台風19号とresilience

10月 14th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (台風19号とresilience はコメントを受け付けていません)

10月12日、台風19号が東日本に大きな被害の爪あとを残しました。千曲川の氾濫等、今回、被災された方には一日も早い復興、日常生活への復帰を心からお祈り申し上げます。

 さて、台風19号で思ったのは、東京そして日本のresilienceです。resilienceは、日本語に訳しにくくて、回復力、対応力ですが、発生した事象に対して柔軟に対応・リカバーすること、強いて言えば、這い上がること、と理解しています。

 たとえば、東京は400年前、江戸として幕府の拠点になってから、川を中心に街を構築してきました。川はモノ・人を運ぶのに便利な反面、台風のような災害に影響を受け、ときには壊滅的な被害をうけます。そして、川に限らず、東京は何度も壊滅的な被害を受けました、関東大震災、東京大空襲、そして、最近では東日本大震災、「もうダメだ」と思ったときは何度もあったと思います。実際、自分も東日本大震災の計画停電はしんどかったです。でも、あきらめずにresilienceで何度も這い上がり、その田保に強くなってきました。

 そして、企業も都市に似ていると思います。企業は長くやっていると「もうダメだ」という瞬間があります。でも、そうした艱難辛苦に逃げることなく正面から立ち向かい、あきらめずにresilienceで這い上がる、そうした会社は立ち直って、そして、強くなって、ちょっとやそっとのことじゃ潰れなくなると思います。

 というわけで、resilience、何度も這い上がることが強くなる、そんなことを学びました

よくわかる最新機械学習の基本と仕組み

9月 12th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (よくわかる最新機械学習の基本と仕組み はコメントを受け付けていません)

新著が出版されます、タイトルは「よくわかる最新機械学習の基本と仕組み」です。今週末くらいから書店に並ぶそうです。これで自分の著書はデジタル版も入れて11冊目になりました、「よく書くねぇ」、と人に言われますが、音楽とか絵とかがダメな自分にとって書くことは、自分を表現する唯一と言っていい手段なので、これからもニーズがある限り続けていきたいです。

 で、今回はこれまでの蓄積もあるしすぐ終わるだろうと最初は高を括っていましたが、結局、今回もこれまでと同様もしくは最大の難産でした。去年の量子コンピュータでは、その過程を旅と表現しましたが、今回の機械学習は険しい山の登攀でした。機械学習の場合、ディープラーニングなど数学的に難しいトピックがあり、それを数学を使わず説明するには自分がハラオチするまで理解する必要があり、そのために原典の論文を読んだり、ソースコードを読んだり(これは長い間大学にいた賜物ですね、今更ながら感謝してます)して難所をクリアし、納得できるレベルまで辿り着きました。

 この登攀過程は、本当に脳に汗をかくというくらいの経験で、土日は悩み考えすぎて、夢にも出てくるくらいでした。ただ、こうした悶絶も決して無駄ではなく、とくに今回はディープラーニングについて深く考える機会がありました。自分の結論は、ディープラーニングは、人間ならびに生物の脳をシミュレーション、広い意味で自然現象を利用したいわゆる自然コンピューティングという話と理解しました、ディープラーニングの結果がブラックボックスであることは、自然コンピューティングなので、ある意味当たり前なのかと。これまでの機械学習とディープラーニングのすみわけはできそうな気がしています。こうしたことをいろいろ考えて、難所を乗り越えた結果、ボリュームは前回の量子コンピュータの倍(300ページ)くらいなりました、が、お値段は1800円(税抜)とこの手の本では割とお買い得感があると思います。

 最後に登攀といっても、ソロクライマーのように一人で登るわけではなく、多くの方のご協力によるものです。ありがとうございました!この場を借りて深く御礼申し上げます。

次は白紙ですが、何か面白いテーマが見つかったら、チャンレジしたいと思います!

今こそ「R」実習で学ぶ>統計・データ分析の基礎とノウハウ

8月 21st, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (今こそ「R」実習で学ぶ>統計・データ分析の基礎とノウハウ はコメントを受け付けていません)

これまでセミナーを開催させていただいております情報機構さんで以下のセミナーを開催します。

Pythonが多いですが、tidyverseに代表されるようにRもやりやすい点はあります。

今こそ「R」実習で学ぶ>統計・データ分析の基礎とノウハウ


<今こそ「R」実習で学ぶ>統計・データ分析の基礎とノウハウ

感謝すること

8月 16th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (感謝すること はコメントを受け付けていません)

稲盛さんの新刊「心。」に染み入る話がありました。

 京都の小さな町工場からスタートした京セラが創業して初めての注文が松下電器(パナソニック)。で、当時は、ほとんど名前が知られてなかった京セラに注文してくれたことに感謝する反面、品質・価格はとても厳しく、とくに価格については毎年厳しい値下げ要求があり、それに応えるには並々ならぬ努力が必要だったといいます。

 他の業者は、これに対して「下請けいじめ」と不平不満をこぼす一方、京セラは毎年注文を頂けること、それによって鍛えられていることに感謝しました。そして、一見、無茶にみえる注文でも採算が取れるように知恵を絞り、努力を重ねた結果、京セラが米国に進出した際、他社にくらべて、圧倒的に安くてよい製品ということで、広く受け入れられたという。

