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なぜ、ダイバーシティが重要か?

6月 5th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (なぜ、ダイバーシティが重要か? はコメントを受け付けていません)

これまで、ダイバーシティというと、あまりピンとこなかったけど、最近、これはとても重要だと思うようになった。

なぜ、ダイバーシティ(多様性)が重要か?

ダイバーシティの反対のケースを想定すると、うまく説明できるように思う。

今はだいぶ少なくなったけど、日本で新卒採用するとき、同じ学部の男性の22歳の日本人を100人採用する。彼らのバックグラウンドもそれほど変わらないので、アンチ・ダイバーシティの状況が発生する。

このアンチ・ダイバーシティは、経営にとってはわるくないこともある。たとえば、新人研修で自社の理念を叩き込み、愛社精神を涵養すれば、会社を愛する企業戦士が誕生する。そして、彼らが猪突猛進して、沢山の製品を売ってくれれば、会社としては、売上が増える話なので、悪い話ではない。

ただ、このアンチ・ダイバーシティが決定的によくないときがある、それが会社が下り坂になったとき。アンチ・ダイバーシティは、あたりまえだけど、”みんな同じ”なので、人と違うことをやると、とても浮いてしまう。そして、みんなと同じことをやっていれば良いという雰囲気をぶち壊してしまう。だから、あえて、人と違うことをやらずに、みんなと同じことをやる。

でも、景気の落ち込み、事業環境の変化などで、業績が下り坂になった場合、この”人と違うことをやらない”というのは、決定的によくない。たとえば、ちょっとしたコスト改善案があっても、”人と違う”ことをしなくてはいけないので、周りから白い目で見られるのを恐れて、その改善案も握りつぶしてしまう、そして、”給料もらえるからいいや”ということで、いつもとおなじことをする。こういう状況は、自分も何度か見てきて、これってアンチ・ダイバーシティの弊害だなと。

危機感を感じた経営陣は、外国人を入れる、女性幹部を登用する、年齢に関係なく採用する、と刺激を与えて、”人と違うこと”を是とする環境をつくる、これはとても理にかなっていると思うし、最近、”ダイバーシティ”が流行っているから、ウチも取り入れてみました、というのは、あまり変わらないとも思う。

ただ、外国人を入れる、女性幹部を登用する、年齢に関係なく採用する、というのは結構難しい、とくに、その人にあった適材適所を見つけて、活かすようにするのは、楽ではない。やっぱり、経営者も海外の経験がないとできないし、様々な職場を経験しないとできることじゃない。グローバルエリートという言葉があるとしたら、こうしたダイバーシティをきっちりマネージメントできる人なんだなあと最近思うようになりました。

連載:世界ハイテク企業ウォッチ グーグルのサービス一覧まとめ、プロダクトポートフォリオでその強さを読み解く

6月 3rd, 2013 | Posted by admin in お知らせ - (連載:世界ハイテク企業ウォッチ グーグルのサービス一覧まとめ、プロダクトポートフォリオでその強さを読み解く はコメントを受け付けていません)

四半期に一度書かせていただいている世界ハイテク企業ウオッチです。今回はGoogleをとりあげました。”春の大掃除”のように、ユーザ数が伸びないサービスから潔く撤退する、こうしたマネジメントの機動性にこの会社の強さがあると思います。

http://www.sbbit.jp/article/cont1/26372

新しいビジネスをつくる

6月 2nd, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (新しいビジネスをつくる はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと、新しいビジネスを作るのは難しい。

たとえば、”世の中を変える誰も作っていない製品をつくる”ということでビジネスをスタートする。

これはこれで素晴らしいし、こうした元気な企業がたくさん出てこないと日本は活性化しない。
だから、もっともっと、こうした企業が出てくるべきだ。

ただし、こうした会社がすべてがすべてうまくいくかというと、そうとは限らない。

特に難しいのが、”世の中誰も作っていない製品”ということ。

誰も作っていない製品というのは、やや穿った見方をすれば、市場性がないから大企業が作っていない製品ともいえなくはない。もちろん、その市場をまったく大企業が見逃しているというケースもある。

だから、意気揚々と新製品を出したとしても、それがすぐにユーザに受け入れられるまでそれなりに時間がかかる。とくに、企業向けソリューションの場合、得てして企業は保守的なので、新しい会社と付き合うリスクを取るよりも、むしろ、これまでの実績のある会社と付き合う場合が多い、だからといって、大企業はリスクを取れと言われても、そうはいかないだろう。これはこれでしょうがない。

