズを食べてもらうためにサラダ(生鮮野菜)を提供し、そして、マヨネーズを新鮮に運ぶために流通ビジネスを始めた。すなわち、多角化しているようだけど、実はルーツは同じと。

それでシンクロしたのが、最近読んだ稲森さんの新著「稲盛和夫の経営問答 従業員をやる気にさせる7つのカギ」で、彼はこう指摘する「すなわち、新規事業を立ち上げる場合は、自分の得意技を使って展開することが重要です。決して「飛び石」を打ってはなりません」(p101)。

このキューピーの例は、まさに、得意技を使って展開することそのものだと。自分の知っている会社でも、新規事業をやろうとして、「飛び石」を打った結果、うまくいかなったケースは結構ある。「飛び石」を打たず、自分の得意技を使う、当たり前といえば当たり前なんだけど、これは意外難しい。でも、ブレずに得意技にこだわる会社がやはりよい会社なんだろうなあと思いました。

世界ハイテク企業ウォッチ:なぜツイッターが“オワコン”扱いされているのか

3月 7th, 2014 | Posted by admin in イノベーション | お知らせ | テクノロジー | 長橋のつぶやき - (世界ハイテク企業ウォッチ:なぜツイッターが“オワコン”扱いされているのか はコメントを受け付けていません)

四半期に一度書かせていただいているコラム 世界ハイテク企業ウォッチ がアップされました。

今回は、Twitterのビジネスモデルを取り上げさせていただきました。

世界ハイテク企業ウォッチ:なぜツイッターが“オワコン”扱いされているのか

Yahoo!ニュース BUSINESS 世界ハイテク企業ウォッチ:なぜツイッターが“オワコン”扱いされているのか

CarPlayにみるアップルの”ブレ”と”変化”

3月 4th, 2014 | Posted by admin in イノベーション | テクノロジー | 長橋のつぶやき - (CarPlayにみるアップルの”ブレ”と”変化” はコメントを受け付けていません)

アップルが、iPhoneを車と連携させる新しいサービス CarPlay を発表、で思ったこと。

最近、とみに思うのは、ブレることと、変化すること。

”ブレ”と”変化”は同じようで結構違う、と思う。

共通しているのは、ある状態(たとえばA)から別の状態(B)に遷移すること。

たとえば、ケータイでいえば、10年くらい前は、周りを見渡せば、ほぼ国内製のフィーチャーフォン(いわゆるガラケー)だった。

で、10年たった2014年、フィーチャーフォンはゼロではないけど、圧倒的にスマホの数が多い。

10年前、フィーチャーフォン向けにサービスを提供している会社にとっては、10あった全体のパイが1になるわけであって、確実に売り上げは減ってしまう、だから、”変化”しないといけない。進化論的に言えば、”もっとも変化に対応できる生物が生き残る”ともいえるかもしれない。

ただ、変わることがすべて良いとは限らない。

たとえば、このCarPlay、いままでアップル、あるいは、スティーブ・ジョブズは、”ユーザ体験を自分でコントロールする”という理念のもと、できるだけパートナーを排して、自社でハード、ソフト、サービスを提供してきた。何度もiPhone互換機、Macが動くWindows PCが取りざたされつつも、頑なに拒んだのは、こうした”すべてのユーザ体験を受け持つ”というアップルの矜持があったのだと思う。

アップルに関しては、イノベーションのジレンマ抱えるアップル、突破口に待ち受ける日本企業のさらなる苦難にも書きましたので、あわせてご参照ください。

そして、今回のCar Play、もちろん、iPhoneを接続することが前提であり、WindowsでiTunesを利用できることに近いのかもしれないけど、若干の危うさも感じる。やはり、アップルにとってユーザ体験は自社でコントロールする話であるものの、自動車の場合、”車”がユーザ体験の多くを占めるのではないかと。すくなくても、スティーブ・ジョブズであれば、断固拒否したように思う。そう意味で、このアップルの決断は、同社の理念がブレたのかもしれない。正解はまだわからない。

話はもどって、変化とブレ、結局のところ、その要因は理念なのかもしれない。きちんとした理念があり、その理念に沿って、ビジネスがかわったとしても、それは”変化”、でも、理念とは違う方向に進むこと、これは”ブレ”かもしれない。理念にブレずに進むことは簡単なようで、難しい。だからこそ、ブレない理念が必要と言えるかもしれない、とCarPlayの発表から思いました。

「いらない社員」はいない

2月 8th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「いらない社員」はいない はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。「いらない社員」はいない、ということ。

