ある京都の料亭と忘れられる権利

10月 12th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営

先日、東京だけど、京都料理を食べる機会があったので、ふと思い出したこと。

ベースは東京なので、京都にいくことは、それほど多いわけではないけど、京都にいくと必ずと言っていいほど通う店があります。

何がきっかけで、その店を知ったのかは思いだせないけど、京都のただでさえ分かりにくい路地のさらに分かりにくいところにあり、最初の訪問は迷って30分もかかりました。

そんなひっそりした店だけど、味はすばらしい、季節ごとに活かした素材、その素材を活かす出汁、おかみさんのサービス、器、店の雰囲気、何をとっても言うことがなく素晴らしい店です。

で、その店、近年ミシュランに登録されたようで、一見さんが増えているという。店としても、顧客の拡大が見込めるので悪い話ではないと思う。

でも、この間、ひさりぶりに行こうと、食べログを見たら、”店の人が常連さんばかり贔屓している”みたいな書き込みがあって、その心ない書き込みにちょっとがっかりした。

その店は、初めていったときも、どんなときも、店の方が丁寧にお迎えいただき、帰る時も、路地を曲がるところまで、ずっとずっと手を振ってお見送りいただいて、いつも恐縮しているくらい。たしかに、何度も通っている人には積もる話もあるだろうけど、誰にでもきっちりサービスを提供するところです。

そういう意味で、”一見さんお断り”というのは、本当にクオリティの高いサービスを提供するには必要なことかもしれないと思いました。


そして、この話、ネットにも共通するところがあると思う。

現状のネットでは、自分の個人情報がネットに掲載されることがしばしばある。それがうれしいこともあれば、のせてほしくない情報がのせられることもある。とくに、検索大手グーグルの場合、情報削除に関しては保守的で、消してほしいとリクエストを出しても、なかなか消してもらえない。先の京都の料亭の話であれば、ミシュランに載せてほしくなくても、載ってしまう(それはそれで名誉だけど)ケースに似ているかもしれない。

やっぱり、世の中のあらゆる情報を検索できることはいいのだけど、”検索される側”としては提供したくない情報もあるし、”ネットはすべてオープンな世界なので、なんでもシェア”というのはありえない。

で、どうするか?一つは、EUのプライバシー保護議論で出ている”忘れられる権利”が一つのアプローチかもしれない。

忘れられる権利は、”個人データ管理者はデータ元の個人の請求があった場合に当該データの削除が義務づけらる権利”(Wikiより)であり、個人の請求で、その個人のデータを”忘れることができる”権利。

京都の料亭はわからないけど、すくなくとも、ネットで自分の情報が掲載されていて気持ち悪い、というのは、この権利が広まれば、もしかしたら、軽減されるかもしれないです。

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