そう、研究の世界では、新しいこと、誰もやっていないことが価値だけど、ビジネスの場合は、新しいから売れるとは限らない。で、最初は、絶対売れると思って、かなり大きい数字を入れた事業計画書が絵餅になり、”こんなはずじゃなかった”と責任のなすりつけをする。これもよくあるパターン。

ただ、往々にして、今は新しくても5年後に、みんなが使うようになるというのは結構多い。身近なところでは、スマホ。5年前は、一部のギークしかつかわなかったけど、5年後、誰もが使うものになった。20世紀初頭の電気、1990年代のインターネットも同じ。

というわけで、新しいビジネスをどう作るか、自分の結論は、”信念をもって堪える”です。ビジネスの話をしていて、経営者は自分の立ち上げたにもかかわらず、ダメと否定する場面がたまにある、でも、これはよくない。まわりからどんなに”こんなの流行るわけがない”と否定されようとも、ブレずに信念を貫く、これが一番重要なんだと思いました。

Facebook HOMEをアンインストールした理由

5月 31st, 2013 | Posted by admin in テクノロジー - (Facebook HOMEをアンインストールした理由 はコメントを受け付けていません)

Facebook HOMEというアプリがある。このアプリがリリースされる前は、”Facebook Phone”とも言われていて、フタを開けてみると、”HOME”としてスマホをFacebook化するアプリが2013年4月にリリースされた。

自分もワケあって2カ月近くNexus7にインストールして、使ってみたけど、結論からいえば、イケてない。

なぜ、イケてないか? おそらく、それは自分のデジタルライフの中のFacebookに占める割合が低いからだと思う。

ざっくり言って、自分のデジタルライフ(=PC,スマホ、タブレットでネットを使う時間)は、30%:ウェブ(ブログ、ニュース、まとめサイトなど)、30%:メール・チャット、15%:動画、10%:Facebook、15%:その他、で、だいたいFacebookは1割くらいの比重でしかない。おそらく、これは今後も変わらないか、もしくは、また別のSNSが出てくれば、その割合は下がると思う。

一方、Facebook HOMEのアプローチは、スマホ・タブレットの”Facebook化”で、ホーム画面から何から何まですべてFacebookが中心となる。おそらく、デジタルライフのうち、Facebookの占める割合が50%以上であれば、そこそこ使えると思う。だけど、自分の場合、Facebook Messangerは使うけど、あくまでも、メールはGmailを使っているし、ウェブ閲覧もRSSリーダーとかFacebook以外のモノを使っているので、すべてを”Facebook化”されて、それ以外のアプリへの移動(使ってみるとわかるんだけど、Facebook HOMEでは他のアプリに移動するのが結構手間がかかる)に手間がかかるのでは、やっぱり、使いにくい。

かつて、3つのイノベーションで“復活”するフェイスブック、その収益力は本物か?にも書いたように、自分はFacebookのとくにモバイル領域でマネタイズする姿勢は、広告が多くてうざいと言われようが、正しい方向性だし、他の企業にとっても、このモバイルのマネタイズ化は学ぶところが多いと思う。たしかに、Facebook HOMEはイケてない、だからといって、Facebookは終わったというわけではない。むしろ、失敗を重ねて、さらに良くする(少なくとも他のアプリのとの連携ができれば、少しは使いやすくなると思う)、今後のFacebookの展開が楽しみです。

”アマゾンのショールーム化”問題をどう解決するか

5月 29th, 2013 | Posted by admin in イノベーション | テクノロジー | 経営 - (”アマゾンのショールーム化”問題をどう解決するか はコメントを受け付けていません)

ヤマダ電機、全役員を降格処分 「アマゾンのショールーム化」避けられない?、この記事を読んで、思ったこと。

各地で発生するアマゾンのショールーム化

ヤマダ電機に限らず、最近、この手の”アマゾンのショールーム化”の話をよく聞く。典型例は、書店だ。

まず、本屋にいって、立ち読みして、よさそうだったらアマゾンで注文する。条件を満たせば、送料も無料だし、家まで宅配してくれるし、クレジットカードで決済すれば、クレジットカードのポイントもたまる。なので、あえて、街の本屋で買わずに、アマゾンで買う。

自分の知っている会社でも、この”アマゾンのショールーム化”問題に手をやいているところもあって、この問題を抱えている企業・小売店は結構多いと思う。

ショールーム化をどう解決するか?

で、どうやってこの問題を解決するか?

