東京パラリンピックにみるレジリエンス

8月 30th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (東京パラリンピックにみるレジリエンス はコメントを受け付けていません)

 

 東京オリパラ2020,オリンピックは、日本人が大活躍でメダルも過去最高、素晴らしかったです。ただ、自分としては、オリンピックも素晴らしかったですが、それ以外にパラリンピックがそれ以上に素晴らしかったです。 

 やはり、オリンピックに比べるとパラリンピックはあまり注目されないのかもしれないのかもしれないですね。自分も、これまでのオリパラでパラリンピックはちゃんと観た記憶があまりないです。ただ、今回の東京オリパラ、ゴールインタイムでもパラリンピックの中継があって、本当にちゃんと観ることができました。

  その中で、今日、8月30日、100m決勝T64は、本当に素晴らしいレースでした。本命は、英国のジョニー・ピーコック選手(写真:右)、これまで2連覇、ただ、1年前太ももを痛め、1年延期が結果としてチャンスになったと。そして、対抗がドイツのヨハネス・フロア選手(写真:左)、幼少時に病気のため両脚が痛くて堪らなくなったため、両脚切断して、両足義足になったと。

 当たり前ですが、誰もがなりたくて障害を持つわけではないです。くわえて、この手の障害は、医療行為で回復できるのではなく、現状を「受け入れる」しかないと思います。そし、その現状を「受け入れて」、そこからベストを尽くす、この回復力というか、レジリエンスですよね。もし仮に自分が同じ立場に置かれたら、嘆くだけで、もう二度とスポーツはしないと思います。この強靭なメンタルに本当に頭が下がる思いです。

 ただ、当事者にとって、障害とかそんなのは関係ないのだと思います、自分のできる範囲のベストを尽くす、某24時間テレビとは違うスタンスかもしれないです。結果として、レース本番、ピーコック選手、フロア選手、同着で3位、素晴らしいレースでしたが、1位ではありませんでした、お二人は悔しいのではないかと思います、だからこそ、次のレースも楽しみにしています。

 今回、コロナでオリパラ中止という話題は何度もありました。もちろん、感染拡大を防ぐための手段は必要だと思いますが、そのなかで、開催したことに敬意を表したいと思います、そして、次のパラリンピックも観たいと思いました。

イギリスのクラシックとロック

8月 25th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (イギリスのクラシックとロック はコメントを受け付けていません)

 旅の思い出、ベトナム、US、シンガポールについで、英国(UK、イギリス)です。たしか、自分が初めて海外に行ったのは、大学受験が終わった1996年、もう四半世紀前ですね、母親といったイギリスです。当時は、飛行機に乗るのも初めての経験で、離陸のときの高揚感は今も忘れません。

 その後、初めて海外に6か月以上、滞在したものもUKです、ドクター終わって、半年、ポスドクとしてケンブリッジ大学コンピュータ研究所でお世話になりました。さらには、アナリスト、IRとして、ロンドン、エジンバラの機関投資家に訪問と、たぶん、自分にとっては、日本の次に滞在歴が多く、馴染みのある第2の故郷かもしれません。

 さて、このイギリス、自分の理解では、クラシックとロックが混ざっている国だと思います。クラシックは、過去のしきたりを守るというのでしょうか、貴族制度もそうですし、景観もありますよね、同じ景観を維持することが、イギリスにとっては大事な指標で、たとえば、アップルストア、ユニクロがオープンする際にも、19世紀の外観をキープしつつ、内装を変える、この保守というかクラシックさがUKの伝統ですね。

 ただ、守るだけでもなく、ロックというか新しい試みを積極的に取り入れるのもイギリスの懐の深さです。かつて太陽の沈まぬ国と言われた大英帝国の矜持でしょうか。古いものを守るのではなく、新しいものを取り入れるのもイギリスの良さと思います。ビートルズもイギリスですしね。ケンブリッジでも、イギリス、ヨーロッパだけではなく、世界各国から留学生が集まっていました。いまでいうダイバーシティでしょうか、保守ながらも多様性を受け入れる「ロックの素地」があるように思います。

