視点を変えること

8月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (視点を変えること はコメントを受け付けていません)

 もう10年以上前のことです、当時は大学で研究生活をしていましたが、、そこから大きくキャリアを変えて証券会社にアナリストとして就職しました。

 当時は、ITサービス担当として、ネットワーク機器の動向・技術は何となく理解していましたが、そうした動向・技術がどう売上、利益といった財務諸表として反映されるのか、よくわかりませんでした。

 まあ、わからないなりに、自分の勘で売上高、純利益、貸借対照表、キャッシュフロー計算書などの将来の予測モデルを作ったのですが、そのモデルについて、上司をはじめとして、エラク突っ込まれました。たとえば、売上の伸び率よりも粗利の伸び率が高いのはおかしいのではないかなどです。

 当時は無我夢中だったので、ちゃんと正しいことを証明しなくてはと、近視的にとらえて、それをどうやって説明しようか必死でしたが、今思えば、これは「別の視点」なんだなと思いました。で、最近思うのは、「別の視点」です。「別の視点」は、自分の見えない視点を別の視点で教えてもらう、それによって、また違った見方があるのだと。
 
 この「別の視点」で、本当に素晴らしかったのが、「銀河鉄道の父」です。銀河鉄道は、言わずと知れた宮沢賢治です。まあ、自分はいろいろ彼の著作、評伝いろいろふれたのですが、そこからイマイチつかみどころがありませんでした。なぜ、宮沢賢治は童話を書いて、イーハトーブのような世界観を残したのだろうと。

 「銀河鉄道の父」の主人公は、宮沢賢治の父、宮沢政次郎の物語です、彼が父から質屋を継ぎ、岩手花巻で質屋を繁盛させ、満を持して、長男賢治にバトルタッチしようとするも、賢治は全くもって質屋に向いていません。で、父親は葛藤するものの、最後は賢治のやりたいことを応援します。それは、童話を書いて、イーハトーブを我々が受け入れる過程のような気がします。

 閑話休題、「別の視点」、宮沢賢治だけの視点ではわからないこともあります、むしろ、父という「別の視点」からより宮沢賢治が鮮明に浮かび上がりました。まあ、最初の予測モデルも同じですね、「別の視点」を入れることで、鮮明に浮かび上がることがあると。何が「別の視点」かはいろいろ定義はありますが、「別の視点」を受け容れる、これは大事なことと思いました。

ホーおじさんの思いとベトナム

7月 12th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ホーおじさんの思いとベトナム はコメントを受け付けていません)

さて、最近はコロナ禍もあり、めっきり訪問する機会がありませんが、これまでベトナムのハノイ、ホーチミンに何度か訪問する機会がありました。ベトナムを訪問して、いつも感じるのが、ベトナム人の勤勉さです。それはIntegrity(インテグリティ)というべきでしょうか。ベトナムの誰もが、どんなことにも真面目に真摯に取り組む姿勢が素晴らしくて、悪い思い出がありません。で、どういう背景で、こうした真摯な国民性が醸成されるのか?、とても興味がありました。

 そんな中、「知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利」が、この疑問に対して良いヒントになりました。この本は、歴史上、圧倒的に不利な状況から逆転をした独ソ戦、バトルオブブリテン、インドシナ戦争、イラク戦争をテーマに扱っていますが、圧倒的に面白かったのが、インドシナ戦争です。

 インドシナ戦争は、一言でいえば、2度にわたるベトナム独立の闘争で、第1次戦争はフランス植民地からの独立戦争、そして、第2次戦争は米国が支援する南ベトナムとの戦争いわゆるベトナム戦争です。いずれもゲリラ戦から正規軍を編成して逆転して、勝利します。

 いずれも、その主役は建国の父ホーチミンです。彼は、青年時代、船で渡ったフランスにおいて自由と独立を接し、当時、植民地支配にあったベトナムにも自由と独立が必要と志を立てます。そして、その目的を果たす道具として共産主義による闘争を掲げ、インドシナ戦争を勝利に導きます。もともとの発想としてはシンガポールの建国の父リークアンユーに近いかもしれないですね。