たまに、雑誌などで「いらない社員」の特集を見かけることがある。これにすごく違和感を感じる。

まあ、これは、「いらない社員」から「いる社員」になるべし、みたいな啓蒙的な意味を含めてのキャッチなので、刺激的なタイトルの方が売れるというのはあるのだろう。

でも、マネジメントがウチのこの社員は「いらない」といったら、その会社は終わりだと思う。

たしかに、リストラなど社員を解雇しなくてはいけない場面もでてくるかもしれない、でも、それは「泣いて馬謖を斬る」的な已むに已まれぬ事情によるものであるべきだと思う。

あるいは、入社して数十年間、一つの仕事だけしかやってこなくて、そのビジネスが立ち行かなくなり、配置転換しても全然ダメ、だけど、給料だけは支払う、このケースも「いらない社員」かもしれない。

でも、逆の見方をすれば、その従業員に最適な仕事を提供できないマネジメントの責任ともいえるかもしれない。そして、どうしても社内に最適な仕事を提供できないのであれば、誠意をもって、外に他の仕事を探す手伝いをすべきだと思う。

江戸幕末の儒学者佐藤一斎は、重職心得箇条の第二条で次のように指摘している。

二. 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。

訳文
二. 大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。

出所は、Wiki

これは、現代にも十分通用すると思う、この話では、「部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。」と。気合が乗るようすることで、会社も活性化し、企業もどんどん成長し、企業価値もあがる。でも、マネジメントがこの社員は「いらない社員」と烙印を押したら、押された社員は気合が乗るわけがない。

だから、「いらない社員」はいないと思うのです。

「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」を読む

2月 4th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」を読む はコメントを受け付けていません)

【連載】世界ハイテク企業ウォッチや個人投資家向け投資アイデアプラットフォームLongineにGoogle, Appleのようなハイテク企業について書かせていただく機会があるので、割とこうした本は出るたびに読んでいます。

そして、今回の「アップル vs グーグル どちらが世界を支配するのか」、結論から言えば、これからのハイテク企業がどう動くかを把握するためには、ぜひ、読むべきだと思う。

本書の英語のタイトルは、「Dogfight How Apple and Google Went to War and Started a Revolution」であり、アップルとグーグルの戦争であり、本書は”グーグル・アップル戦記”ともいえるかもしれない。

なぜ、アップルとグーグルは戦争をしないといけないのか。その理由は、以下に集約できる。

アンドロイドとの闘いは、ビル・ゲイツとマイクロソフトを相手に繰り広げた一九八〇年代の闘いとは似ていないとジョブズは言ったが、アップルの内外の人間は口をそろえて、似ているという。アンドロイドとiPhoneの闘いは「プラットフォーム戦争」だった。プラットフォーム戦争は勝者の総取りになりがちだ。勝者が市場シェアと利益の七五パーセント以上を手にして、敗者をビジネスを続けることすらおぼつかなくなる。
(本書p182より)

まず、このスマホのプラットフォーム戦争で勝ったのは、アップル。当時、キーボード付きが当たり前のスマホ市場にタッチパネルという斬新なプロダクトで一気に市場シェアを獲得した。ただし、iPhoneのシェアが高まると、iPhoneに対抗したいと思うメーカーも増えてくる、そして、そのメーカーのニーズを取り込んだのがアンドロイド。

iPhoneに対抗したかったメーカーとキャリアは、<ドロイド>の成功を見て、アンドロイドがいちばんの選択肢だと思った。ルービンはそのチャンスを最大限に活かし、二〇一〇年のうちに、たたみかける勢いでソフトウェアの大きな更新を三回おこなった。同年末には、ドロイドのような爆発的なヒット商品のほかにも、HTCの<イーボ4G>やサムソンの<ギャラクシーS>なども加わっていた。全体で200種類近いアンドロイド携帯が50か国で売られ、世界中のキャリアとメーカーが何百万ドルというマーケティング予算をアンドロイド製品につぎこんだ。
(同書p169より)

iPhoneをパクッたアンドロイドについて、スティーブ・ジョブズが猛烈に怒り、アンドロイドを搭載しているメーカーを訴えたのは記憶に新しい。とはいうものの、現実としては、

一方、二〇一三年なかばの時点で、グーグルとアップルの携帯プラットフォーム戦争は、明らかにグーグルが優勢になっている。
(同書p280より)

というようにグーグルが優勢になっている。結局のところ、プラットフォームとしてのアンドロイドのほうがより多くのユーザー・メーカーに支持されているといえるかもしれない。

とはいうものの、Windowsがかつては盤石といわれながらも、スマホにおいて苦戦しているように、スマホから別のデバイスに変わったとき、また、新しいプラットフォーム戦争が起きると思う。そして、その時はそれほど遠くないのかもとも思いました。

いずれにして、グーグル、アップルがどう戦ったのか、いろいろ考えさせられる本です。