データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南

6月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南 はコメントを受け付けていません)

セミナー等でお世話になっております情報機構さんの書籍「データ分析の進め方及びAI・機械学習導入の指南」に寄稿させていただきました。

https://johokiko.co.jp/publishing/BC200701.php

第2章1節 学習データの収集について 寄稿させていただきました。

7月から販売、早期割引もあるようです。

 

 

学歴は不要か?必要か?

6月 10th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (学歴は不要か?必要か? はコメントを受け付けていません)

このページによると現在、必要でないモノのトップは「学歴」だそうです。まあ、この手の話は、昔から喧々諤々の議論があるので、「正しい」答えはない気がします。

むしろ、これをきっかけに思いを巡らせることが大事かと思います。かつて、福澤諭吉は、緒方洪庵が主宰する適塾で「赤穂浪士の討ち入りは正義か否か?」で肯定派、否定派に分かれてディベートしたそうで(*)。義士、不義士、いずれの場合にも「ロジック」があり、そのロジックを突き詰めるのが学問と理解しています。ま、学歴の話もこれに近く、ディベートネタによいかもしれないですね。

(*)出所 青空文庫「福翁自伝」

仮令たとい議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂あこう義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私はどちらでもよろしい、義不義、口のきで自由自在、君が義士と云えば僕は不義士にする、君が不義士と云えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来てもくるしくないといって、敵にり味方に為り、散々論じてかったり負けたりするのが面白いと云うくらいな、毒のない議論は毎度大声でやって居たが、本当に顔をあからめて如何どうあっても是非をわかってしまわなければならぬと云ういった議論をしたことは決してない。

 

さて、学歴の話。自分の理解では、集合でいうところの「十分条件」な気がします。十分条件は、たとえば、果物とリンゴの関係でいえば、果物という大きな集合のなかの一つの要素がリンゴ(十分条件)。で、下図のように、学歴の場合は、おそらく、成功?という大きな集合のなかに、人脈、判断力、性格などの構成要素の一つとして学歴は入っているんじゃないでしょうか。なので、両方を満たす成功=学歴、いわゆる必要十分条件、ではないですよね。

 ただ、この成功?があやしく、成功の定義は人によって違いますよね。毎日、ストレスなく満たされた穏やかな生活を成功とするのであれば、別に学歴とかいらないし。逆に、会社で出世することを成功とするのであれば、必要かもしれません。まあ、最近は、良くも悪くも前者が増えているような気がしますね、だから、必要ないモノのトップにあるのかもしれません。

 

 

 

 

「所定」とデジタル化の視点

6月 8th, 2020 | Posted by admin in 日々の思い - (「所定」とデジタル化の視点 はコメントを受け付けていません)

 

今回のコロナ禍のなかで、何度も話題になったのが、行政の電子化の遅れです。たとえば、定額給付金について、対応が追い付かないといったところから、28の自治体で中止や休止をしているといいます。まあ、これだけにとどまらず、物理的にハンコを押す習慣とか、だいぶ、電子化は進みましたが、まだまだ道半ばと思います。

そもそも電子化とは何か?目的はデジタル化と思います。デジタル化とは、アナログを0と1のデジタルに置き換えること。

具体的には、下の図のように申請用紙などの所定の紙に手書きで埋めて、郵送、担当者がチェックして可否を判断、これがアナログの入力、送信、出力で、デジタルの場合、所定のフォームをPC・スマホとをつかって埋める、そして、担当者がチェックして可否を判断する場合(セミデジタル)と、ルールに基づいて自動判断する場合(デジタル)があると思います。

アナログ セミデジタル デジタル
入力 所定用紙に手書きで埋める 所定フォームに所定形式に従ってPC・スマホを使って埋める
送信 郵送 所要時間 1~2日 メール、クラウド 所要時間 0.1秒
出力 担当者がチェックし判断 担当者がチェックして判断 ルールに基づいて自動判断

 

で、アナログとデジタルの違いは、この「所定」にあると思います。もちろん、アナログの申請書類も「所定」はありますが、間違えて消す場合もあるし、誤ったまま提出した結果、返送されることもあります。ただ、デジタルの場合、単純な話では、電話番号には数字しか入れられないし、メールアドレスには、日本語は入力できません。すなわち、場所・規格を定める(所定)こと、これがデジタル化とも言えそうです。

