アップルが、iPhoneを車と連携させる新しいサービス CarPlay を発表、で思ったこと。
最近、とみに思うのは、ブレることと、変化すること。
”ブレ”と”変化”は同じようで結構違う、と思う。
共通しているのは、ある状態(たとえばA)から別の状態(B)に遷移すること。
たとえば、ケータイでいえば、10年くらい前は、周りを見渡せば、ほぼ国内製のフィーチャーフォン(いわゆるガラケー)だった。
で、10年たった2014年、フィーチャーフォンはゼロではないけど、圧倒的にスマホの数が多い。
10年前、フィーチャーフォン向けにサービスを提供している会社にとっては、10あった全体のパイが1になるわけであって、確実に売り上げは減ってしまう、だから、”変化”しないといけない。進化論的に言えば、”もっとも変化に対応できる生物が生き残る”ともいえるかもしれない。
ただ、変わることがすべて良いとは限らない。
たとえば、このCarPlay、いままでアップル、あるいは、スティーブ・ジョブズは、”ユーザ体験を自分でコントロールする”という理念のもと、できるだけパートナーを排して、自社でハード、ソフト、サービスを提供してきた。何度もiPhone互換機、Macが動くWindows PCが取りざたされつつも、頑なに拒んだのは、こうした”すべてのユーザ体験を受け持つ”というアップルの矜持があったのだと思う。
アップルに関しては、イノベーションのジレンマ抱えるアップル、突破口に待ち受ける日本企業のさらなる苦難にも書きましたので、あわせてご参照ください。
そして、今回のCar Play、もちろん、iPhoneを接続することが前提であり、WindowsでiTunesを利用できることに近いのかもしれないけど、若干の危うさも感じる。やはり、アップルにとってユーザ体験は自社でコントロールする話であるものの、自動車の場合、”車”がユーザ体験の多くを占めるのではないかと。すくなくても、スティーブ・ジョブズであれば、断固拒否したように思う。そう意味で、このアップルの決断は、同社の理念がブレたのかもしれない。正解はまだわからない。
話はもどって、変化とブレ、結局のところ、その要因は理念なのかもしれない。きちんとした理念があり、その理念に沿って、ビジネスがかわったとしても、それは”変化”、でも、理念とは違う方向に進むこと、これは”ブレ”かもしれない。理念にブレずに進むことは簡単なようで、難しい。だからこそ、ブレない理念が必要と言えるかもしれない、とCarPlayの発表から思いました。