憲法改正論議に思う

2月 28th, 2026 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (憲法改正論議に思う はコメントを受け付けていません)

 昨今の高市政権下における憲法改正論議に触れ、思うところがありました。自分が子供の頃は、終戦からまだ40年ほどしか経っておらず、周囲には戦争経験者が大勢いました。小学校の先生方も戦前生まれが多く、中には兵役に従事された方もいらして、従軍経験も聞いた記憶があります。で、当時の空気感として「二度と戦争を繰り返してはいけない」という精神的雰囲気(エートス)があったように記憶しています。

 それから、さらに40年が過ぎ、昨年戦後80年を迎えました。やはり、それだけ年月が経過すると、戦争経験者は目に見えて減りました。自分の両親も戦後生まれですし、平均寿命が延びたとはいえ、戦争経験者はだいぶ減りました。あと10年、20年も経てば、当時の生きた声を聞く機会はさらに減りそうです。 

 一方で、国際情勢は劇的に変化しました。自分の幼少期は米ソ冷戦の真っ只中であり、ソ連の脅威はあったものの、日米安保条約のもとで「最後はアメリカが守ってくれる」という安心感が前提にあったように思います。しかしこの40年で、ソ連はロシアとなり、中国は巨大な経済・軍事大国へと変貌を遂げました。かつて「世界の警察」を自認したアメリカも、もはや他国を無条件に守り続けることは難しそうに思います。

 先日たまたまブックオフで見つけたのが『三島由紀夫 未発表書簡』でした。これは昭和31年(1956年)から自決直前の昭和45年(1970年)に至るまで、日本文学者ドナルド・キーン氏に宛てた手紙を収録した書籍です。三島由紀夫の海外版権の印税の配分といった生々しいやり取りも興味深いのですが、自分が気になったのが1969年頃からの記述で、たとえば、昭和44年(1969年)2月2日には、こんな記述があります

「安田講堂の屋上に立てこもつた学生数十人が頑張つてゐたとき、もし自爆でもされたら、共産主義と日本精神が結びついて、厄介なことになるので、警視庁へ電話をかけて、「すぐヘリコプターで催涙ガスを捲いて眠らせてくれ」とたのみましたが、「ご忠告はありがたいが、実は5分前に全員手をあげて逮捕されました」という返事でした。1970年にかけては、ひよつとすると、僕も、ペンを捨てて武士の道に帰らなければならないかもしれません。」(p184) 

 当時の学生運動や共産系活動の激化に対し、三島は強い危機感を募らせていました。「憲法を改正し、自衛隊が表に立たねば国が制圧されてしまう」「そのために自分は武士にならねばならない」という話が出てきます。それは、実質的な軍隊(自衛隊)を所有しながら、憲法上は軍隊を否定しているという矛盾を「国家の偽善」としてどうしても納得できずに、結果的には、1970年の三島事件につながりました。 三島事件から今年で56年。日本を取り巻く安全保障環境は当時以上に厳しさを増していますが、日本憲法の「戦争を放棄する」という理念は尊重すべきと思います。で、その理念を尊びつつ、真の平和を実現するために「自衛のための力(戦略的実力)」をどう定義し、憲法に位置づけるのか。この矛盾に目を背けず、正面から憲法改正の議論が行われることを期待したいと感じています。