それで、思い出したのは、かつてアナリストをやっていた際、企業の基幹システム(ERP)について調査したことがありました。企業の基幹システムは、文字通り基幹のシステムで、どこで、どれだけモノが売れて、どれだけ在庫が残っているかかといった販売システム、売上、利益を管理する財務システム、工場でどれだけモノを作ったかを管理する生産システムと多岐にわたります。

で、このERP構築において、論点になるのは、「所定」です、日本の企業の多くは業務に合わせてシステムを作っているので、生産と販売などつなげようとすると上手く動かないことが多いです。最初の話では、「アナログ」的な所定のやり方でシステムを作っているケースが多かったです。

で、この「アナログ」的なアプローチを変えるには、「所定」しかなくて、業務を標準化すること、あるいは、働き方をシステムに合わせること。一時的には、とてもやりにくくなります、紙ベースからデジタルにしてやりにくい、不便と同じかもしれないですね。ただ、一時的には不便になるかもしれないですが、24時間申請できますし、基本、フォーム通りに間違えなければ申請されますし、メリットも一杯あると思います。したがって、まず、踏み込むことこれが重要かもしれません。

 

 

手紙とコミュニケーション

5月 24th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (手紙とコミュニケーション はコメントを受け付けていません)

 緊急事態宣言も大部分の地域で解除され、まだ、制限は続きますが、3月に始まった自粛生活も普段の生活に、だいぶ近づいてきたように感じます。

 が、営業という話になると、まだまだ対面営業は少なく、Zoom・Teamsでのオンライン商談が多いようで、オンラインの場合、「既存のお客さんはいいけど、新規はなかなか取りにくい」という話をよく聞きます。まあ、そうですよね、既存の場合はすでに関係ができていますが、オンラインで初対面だと、相手の「息づかい」と読みづらいことは間違いなさそうです。

 閑話休題、先日、井上ひさし「12人の手紙」(中公文庫)を読みました。その名の通り、手紙だけで12人の生き様、ストーリーを語ります。たとえば、出生届から死亡届まで公式書類だけで人生を語るなど、井上ひさし流の「趣向」(=こだわり)が満載です。彼が亡くなって、もう10年経つんですね。

 この本が出版されたが1978年、いまから40年ほど前で、当時はネットもなければ、FAXもなく、コミュニケーション手段は電話と手紙くらいで、もちろん、オンライン商談もありません。今と比べてコミュニケーション手段が限定的ながらも、本書では、ペンフレンドで新しい観光案内人を開拓するなど、手紙を上手く活用していて、それがとても新鮮でした。ま、ペンフレンドは、いまだと、クレイグリストとかに近いのでしょうかね。

 40年前と現在、ネットを含めて、コミュニケーションの技術は進歩しました。が、相手に思いを伝えるコミュニケーション自体はあまり変わっていない気もします。企業にとっての「ペンフレンド」が何に相当するかわかりませんが、「趣向」を込めた手紙(メール)を書くのも一つの手かもしれないですね。「手紙」という文化自体は薄れつつありますが、相手とコミュニケーションをするということは、いつになっても変わらないと思いました。
 

 

データの前処理ノウハウ

5月 22nd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データの前処理ノウハウ はコメントを受け付けていません)

いつもお世話になっている情報機構さんでオンラインセミナーを開催します。

データの前処理ノウハウ というタイトルで、どうデータの特徴量を抽出するかのセミナーです。


https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AC200714.php

コロナの谷を越えて

5月 19th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (コロナの谷を越えて はコメントを受け付けていません)

 5月18日に発表されたソフトバンクグループの1~3月期の最終損益は1兆4381億円の赤字(前年同期は1271億円の赤字)、日本企業としては過去最高額の赤字という。決算説明会のなかで、孫社長が「投資先のうち、コロナの谷に落ちる企業もあるが、谷を乗り越えてはばたく企業もある」という話に、なるほどと思いました。

 過去の歴史をたどると、疫病、戦争、金融危機など、自分たちの手でコントロールできない「谷」の局面は、ピンチでもありチャンスでもありました。たとえば、1300年中ごろにヨーロッパを中心に猛威を振るったペスト、それまで農民は教会、封建領主が絶対的な存在でしたが、ペストにより農民の数が減少->労働不足になり、むしろ、領主が農民に賃金を払う関係に逆転し、そうした中から人間中心運動であるルネッサンスが起きたといいます。