 さて、このイギリス、いち早く、コロナとともに生きる、ウィズコロナを選択しました、もしかしたら、この多様性を受け入れる、この「ロックな素地」にあるかもしれないです。もう5年以上、イギリスには行ってませんが、いつかまた第2の故郷に訪問できること楽しみにしています。

 戦後76年目におもう

8月 15th, 2021 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - ( 戦後76年目におもう はコメントを受け付けていません)

 今日は8月15日、終戦記念日、昭和20年8月15日から76年目です、自分が小学生のころは、祖父母をはじめとして戦争経験者がそこそこ周りにいて、当時の話を聞く機会がありましたが、最近だと、だいぶ減ってきましたね。

 で、昨日、NHKのドキュメンタリー「銃後の女性たち 戦争にのめり込んだ“普通の人々”」を見て、思うところがありました。戦時中のドラマでたびたび登場する「国防婦人会」、それは当時、女性の活躍が少なかった時代、女性が社会に参加したい、お国の役に立ちたい、そんな思いから活動が広まったといいます。参加者にとっては、お国の役に立ちたいという純粋な思いだったのではないでしょうか。

 さて、レベルは変わりますが、何かの役に立ちたい、というのは今でもありますよね。たとえば、会社のために役に立ちたいとか、最近はだいぶ減りましたが、モーレツサラリーマンが、すべてを犠牲にして、会社にひたすら奉公する、これはやや似ている構図のような気もします。

 自分の理解では、モーレツサラリーマンがダメなわけではないと思います、仕事が大好きなモーレツサラリーマンがいるからこそ、会社の繁栄があるわけですし。むしろ、大事なのは多様性、ダイバーシティなのかと。仕事が好きな人は仕事をすればいいし、家庭とのライフワークバランスが大事であれば、それを認めると。一つの価値観を押し付けるのではなく、多様な価値観を認め、尊重する、これは指導部、会社でいえばマネジメントの役割ではないでしょうか。

 かつての古代ローマ帝国では、占領した地域について、ローマのやり方を押し付けるのではなく、その地域の文化、宗教を大切にしながら、よいところをお互い学んで統治に役立てたといいます。で、会社の買収M&Aでも、システムなどは共通にするものの、買収先のよいところ・システムを学ぶ・取り入れる多様性を認める会社の方が上手くいっているような気もします。

 さて、話を戻って、終戦から76年、これから10年すると、さらに1次体験者は減りますよね、それは仕方ないことです。ただ、学べる教訓があるとすれば、一つの価値観を押し付けるのではなく、多様性のある社会、これは守っていくべきではないでしょうか。

ワクチン接種証明書と任せること

8月 9th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワクチン接種証明書と任せること はコメントを受け付けていません)

 さて、日本でもワクチン接種が進み、自分も7月26日にワクチン2回接種しました。そして、接種した日7月26日がワクチン接種証明書の発行スタート日だったので、同時にワクチン接種証明書も申し込んで、到着したのが8月7日、発行にざっくり10営業日かかりました。

 ま、喫緊で海外にいくとか、ワクチン接種証明書が必要になるケースがなさそうなので、実用上、何も問題はないのですが、それにしても10営業日は結構、時間かかるなと思いました。で、なぜ、こんな時間がかかるのか、想像してみました。

 まず、ワクチン接種証明書の書式はシンプルです、名前、生年月日、国籍、パスポート番号、1回目と2回目の接種情報、証明書ID、発行日で、基本は申請書類をチェック、転記すれば、すぐに発行できる内容ではあります。

 で、なぜ時間がかかるのか、自分の想像では、おそらく、豊島区の場合、保健所が発行担当しているので、ただでさえコロナ対策で多忙な保健所が、26日一斉スタートで、大量の申請(豊島区は郵送オンリー)が来たので、結果として、発行までに時間がかかったのではないかと。

 やや話が逸れますが、先日ある方とマネージャーに必要な要素とは何か?みたいな話をして、それは任せて、責任を取ることではないかという話で一致しました。どんなに仕事ができる人も一人ではすべてできない、だから、部下なりメンバーに仕事を任せる、しかし、任せた以上、マネージャーが責任をとると。