最もわかりやすいのは、”価格勝負”、アマゾンより安く販売する、価格.comの価格ランキングは、だいたいアマゾンが一番安いけど、たまに、それを上回る価格でアピールする小売店もある。ただ、これはおそらく長続きしない。というのは、アマゾンは大量に仕入れる分だけ、それだけディスカウントが効いているわけだし、闇雲に価格勝負を挑むと、結局、消耗戦になり、勝てない。

もう一つ考えられるのは、”ショールームに徹する”。たとえば、本屋を全部立ち読みOKにして、そして、QRコードなりでタッチすると、アマゾンのアフィリエイト経由で、商品を購入できる仕組み。ただ、アフィリエイトの料率も年々下がっており(今年6月からは書籍一律3%)、店舗の賃料、従業員・パートの賃金、などのコストを回収するのは、よほど売り上げをあげるか、コストを下げるかをしないと難しく、これもそれほど現実的じゃないと思う。

となると、残るのは、店・定員に対する愛着心なんだと思う。たとえば、この店にいけば、カメラのことが詳しい店員がいる、あの店はディスプレイの仕方が工夫されている、あるいは、あの店で買うと壊れたとき修理してくれる、など、店・店員が”スペシャル”であると、アマゾンもすべては顧客のためにという経営理念を標榜しているけど、さすがに、物理的に店をもって、店員を抱えているわけではないので、これは”物理”店に分がある。これはコーヒーと同じで、150円でマックでコーヒーは買えるけど、あえて、倍の300円以上出してスタバに行くのは、店・店員が”スペシャル”だから。

コーヒーと家電量販店とは、仕入れ条件などがあるので、単純には比較できないけど、ただ、スペシャルな店・店員に惹かれて、それにお金を払うのは、世界中どこにでもあるのだと思う。

修羅場とリーダーシップ

5月 25th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (修羅場とリーダーシップ はコメントを受け付けていません)

先日、ある人とお話をしていて、”どうしたらリーダーシップを鍛錬することができるか?”という話をお伺いした。

彼いわく、”リーダーシップを鍛える一番の方法は、”修羅場をぐぐることだ”と。

それから数日後、たまたま、ワコール創業者の塚本幸一氏が松下政経塾の塾生へレクチャーした講和録を読んでいたら、”修羅場”の指摘がとても腑に落ちた。

塚本氏の修羅場

塚本氏は、20歳になった昭和15年に陸軍歩兵として出征し、中支で2年半、それから南方に転身する。

ベトナムのサイゴン、カンボジアのプノンペン、タイのバンコクから、ビルマを横切り、チンドウェイン川をわたってインパール作戦に参加。その後、インパールの敗戦のなかで生き残って、昭和19年10月に雲南集結。それから、またビルマへ反転作戦、敵に追われ追われて、イラウジ会戦。20年6月ビルマからタイの国境の、あの「戦場にかける橋」をわたってタイへ逃げ帰って、しばらくして敗戦なりました。

「松下政経塾講話録」 (松下政経塾編、PHP研究所、p60)

そして、終戦を迎えて、彼の小隊55名のうち、生き残ったのは彼を含めた3名しかいなかった。彼自身も5年間、毎日死と直面していたという。そして、彼は、いよいよ日本に帰れるという復員船のなかで、「はたして、自分で自分の命を守りきったのだろうか」と考えこんでしまう。

どう考えてみても、どの瞬間を取ってみても、自分の意識と、自分の能力と、自分の決意断行でもってできたことではない。あの時のあの一発の弾が、体をこっち向けたから、こう通っていたとか、あの時の食べ物についていた黴菌を自分は食べなかったから、その病気にかからなかったというように、一つ一つの現実が、自分の意志と能力であったかどうか。とんでもないことですね。それは、まったくの偶然といえば偶然ですが、偶然というには、あまりにも長すぎます。

(同p62)

そこで、彼はこう悟る、「いわゆる、親から授かった、今日まで生きてきた生命というものはおわったんだ。なくなった。今、こおkでこうして復員船に載せられて、日本に帰ってくるというこの声明は、いわば、与えられ、生かされた、おあずかりものの人生だ」と。その後の成功については、言うまでもないだろう。

塚本氏のように、戦中に生死の境をさまよって、その後、戦後になって、日本をリードした方は結構おられる。たとえば、東京電力の平岩外四氏、ダイエーの創業者中内功氏もそうだろう。こうした修羅場を乗り越えた方々が日本の戦後の繁栄をもたらしたともいえるかもしれない。

今は修羅場があるか?