 日本の戦後なんかもそうですよね。太平洋戦争開戦前夜から財閥を中心に重化学工業に投資が集中しました。たとえば、1943年には指定金融機関制度が生まれ、軍が発注→三菱重工業が受注→足りないおカネは指定金融機関の三菱銀行がファイナンスというサイクルで財閥の産業に占めるシェアが上がりました。が、終戦後、財閥は解体され、ソニーのような新しい会社が生まれ、「谷」を越えました。

 で、今回も歴史は繰り返されると思います。急激に環境が変わるので、立ち行かなくなる会社も増えると思います、ただ、その谷を乗り越えて大きく羽ばたく会社もそれ以上にあると思います。で、何がその境界を決めるのか? 人間と同じように企業も健康でいることだと思います。

 やはり、企業にとって人間の「血」に相当するのが、おカネ。おカネが回らないと死んでしまいます、だから、そして、緊急時は輸血(外部からの資本注入など)は限られるので、できるだけ自分の体で代謝をよくして、キチンと生活すること。当たり前といえば当たり前ですが、人間が健康をキープするのが楽ではないように、企業も楽ではないと思います。が、そうした企業が「谷」を越えていくと思いました。

「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス

5月 10th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス はコメントを受け付けていません)

チャレンジ系は苦手なので、マイペースで日々の本との邂逅です。コロナ禍の前に、たまたま本屋で見つけた本「財閥の時代」(武田晴人著)がとてもよかったのでシェアします。

 この場合の財閥は主に三井・三菱・住友の三大財閥で、その始まりは明治初期の政府との癒着、いわゆる、政商の時代から、銀行・資源・商社機能を含めた多角化、第1次世界大戦後の商社ブーム、昭和恐慌による財閥叩き、戦時下の重工業発展、「財閥」という切り口で日本の資本主義発展の様子を俯瞰できます。

 で、帯の「なぜ、彼らだけが成功したのか?」-本書では、三井・三菱・住友のような財閥を目指すも、先物で失敗した古河商事、第1次世界大戦中の造船需要で財閥と肩を並べる存在になったものの台湾銀行の融資停止で破綻した鈴木商店、この2社と三大財閥と何が違うのか?

 自分の理解では、1.人材の育成、と、2.時代の変化にあわせた対応力(レジリエンス)だと思いました。三大財閥は、もともと、三井家、岩崎家、住友家が「総有制」として事業をコントロールする仕組みも、明治終わりころから商社、鉱山、銀行とそれぞれの分野に精通する専門経営者を育成する仕組みが確立されていました。たとえば、血盟団によって暗殺された三井の団琢磨はもともと鉱山の経営者、そこから頭角を現し、三井財閥の総帥となる。一方、鈴木商店の場合、番頭の金子直吉が一人で鈴木商店のすべてをコントロールするカリスマ経営だったので、事業が大きくなるにしたがって、次第にその綻びが出て破綻に至ったと。これは今でもあるあるの話ですよね。

もう一つの対応力(レジリエンス)、明治の成長期の坂の上の雲の時代はともかくとして、大正に入ってくると財閥の経済占有率の高さから、時代の要請もありますが、株式会社への転換、慈善事業の強化、そして、戦時下では重工業への投資と、時代の変化にあわせて、柔軟に組織・ビジネスを変えた、変化への対応力がありそうです。これも、いまでもそうですよね、世の中は変化するので、その変化に応じて変えないと置いてきぼりになってしまいます。そして、人材の育成と変化への対応力、この2つが「なぜ、彼らだけが成功したのか?」のカギと思いました。

本書は新曜社で1993年、バブル崩壊あたりの年に刊行、今年3月に角川ソフィア文庫でリニューアルされました、こうした本をリニューアル出版した出版社に敬意を表したいと思います。で、バブル崩壊から30年近く、総合商社もだいぶ変わりましたよね、いまだと、伊藤忠商事に勢いがあるように思いますが、やはり、この2つの要素がカギとしていつの時代も変わらないのかもしれません。

データサイエンス・AI研修について

5月 4th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データサイエンス・AI研修について はコメントを受け付けていません)

ここ6年近く、データサイエンス・AIに関する研修を手掛けてきました。

単に研修をしてノウハウを教えるというよりは、「データをもとに考える」こうしたスキルを涵養するのが最大の目的です。

で、昨今のコロナ禍により、今までは教室で実施してましたが、オンラインへの移行が増えてきました。

このページにまとめています。 データサイエンス・AI研修事業について

やるべきこと、やるべきでないこと:ミッションとは何か?(後編)

4月 29th, 2020 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (やるべきこと、やるべきでないこと:ミッションとは何か?(後編) はコメントを受け付けていません)