 で、ホーチミンは、飄々とした風貌、粛清とも汚職とも無縁で気さくな人柄から国民から敬意を表して「ホーおじさん」と呼ばれていたそうです。もちろん、もともとのベトナム国民の勤勉さ、優秀さはあるとは思いますが、やはり、「ホーおじさん」が掲げた独立と自由を守って国を強くする、これが現在のベトナムにも脈々と受け継がれている、と思いました。彼が亡くなって50年、この思いが引き継がれているのはすごいなぁ、とも思います。

コロナ禍で、なかなか海外に出ることはできないのですが、ビジネス・プライベート限らず、またベトナムにいきたいと思いました。現在、どれだけホーおじさんの建国の思いが活きているか、知りたいと思います。

ドリトリビュート

7月 3rd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ドリトリビュート はコメントを受け付けていません)

 普段あまりテレビを観ることはないのですが、たまたま、Mステをみる機会があったのですが、それは思わぬ僥倖でした。テーマは、ドリカム(以下、ドリ)トリビュートです。

 昭和生まれの自分にとってドリは青春時代そのもので、平成最初の「笑顔の行方」から「うれしたのし大好き」、「決戦は金曜日」、高校終わりの「LOVE LOVE LOVE」、「何度でも」。吉田美和の詩曲は、同番組で三浦大和が「映像が浮かんでくる」とコメントしていましたが、ホントに俳句のように映像が浮かんでくるんですよね、とくに「Ring Ring Ring」とか。たしか、吉田美和のお祖父さん、歌人だったようで、そうした流れもあるのでしょうか、ドリの詩曲から日本語の素晴らしさが伝わってきます。

 もちろん、ドリは吉田美和によるところが大きいのですが、それ以上に自分は中村正人(敬意を込めてマサ君)をリスペクトしています。ドリ結成から31年、たとえ、マサ君が作った詩曲であっても、吉田美和が即興で作った詩曲を採用する、自分を押さえても吉田美和の才能に惚れ込む吉田美和ファーストのマサ君あってのドリだと思います。あと、結成当時から知る人間にとって、はからずも脱退したニーヒャを今でも仲間としているところもリスペクトしてます。

 で、たしか、2年くらい前の日経で、ミュージシャンの大江千里のインタビューを読みました。彼も、ドリと同じ世代で、最初は恋愛ソングを作っていたけど、年をとって、恋愛の曲は書けなくなってジャズに転向したそうです。まあ、たしかになぁ、と思いました。たぶん、ドリも同じなんだろうと想像します。

 人が年をとるようにドリも年をとるー2011年、ドリカムワンダーランド行きました、それは素晴らしい体験でしたが、一方で、そう思いました。もちろん、誰でも年をとります、でも、今回思ったのは、ドリが強いのはマサ君、吉田美和、そしてそのチームによるチームワークでカバーしているんだろうと思いました。

 これは、会社も似ているかもしれないですよね。会社には、往々にして、吉田美和のようなエースはいます。でも、本当に強い会社は、そうしたエースを少しでも輝かせようとするマサ君のようなサポートメンバーがいるからこそエースが長く輝き続けると思います。まあ、マサ君は吉田美和と一緒に空を飛びました笑 いずれにしても、こうしたチームとしての強さ、マサ君から教えられた気がします、ドリ50周年も楽しみにしています!