 で、ワクチン接種証明書の話に戻ると、発行までの時間を早くするには、やはり、「任せる」ではないでしょうか。外部に任せるのもあるでしょうし、あるいは、機械(デジタル化)に任せるのもありですよね。最近だと、マイナンバーカードがあれば、コンビニで住民票と印鑑証明書もゲットできます。ワクチン接種証明書がコンビニでゲットできるまでは、だいぶ時間がかかるんでしょうが、やはり、任せると責任の話ではないかと。最後に、ワクチン接種証明書、いまのところ、あまり出番がなさそうですが、はやく国内・海外で活用できることを願ってます。

二兎を追う力

7月 5th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (二兎を追う力 はコメントを受け付けていません)

 大谷選手がMLBのオールスターで先発投手部門、そして、指名打者部門の2つで選出されたというニュースをみました。これはメジャー史上初という快挙でスゴいことだと思います。自分は野球についてそれほど詳しくはないのですが、指名打者でもホームランで結果を出し、投手でも結果を出す、両方とも結果を出そうと血の滲むような努力をしているのだと想像します。

 一方で、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺もありますよね、欲張って2頭のウサギを狙うものは、結局、中途半端になってしまって、1頭のウサギも獲ることができないと。野球に例えれば、投手としてのキャリア、指名打者としてのキャリア、両方、欲張って狙うと結局、中途半端になると、まあ、いまの大谷選手はいい意味で二兎を追っているように思います。

 さて、ビジネス、とくにテクノロジー分野の場合、二兎を追うケースはありますよね。まず、最初のウサギは、新規分野の開拓、斬新な製品・サービス、いわゆる、破壊的イノベーションです。そして、二匹目のウサギは、既存分野の既存分野のシェア・売上拡大、持続的イノベーションでしょうか。どの会社も、新規に新しい製品・サービスを出しながら、既存の製品・サービスも伸ばしたい、二兎を追う宿命にあるのかもしれません。

 こうした二兎を追いながら、大谷選手のようにキチンと結果を出す企業もあれば、結局新規はダメで既存に頼る、中途半端になる企業もありますよね。前者だと、「両利きの経営」(Doing Both)のシスコ、あるいは、アマゾン、グーグルあたりでしょうか。で、自分の理解では、二兎を追いながら結果を出す企業と中途半端になる企業、その差は「意思」さらには「執念」にあるのではないかと思います。

かつて、松下幸之助翁は、外部の諸事情がどう変わろうと耐えられるダムのように設備、資金、人材に余裕を持たせるといういわゆるダム経営が重要であると講演しました。そして、中手企業経営者が「どうやってダム経営ができるか?教えてほしい」、という質問に対して、「ダムをつくろうと強く思わんといかんですなぁ。願い念じることが大事ですわ」と答え、ほとんどの経営者が失笑するなかで、その場にいた京セラ創業者稲盛和夫氏は「強く願うことで思いがかなう」と衝撃を受けたそうです。これも「意思」ですよね。

 大谷選手の二刀流、両利き経営、自分の思いはもっと二兎を追っていいのではないかと思います。副業なんかもそうですよね。会社員は一つの仕事を集中すべしというのも一つの考え方でしょうが、「意思」をもって、二刀流、両利きを追う、副業もそうあってもよいと思います。というわけで、大谷選手のオールスターの二刀流、楽しみにしています!