ひるがえって、現代。また、別の人からこんなを話をきいた。最近、世界各国ともベンチャー投資が盛んで、とくに、政府が次の成長戦略ということで、ベンチャー企業に積極的に資金面から支援している、という。だけど、政府の支援に満足してしまって、ハングリーさが足りない、世の中を変えるようなプロダクトが生まれない、と彼は嘆く。

 リーダーシップという点では、おずかりものの人生か、国からお金をもらった事業か、どちらがリーダーシップが発揮できるかといえば、言うまでもないだろう。そして、”修羅場からリーダーシップが生まれる”というのは金言だと思う。逆に言えば、”かわいい子には旅をさせろ”方式も必要なのかもしれないと、塚本氏の経験から思ったのでした。

チャンドラー方式

5月 24th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (チャンドラー方式 はコメントを受け付けていません)

いくらがんばっても、アイデアがでてこないときはある―自分の場合だと、モノを書くときとか、企画を考えるときとか、そんなときどうするか。

とりあえず、自分はチャンドラー方式をやってみることにしている。

このチャンドラー方式は、村上春樹が作家レイモンド・チャンドラーが小説を書くコツについて書いたもので、彼もそれを実践しているという。村上春樹いわく、

まずデスクをきちんと定めなさい、とチャンドラーは言う。自分が文章を書くのに適したデスクを一つ定めるのだ。そしてそこに原稿用紙やら(アメリカには原稿用紙はないけれど、まあそれに類するもの)、万年筆やら資料やらを揃えておく。きちんと整頓しておく必要はないけれど、いつでも仕事ができるという態勢にはキープしておかなくてはならない。そして毎日ある時間をーたとえば2時間なら2時間をーそのデスクの前に座って過ごすわけである。それでその2時間にすらすらと文章が書けたなら、何の問題もない。しかしそううまくいかないから、まったく何も書けない日だってある。書きたいのにどうしてもうまくかけなくて嫌になって放り出すということもあるし、そもそも文章なんて全然書きたくないとういこともある。(中略)
たとえ、1行も書けないにしても、とにかくデスクの前に座りなさい、とチャンドラーは言う。とにかくそのデスクの前で、2時間じっとしていなさい、と。

「村上朝日堂 はいほー!」(村上春樹、新潮文庫)p40

”神”はいつ降ってくるかわからない、だからこそ、規則正しく、降臨を待つと。

これって、小説だけではなくて、モノを生み出すという点ですべてに当て嵌まると思う。

新しいビジネスを立ち上げました!といっても、その日から、世の中のトレンドになるというケースはまずない。

やはり、新しいもの≒尖っているものであり、そのビジネス・製品がどんなに素晴らしくても、興味を持つのは、アーリーアダプターという消費者のなかでもごくわずか。そこから、世の中みんなが認知するまでには時間がかかる。

そして、全く売れなくても、”チャンドラー方式”のようにあきらめずにコツコツ続ける、ここにチャンドラー方式の神髄があるのかもしれない。

現場とJ・J氏に学ぶインプットの方法

5月 22nd, 2013 | Posted by admin in 経営 - (現場とJ・J氏に学ぶインプットの方法 はコメントを受け付けていません)

最近思うこと、どうやってインプットするか?といこと。

たとえば、何かを書いたり、プレゼンしたり、あるいは、新事業の推進などの経営判断をする場合、何かしらの”インプット”がないと、よいアウトプットはできない。だからこそ、良いインプットがとても重要になると思う。そして、インプットの方向性は2種類あると思う。

一次情報というインプット

まず、一次情報で、実際に現場に赴き、自分の目で見たものをインプットする。いうまでもなく、とても重要。自分の経験しているパターンだと、経営判断というアウトプットは、現場の声なくしてはありえない。というのは、従業員数十人くらいの小さな会社であれば、経営者は従業員すべてを掌握できているので、つねに経営と現場が一緒になっている。でも、企業規模が拡大して、従業員が数百人、数千人、そして、支店が増えるほど、経営と現場が離れてしまう。したがって、”離れた”デメリットを補おうと、中間管理職が、各拠点、各部門ごとに状況を報告する。ただし、中間管理職が、正しく状況を報告するとは限らない。とくに、業績が落ち込むと、誰かのせいにしたくなり、バイアスのかかった報告というのはよくある例。だからこそ、経営者が現場にいって、自分の目で見て、事実を確かめる。まさに、”事件は会議室で起きているのではなく、現場で起きている”であって、これはとても重要なインプットだと思う。