ワークフロムホームと刺激

6月 27th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワークフロムホームと刺激 はコメントを受け付けていません)

 さて、6月19日に県間移動が解除され、レストラン等も再開、だいぶ日常に戻ってきましたが、家から働く(Work From Home)スタイルが定着しつつある気がします。自分は、もともと、朝9時に出社して、夕方5時の定時で帰宅するというワークスタイルではなく、成果を出すために仕事をするタイプなので、WFHは違和感ないですが、社会がこういう方向になりつつあり、それはそれでよいかなと思います。

 で、最近思うのは、WFHにおける「刺激」です。WHFの場合、当たり前ですが、通勤もなければ、ミーティングのための移動時間もないです。それはそれで、コストも抑えられるし、時間もセーブできるし、良いことだらけですが、「刺激」という点では、どうなんだろう、と。

 たとえば、自分は本を読むのが好きなのですが、最近はAmazonを昔ほど使わなくなりました。というのは、購入した本からいろいろレコメンドされるのですが、わりとジャンル・内容が偏っていて、そこからの「刺激」が少ないと思っています。むしろ、最近はめっきり減りましたが本屋だったり、ブックオフの100円コーナー、ブログの書評だったり、そっちの方が自分の知らない「刺激」があるように思います。

 Amazonの「刺激」のなさとWFHの「刺激」のなさは近いと思っていて、たとえば、通勤・ミーティングの移動の際に街の様子を見る、中吊り広告から世の中で起きていることを知る、あるいは、同僚との他愛のない会話の中から新しいアイデアを見出す、など、WFH\にはリアルの「刺激」が決定的に不足していると思います。

さて、最近の「刺激」の一つで、読んで面白かったのは、桶田毅著「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」です。朝日新聞の祖3代目社主村山美知子氏の一生を追ったドキュメンタリーです。朝日新聞のスパイとして創業家に送り込まれた筆者が、創業家ならでは苦悩等を目の当たりにして、ある意味、創業家側に翻意する物語と読みました。「御影の令嬢」の奥にあるドラマは自分にとって「刺激」でした。

閑話休題。経済学者シュンペーターは、イノベーション(革新)の源泉を新結合であると指摘しました。新結合は、自分の理解では、化学反応みたいなもので、何かと何かをつなげることで、新しいものが生まれると。で、その新結合のみなもとは「刺激」なんだと思います。まあ、革新はちょい大げさかもしれないですが、日々のうるおいも「刺激」から生まれると思います。なので、WFHも便利ではありますが、不便利?なリアルな「刺激」も必要なのではと思い、感染拡大に気を付けながらも、リアルな「刺激」も見つけていこうと思いました。

データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南

6月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南 はコメントを受け付けていません)

セミナー等でお世話になっております情報機構さんの書籍「データ分析の進め方及びAI・機械学習導入の指南」に寄稿させていただきました。

https://johokiko.co.jp/publishing/BC200701.php

第2章1節 学習データの収集について 寄稿させていただきました。

7月から販売、早期割引もあるようです。

 

 

学歴は不要か?必要か?

6月 10th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (学歴は不要か?必要か? はコメントを受け付けていません)

このページによると現在、必要でないモノのトップは「学歴」だそうです。まあ、この手の話は、昔から喧々諤々の議論があるので、「正しい」答えはない気がします。

むしろ、これをきっかけに思いを巡らせることが大事かと思います。かつて、福澤諭吉は、緒方洪庵が主宰する適塾で「赤穂浪士の討ち入りは正義か否か?」で肯定派、否定派に分かれてディベートしたそうで(*)。義士、不義士、いずれの場合にも「ロジック」があり、そのロジックを突き詰めるのが学問と理解しています。ま、学歴の話もこれに近く、ディベートネタによいかもしれないですね。

(*)出所 青空文庫「福翁自伝」

仮令たとい議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂あこう義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私はどちらでもよろしい、義不義、口のきで自由自在、君が義士と云えば僕は不義士にする、君が不義士と云えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来てもくるしくないといって、敵にり味方に為り、散々論じてかったり負けたりするのが面白いと云うくらいな、毒のない議論は毎度大声でやって居たが、本当に顔をあからめて如何どうあっても是非をわかってしまわなければならぬと云ういった議論をしたことは決してない。

 