ネット時代の一次情報と二次情報 

6月 24th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ネット時代の一次情報と二次情報  はコメントを受け付けていません)

本日のニュースで立花隆氏が逝去されたこと知りました。謹んでお悔やみ申し上げます。残念ながら、謦咳に接することはありませんでしたが、「僕はこんな本を読んできた」、「臨死体験」、「中核vs革マル」などの著書を通じて、「知ることの楽しみ」を教えていただいた恩人とも言えます。

 で、ネットで彼の仕事について、本をたくさん読んでいて、その二次情報の寄せ集めなのではという記事を読みました。この賛否はともかく、ネット時代の一次情報と二次情報、思うところがありました。

 一次情報とは、一次、すなわち、自分が直接、「経験」したことです、それは自伝のような自分の人生の「経験」もそうでしょうし、食レポのように自分で食した「経験」、あるいは、誰かにインタビューして対話した「経験」、そうした自分にしかできない「経験」、それが一次情報と言えます。 

 二次情報は、こうした一次情報をもとに「編集」した情報ですね。たとえば、本を読んで、そこから得た情報、いわゆる、公開情報をもとに得た情報とも言えそうです。やはり、ネット時代だと、この二次情報の価値がゼロではありませんが、確実に薄れていると思います。このあいだ書いたD2C本では、かつては百貨店は世界各地で起きているトレンドを先駆けて仕入れて、それを2次情報として「編集」して日本向けにアレンジする、これが付加価値でしたが、今は誰でも一次情報にアクセスできる時代になりました。

 ただ、二次情報が完全に価値がなくなるかといえばそうでもない気もします。ある意味、商社のビジネスに似ているところもありますよね。やはり、二次情報の「編集」する目的は、エンドユーザ(最終消費者)にとってメリットがあるからだと思います。たとえば、今週のアマゾンプライムセール、自分はいろいろ見ていましたが、どれを本当に買うべきものなのか正直よくわかりませんでした、だからこそ、信頼する編集者、キュレーターが欲しい分野と思いました、「プライムセール、これを買うべし!」みたいなヤツですよね。

 本題に戻って、立花隆氏、自分にとっては、そうした編集者、キュレーターのような存在だったと思います、中核と革マル派とのちがい、臨死体験の想像、そして、ネットの可能性、そうした「知ることの楽しみ」を教えていただいたように思います。心よりご冥福をお祈りいたします。

ベイズ統計の直感的理解と実践活用術

6月 12th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ベイズ統計の直感的理解と実践活用術 はコメントを受け付けていません)

いつもお世話になっている情報機構さんで9月にオンラインセミナー実施予定です。

ベイズ統計の直感的理解と実践活用術

ベイズ統計は難しいと思われている方は多いのではないでしょうか。たしかに、ベイズ統計を数学的に厳密に理解するには、数学のバックグラウンドが必要になり、難しいかもしれません。一方で、ベイズ統計は、迷惑メールフィルターなど、実社会の多くで利用されています。そこで本セミナーでは、ベイズ統計の直感的理解とその実践ということで、できるだけ数学に頼らず、直感的に理解できるようわかりやすく解説し、その応用について触れます。

https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AD210909.php

ワクチン接種と地方の底力

6月 2nd, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワクチン接種と地方の底力 はコメントを受け付けていません)

 イスラエル・米国・英国等に比べて遅れていた、日本での新型コロナウィルスのワクチン接種、5月下旬からだいぶ進んできたように思います。65歳以上のウチの両親も接種日も決まり、8~9月までには自分を含めた一般向けについてもワクチン接種できるのではないでしょうか。

 そして、どうやってワクチン接種を効率的にできるか、各市町村でいろいろな試みがされているようですね。たとえば、福岡市宇美町では、医師・看護師が大名行列のように移動し、ワクチンを接種することで、1時間あたり8倍に効率アップしたそうで、これはよい試みだと思いました。地方自治体が知恵を絞って、工夫する、こうした底力こそが日本を支えていると思います。

 で、地方自治体が知恵を絞って工夫する、そのルーツは江戸時代の幕藩体制にあるのではないでしょうか。自分が敬愛する司馬遼太郎の「酔って候」の中に「伊達の黒船」という短編があります。これは実に素晴らしい短編小説で、舞台は江戸・大阪からはるか離れた愛媛宇和島藩、その藩主伊達宗城は新しもの好きで、当時、全くサンプルのなかった蒸気船を作るべしと提灯張り職人嘉蔵に命じます、そして、嘉蔵は何度も失敗を重ねた上、ついに蒸気船の開発に成功するという話です。蒸気船の話は、幕末の賢候伊達宗城のリーダーシップもあるかもしれないですが、いずれにしても、江戸時代の幕藩体制は、藩が国のようなもので、それぞれの藩が知恵を絞って、工夫する文化があったのではないかと。