2次情報というインプット

 一次情報が目で見た”現場”の情報であれば、2次情報は、本に書いてあった、テレビで報道されていた、人から聞いた、といった第3者を介して取得した情報。2次情報は所詮”座学”で価値がない揶揄される場面もあるけど、自分はそうは思わない。その例が、敬愛するジャズ・映画評論家J・J氏こと故 植草甚一氏のニューヨーク談義。彼はニューヨークをこよなく愛し、60年代から「ヴィレッジ・ヴォイス」や「ニューヨーカー」を定期購読したという。そして、e-daysのインタビューによれば、写真家中平穂積氏がニューヨークを旅する際に、J・J氏を訪ね、ニューヨークの事情を教えてほしいと訪ねた際、J・J氏こう答える。

出発前に、植草先生のお家を訪ね、「ニューヨークの事情を教えて欲しい」と教えてもらいました。植草先生は、早速山のように積まれた本からニューヨークの地図を取り出して、鉛筆で書き込みながら解説してくれました。「この通りのこの店のコーヒーが美味しい。最近、新しく出来たパン屋はここです。ビレッジ・バンガードはここです。中平さん、行ってみるといいでしょう」。さすがに詳しいなと、すっかり感心して、「ところで先生は、何回ぐらいニューヨークに行かれたのですか?」って聞くと、「僕は一度も行ったことないよ」って。先生は最高ですね」。

J・J氏にとってのニューヨークは2次情報以外の何ものではない。でも、様々な角度から2次情報というインプットを積み上げると、1次情報を凌駕することもありえる。そして、後年、J・J氏はニューヨークを訪問し、2次情報と1次情報を融合した「ぼくのニューヨーク案内」という著書を世に送り出している。

1次情報と2次情報

結局のところ、1次情報と2次情報、どちらが重要という話ではないと思う。1次情報から本当の意味を引き出すためには、やはり、事前の学習など2次情報が必要。一方で、反乱する2次情報のなかで、真実をつかむためには1次情報が不可欠、このバランスが重要なのだと思いました。

企業の寿命

5月 18th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (企業の寿命 はコメントを受け付けていません)

先日、ブックオフで100円で買った与謝野馨氏の「全身がん政治家」のこの一説が印象に残りました。彼は、アリストテレスを引用して、「政治の形態は、専制君主制と、寡頭制(すくない数の集団指導制)、デモクラシーの3つ。それぞれいいようで欠点がある。つづけていくと最後には危機に陥る。」と。

 これは企業にも同じ話で、デモクラシーのように社員の言うことばかりを聞く企業は一見よさそうに見えるけど、結局うまくいかない場合が多い(社員の意見はバラバラなので、それをまとめると妥協の産物になる)。かといって、専制君主のようにカリスマオーナーが会社を引っ張る場合、一代ではいいけど、そのカリスマオーナーの次が引っ張っていけないという場合も多い。

企業の寿命は30年とよくいわれる、やはり、会社を、専制君主制、寡頭制、デモクラシーいずれかの方式で設立して、そのやり方に限界がくるのは30年ということなんだろうと思う。逆に言えば、100年、200年と生き続ける企業の場合、同じように、どこかで限界が来るに違いない。でも、その限界を打ち破る、たとえば、カリスマ―オーナーがいなくなったあとは、後進が必死に食らいついて寡頭制に移行する、寡頭制で仲間割れになった場合は、カリスマオーナーが復帰する、など。

 会社を作るのは簡単だけど、それを長く続けるのは難しい、アリストテレスの言葉はそれを表しているように思います。

理学と工学

5月 15th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (理学と工学 はコメントを受け付けていません)

最近思うこと、同じ”理系”であっても、理学と工学は結構違う。

理学の代表は物理、数学で、世の中の真理・法則を探求することだと思う。たとえば、宇宙はいつできたか、とてつもなく難しい問題だけど、ある仮説を提示して、その仮説を裏付ける様々な状況証拠を一つ一つ積み上げながら、ロジックをくみたてて、証明する。コンサルタントに理学部出身が比較的多いのも、フィールドが違えど、ロジックを組み立てて、仮説を検証するという点では、やってることは結局同じなのかもしれない。

一方、工学の場合は、どちらかというと、”こんなん、作りました”というアプローチ。たとえば、ロボット作るという場合、もちろん、仮説を立てて、それを証明するのも大事だけど、それ以上に、失敗を恐れず、ひたすら、改良に改良を重ねて、誰も作っていないものを作る。何もないところから、新しいものを生みだす、そういう点だと、ベンチャー企業経営に近いかもしれない。

最近思うことは、理学的な分析思考がパーフェクトながらも、工学的なフロンティアマインドを持ち合わせている人は、ほとんどいないということ。そう、一人ではできない、だから、チームを作って、それぞれの特性を引き出す。当たり前なんだけど、その当たり前の大事さを気づきました。