さて、学歴の話。自分の理解では、集合でいうところの「十分条件」な気がします。十分条件は、たとえば、果物とリンゴの関係でいえば、果物という大きな集合のなかの一つの要素がリンゴ(十分条件)。で、下図のように、学歴の場合は、おそらく、成功?という大きな集合のなかに、人脈、判断力、性格などの構成要素の一つとして学歴は入っているんじゃないでしょうか。なので、両方を満たす成功=学歴、いわゆる必要十分条件、ではないですよね。

 ただ、この成功?があやしく、成功の定義は人によって違いますよね。毎日、ストレスなく満たされた穏やかな生活を成功とするのであれば、別に学歴とかいらないし。逆に、会社で出世することを成功とするのであれば、必要かもしれません。まあ、最近は、良くも悪くも前者が増えているような気がしますね、だから、必要ないモノのトップにあるのかもしれません。

 

 

 

 

手紙とコミュニケーション

5月 24th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (手紙とコミュニケーション はコメントを受け付けていません)

 緊急事態宣言も大部分の地域で解除され、まだ、制限は続きますが、3月に始まった自粛生活も普段の生活に、だいぶ近づいてきたように感じます。

 が、営業という話になると、まだまだ対面営業は少なく、Zoom・Teamsでのオンライン商談が多いようで、オンラインの場合、「既存のお客さんはいいけど、新規はなかなか取りにくい」という話をよく聞きます。まあ、そうですよね、既存の場合はすでに関係ができていますが、オンラインで初対面だと、相手の「息づかい」と読みづらいことは間違いなさそうです。

 閑話休題、先日、井上ひさし「12人の手紙」(中公文庫)を読みました。その名の通り、手紙だけで12人の生き様、ストーリーを語ります。たとえば、出生届から死亡届まで公式書類だけで人生を語るなど、井上ひさし流の「趣向」(=こだわり)が満載です。彼が亡くなって、もう10年経つんですね。

 この本が出版されたが1978年、いまから40年ほど前で、当時はネットもなければ、FAXもなく、コミュニケーション手段は電話と手紙くらいで、もちろん、オンライン商談もありません。今と比べてコミュニケーション手段が限定的ながらも、本書では、ペンフレンドで新しい観光案内人を開拓するなど、手紙を上手く活用していて、それがとても新鮮でした。ま、ペンフレンドは、いまだと、クレイグリストとかに近いのでしょうかね。

 40年前と現在、ネットを含めて、コミュニケーションの技術は進歩しました。が、相手に思いを伝えるコミュニケーション自体はあまり変わっていない気もします。企業にとっての「ペンフレンド」が何に相当するかわかりませんが、「趣向」を込めた手紙(メール)を書くのも一つの手かもしれないですね。「手紙」という文化自体は薄れつつありますが、相手とコミュニケーションをするということは、いつになっても変わらないと思いました。
 

 

データの前処理ノウハウ

5月 22nd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データの前処理ノウハウ はコメントを受け付けていません)

いつもお世話になっている情報機構さんでオンラインセミナーを開催します。

データの前処理ノウハウ というタイトルで、どうデータの特徴量を抽出するかのセミナーです。


https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AC200714.php

コロナの谷を越えて

5月 19th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (コロナの谷を越えて はコメントを受け付けていません)

 5月18日に発表されたソフトバンクグループの1~3月期の最終損益は1兆4381億円の赤字(前年同期は1271億円の赤字)、日本企業としては過去最高額の赤字という。決算説明会のなかで、孫社長が「投資先のうち、コロナの谷に落ちる企業もあるが、谷を乗り越えてはばたく企業もある」という話に、なるほどと思いました。

 過去の歴史をたどると、疫病、戦争、金融危機など、自分たちの手でコントロールできない「谷」の局面は、ピンチでもありチャンスでもありました。たとえば、1300年中ごろにヨーロッパを中心に猛威を振るったペスト、それまで農民は教会、封建領主が絶対的な存在でしたが、ペストにより農民の数が減少->労働不足になり、むしろ、領主が農民に賃金を払う関係に逆転し、そうした中から人間中心運動であるルネッサンスが起きたといいます。