さて、後半です。前編の「原典にあたるべし」、それで思うのが今回のコロナ禍です。今回の、コロナ禍は、日本を含めて世界中にロックダウン・自粛と大きな影響を与えています。こうしたロックダウン・自粛でどう我々は過ごすべきか?いろいろな議論があると思いますが、前編にも続く「原典にあたるべし」。このコロナ禍でどうすべきか、やはり、原典にあたるべきかと思いました。

 企業にとってミッションは原典ですが、日本国民にとって、「原典」は「憲法」ではないかと、先日ミッションを考えていたときに、つらつらと思いました、法律は門外漢ですが、憲法が基準になるべきと思います。

 で、憲法だと、第25条で、国民の【権利】と【義務】を規定しています。まず、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む【権利】を有する。一方で、【義務】は、第25条(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。自分なりに解釈すると、国民は豊かに生活する権利がある一方で国は国民に豊かな生活をサポートする義務があると。

 この権利と義務のバランスは、いわゆる、正義・フェアとは何か?という話で、マイケル・サンデル教授は「これから「正義」の話をしよう」にて、こう指摘しています「ある社会が公正かどうかを問うことは、われわれが大切にするものー収入や財産、義務や権利、職務や栄誉―がどう分配されるかを問うことである。公正な社会ではこうした良きものが正しく分配される。」、そして、その分配のアプローチは「幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養」と説きます。

 さて、前編の「ミッション」に話を戻します。自分の理解では、この「ミッション」は3つめの「美徳の涵養」に近い話と思います。美徳(virtue)は、なかなか訳しにくいのですが、いわゆる判断基準みたいなもので、「日本人らしいか?らしくないか?」といったところでしょうか。で、最後に結論、あくまでも私見ですが、100%公正はないですが、今の日本では比較的公正に分配されていると思います、そして、静かにStay Homeをする、それが「らしさ」のように思えてなりません。

やるべきこと、やるべきでないこと:ミッションとは何か?(前編)

4月 27th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (やるべきこと、やるべきでないこと:ミッションとは何か?(前編) はコメントを受け付けていません)

もう、だいぶ前の話ですが、かつて大学・大学院でインターネットの研究活動に従事していました。最初に、研究室に配属されたころは、何が研究なのか、全くわからず、五里霧中の日々でした。そのなかで、救われたのが、ある方にアドバイスいただいた「どんなことでも原典を調べるべし、そこから新しい発想が生まれる」と。いわゆる、温故知新ですね。たしかに、たとえば、300年前先人が考えたこと、今、我々が考えたこと、そこまで人類は進化していないので、結局、我々が考えることは300年前とたいして変わらないかもしれません。

 ただ、その当時のアドバイスから、どんなときも原典に当たるように心掛けてきました。とくに、その原典の重要性を感じたのが、自分が企業のバックオフィス、いわゆる、総務・経理・財務・法務・経営管理・労務等などの実務を担当したときです。自分にとって、こうした実務一つ一つ、たとえば、経理であれば仕訳伝票を起こす、総務であれば備品を発注する、ホント大したことないかもしれないですが、その一つ一つがとても重要と思っていて、ただ、「何を基準に優先度をつけるべきか?」、プライオリティ付けを迷っていたときがありました。そうしたときに思いだしたのが、「原典にあたるべし」です。

 会社にとっての「原典」は、「会社として何をやるべきか?」、いわゆる、ミッション(志=自分ごととして、社員一人一人がやらなければいけないこと)と思います。そして、このミッションというのは、社員一人一人が「何をやらなければいけないか、さらに、何をやるべきでないか?」という判断基準と理解しています。

この何をやるべきで、やるべきでないか、判断基準のたとえは難しいのですが、自分がハラオチしたのは、慶応大学の場合、意思決定をする際「慶応らしいか、どうか?」を判断基準にすると言います。自分の理解では、慶応のミッションは福澤先生の「あらゆることから学んで、勉強して、それを活かす(実学)」という精神に対して、極端ですが、「勉強しなくても何もしなくてもお金儲けできます」というのは、やっぱり「らしくない」ですよね。

 さて、話に戻ると、「原典を調べるべし」、会社にとってはミッション、明文化されてないかもしれないですが、「何をやるべきか、やらないべきか?」、これが原典の判断基準であり、そうした判断基準が実務まで落ちている会社は強いと思うのです。ただ、これは会社だけではなく、いろいろな話に通じると思いました、それは後半に続きます。