 で、今回のワクチン接種も藩同様に、地方自治体が知恵を絞って、工夫する、その良い面がでている気がします。で、もちろん、中央政府からの要請に応えることは大事だと思いますが、それ以上に各地方自治体が知恵を絞って、工夫する、この多様性・ダイバーシティが日本の底力になっているように思います。

 ただ、こうした多様性・ダイバーシティには、それぞれの当事者が国に頼ることなく、新しいことをやらなければいけない、あるいは、今あるものをさらに良くしなければいけないといった気概、エートスが必要なのかもしれません。まあ、自分の地元は静岡で、たまに戻ると老齢化が進んでいるのは気がかりと言えば気がかりですが、それ以上に、現状満足ではなく、さらに良い方向に改善する、新しいことにチャレンジする、こうした気概が大事なのかもしれません。

よくわかる最新量子コンピュータ 基本と仕組み 韓国語版

5月 13th, 2021 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (よくわかる最新量子コンピュータ 基本と仕組み 韓国語版 はコメントを受け付けていません)

 2018年に出版させていただきましたよくわかる最新量子コンピュータ 基本と仕組み 韓国語版が翻訳されました。自分は韓国語はわからないのですが、図表を見る限り、ちゃんと訳されているように思います。

「まだ見ぬ光景」と「いつか見た光景」

4月 29th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「まだ見ぬ光景」と「いつか見た光景」 はコメントを受け付けていません)

 日曜日、新ドラマ「ドラゴン桜」を見ながら、ツラツラと考えていたことです。ドラゴン桜は、ご存知のように元暴走族の弁護士桜木が落ちこぼれ高校生を指南して、東大に合格させる話です。今回はだいぶ半沢直樹に寄ってきましたね笑

  で、前から不思議に思っていたのは、開成・灘のような毎年東大に100人以上合格している高校もあれば、数年に一度東大合格者がいるかいないかみたいな高校もあります、その違いは何かと?

 その疑問に対して、先日、ハラオチする話をお伺いしました。その方は、横浜の聖光学院の出身の方です。ちなみに、自分はその弟分である静岡聖光学院出身で、母校を贔屓目にみても、東大合格者数の差は歴然としてます汗

 さて、その方いわく、東大合格者が増えたのは、東大出身の教師が増えたからといいます、で、教師にすでに東大合格という「体験」があるので、生徒に具体的に指導しやすい、かつ、生徒にとっても東大は比較的身近な存在になりつつあり、それが増加につながっているのだと。まあ、先生、先輩が東大が多ければ、やはり、身近に感じますよね。

 これをちょっと抽象度を上げると、「まだ見ぬ光景」から「いつか見た光景」とも言えるかもしれません。数年に一度しか東大に合格しないところでは、ノウハウも確立されていないでしょうし、暗中模索の状態で、それは「まだ見ぬ光景」と思われます。一方で、まわりが東大行くのが普通であれば、それは「いつか見た光景」ではないかと。

 これはビジネスの世界でも同じですよね。とくに、テクノロジーの場合、良くある話です。たとえば、だいぶ前ですが、携帯電話でゲームなんかするはずがないと言われた時代がありました。それは、携帯電話で電話・ショートメッセージをするのが「いつか見た光景」で、ゲームは論外だと。ただ、これからは携帯電話でゲームをやる時代が必ず来ると信じて、暗中模索して、「まだ見ぬ風景」から携帯電話でゲームをするのが当たり前という「いつか見た光景」に変える、0から1に変えるという点で、アントレプレナーの役割でもありそうです。

 もちろん、東大には定員があるので、すべての高校が「いつか見た光景」になるわけではないですが笑、「まだ見ぬ光景」から「いつか見た光景」に変える、どんな領域であれ、こうした光景を変えることが活力につながるのではないかと思いました。