 日本の戦後なんかもそうですよね。太平洋戦争開戦前夜から財閥を中心に重化学工業に投資が集中しました。たとえば、1943年には指定金融機関制度が生まれ、軍が発注→三菱重工業が受注→足りないおカネは指定金融機関の三菱銀行がファイナンスというサイクルで財閥の産業に占めるシェアが上がりました。が、終戦後、財閥は解体され、ソニーのような新しい会社が生まれ、「谷」を越えました。

 で、今回も歴史は繰り返されると思います。急激に環境が変わるので、立ち行かなくなる会社も増えると思います、ただ、その谷を乗り越えて大きく羽ばたく会社もそれ以上にあると思います。で、何がその境界を決めるのか? 人間と同じように企業も健康でいることだと思います。

 やはり、企業にとって人間の「血」に相当するのが、おカネ。おカネが回らないと死んでしまいます、だから、そして、緊急時は輸血(外部からの資本注入など)は限られるので、できるだけ自分の体で代謝をよくして、キチンと生活すること。当たり前といえば当たり前ですが、人間が健康をキープするのが楽ではないように、企業も楽ではないと思います。が、そうした企業が「谷」を越えていくと思いました。

「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス

5月 10th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス はコメントを受け付けていません)

チャレンジ系は苦手なので、マイペースで日々の本との邂逅です。コロナ禍の前に、たまたま本屋で見つけた本「財閥の時代」(武田晴人著)がとてもよかったのでシェアします。

 この場合の財閥は主に三井・三菱・住友の三大財閥で、その始まりは明治初期の政府との癒着、いわゆる、政商の時代から、銀行・資源・商社機能を含めた多角化、第1次世界大戦後の商社ブーム、昭和恐慌による財閥叩き、戦時下の重工業発展、「財閥」という切り口で日本の資本主義発展の様子を俯瞰できます。

 で、帯の「なぜ、彼らだけが成功したのか?」-本書では、三井・三菱・住友のような財閥を目指すも、先物で失敗した古河商事、第1次世界大戦中の造船需要で財閥と肩を並べる存在になったものの台湾銀行の融資停止で破綻した鈴木商店、この2社と三大財閥と何が違うのか?

 自分の理解では、1.人材の育成、と、2.時代の変化にあわせた対応力(レジリエンス)だと思いました。三大財閥は、もともと、三井家、岩崎家、住友家が「総有制」として事業をコントロールする仕組みも、明治終わりころから商社、鉱山、銀行とそれぞれの分野に精通する専門経営者を育成する仕組みが確立されていました。たとえば、血盟団によって暗殺された三井の団琢磨はもともと鉱山の経営者、そこから頭角を現し、三井財閥の総帥となる。一方、鈴木商店の場合、番頭の金子直吉が一人で鈴木商店のすべてをコントロールするカリスマ経営だったので、事業が大きくなるにしたがって、次第にその綻びが出て破綻に至ったと。これは今でもあるあるの話ですよね。

もう一つの対応力(レジリエンス)、明治の成長期の坂の上の雲の時代はともかくとして、大正に入ってくると財閥の経済占有率の高さから、時代の要請もありますが、株式会社への転換、慈善事業の強化、そして、戦時下では重工業への投資と、時代の変化にあわせて、柔軟に組織・ビジネスを変えた、変化への対応力がありそうです。これも、いまでもそうですよね、世の中は変化するので、その変化に応じて変えないと置いてきぼりになってしまいます。そして、人材の育成と変化への対応力、この2つが「なぜ、彼らだけが成功したのか?」のカギと思いました。

本書は新曜社で1993年、バブル崩壊あたりの年に刊行、今年3月に角川ソフィア文庫でリニューアルされました、こうした本をリニューアル出版した出版社に敬意を表したいと思います。で、バブル崩壊から30年近く、総合商社もだいぶ変わりましたよね、いまだと、伊藤忠商事に勢いがあるように思いますが、やはり、この2つの要素がカギとしていつの時代も変わらないのかもしれません。