 これはIT系でも当てはまる話かと。無茶な注文とブラックとの線引きは難しいところですが、不平不満をいわず、ポジティブに取り組む、これは大事で、そして、無茶な納期でもちゃんとやってくれる、こういう会社は信頼されますよね。

 会社の財務だけを見るのではなく経営者に会って、経営者の考え方を知るべし」 ー 昔、アナリストをやっていたとき、よく言われました。たぶん、こういう心がけを見るべしということなんだと思います。

 というわけで、一見、無茶と思われることでも、きちんと検討して、知恵を絞って、不平不満を言わず、ポジティブに取り組む、これは大事ですね。

松方コレクション展

8月 7th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (松方コレクション展 はコメントを受け付けていません)

 さて、アポの間に時間があったので、上野の国立西洋美術館松方コレクション展にいってきました。あまり絵は詳しくはないのですが、松方コレクションを扱った原田マハ「美しき愚か者たちのタブロー」が面白くて、いつか行かねば、と思っていきました。

 川崎造船の社長であった松方幸次郎が20世紀初めにロンドン、パリで集めたコレクション、モネ、ルノワール、ゴッホをはじめとした当時では世界有数の規模でしたが、関東大震災後の昭和恐慌、戦争等でコレクションが散逸。戦後、吉田茂のタフネゴによってフランス政府からの寄贈返還が決まり、今回はオルセー美術館所蔵のゴッホ「アルルの寝室」もお目見えでした。

 吉田茂は、当時フランス所蔵の松方コレクションの寄贈返還のネゴのさい、「返してほしい」とは言わず、日本にフランス文化を宣伝するいい機会だ、というネゴでこのコレクションの寄贈返還が決まったといいます。で、そこから60年経ちましたが、いまでもこれ当てはまりますね。

 ここのところ、パリにいく機会がないですが、コレクションからパリの華やかさが伝わってきて、パリに行きたくなりました、いつか凱旋門賞と一緒にオルセーも行きたいですね。ま、自分は絵はあまりよくわかりませんが、日本酒・ワインと同じでその背景を知ると深みが出てくるというか、知るのが楽しくなりますね。

 さて、ビジネスという点から、もう一点。3年近く前ですが、倉敷の大原美術館にいきました。大原美術館も松方コレクションと同じ時期、印象派の画家と直接コンタクトして絵画を集めます。で、前者の松方コレクションは散逸、後者の大原コレクションは無傷とはいかないまでも残りました、関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争、条件はほぼ同じで、この差はなんだろうと。

 自分の仮説は、レバレッジだと思っています。松方幸次郎は、コレクション購入に際して自宅を担保に出す、さらには母体の鈴木商店から借り入れるなどレバレッジを効かせたといいます。一方、大原コレクションの場合は、大原家が児島虎次郎という岡山出身の画家のパトロンとして、そこまでレバレッジを効かせずコレクションを集めたという理解です。

 ただ、松方コレクションのおかげで国立西洋美術館が完成し、こんな素晴らしいコレクションをみる機会があるので、どちらがよいかは難しいですね。いずれにせよ、身の丈を知り、レバレッジを抑えるというのはビジネスという観点からは重要かなと思いました。

野村ノート

7月 3rd, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (野村ノート はコメントを受け付けていません)

前にも書いたかも知れないのですが、自分にとってブックオフの108円コーナーは得難い邂逅です。で、ブックオフの108円コーナーで読んだのが「野村ノート」たしか、昔読んだような気がしたのですが、自分が経営に関わるようになって、とても身に沁みました。やはり、野球の監督と会社の経営はとても近い話と思います。

 で、ノムさんがこの本で伝えたいメッセージの一つはデータの活用。この本が出版されたのは、2005年、ヤクルトでリーグ優勝を制し、阪神の監督を務め、楽天の監督になる前のころです。

  彼の教えを要約すれば、まず、投手・打者ともに相手のクセを読めということだと思う。たとえば、投手であれば、ここぞという場合にストレートのような同じ球種しか投げられない場合、打者に読まれる、だから、シュートなどの他の球種をマスターすべしと。

 それは結局のところ、それは手数を増やすことで、打者に対してプレッシャーを与えると。だからこそ、打者もそのプレッシャーに負けず、投手の心理を読むべしと。

 まあ、ビジネスもこれと同じですよね。まず、データは大事ですが、そのデータは相手を知るためにあると。野球でいえば、昨今はデータ活用が盛んですが、ノムさんの考え方であれば、おそらく、データ解析で出た答え呼んで、その裏を出すと思います。

 ただ、裏をかくだけが監督の仕事ではなくて、むしろ、4番、エースを育てるという。野球の場合、実際の試合となると、監督がすべてコントロールできるわけではなく、エース・4番といったプレイヤーが重要という、だから、そのエース・4番をどう育てるかが監督の役割だと。

 会社でも同じですよね、マイクロマネジメントで社長がすべて口を出す組織もありますが、結局、野球あるいはサッカーのようにエース、キャプテンに任せざるをえない場合もありますよね。だからこそ、信頼できる4番・エースを育てる、これは社長の役割かもしれないと思いました。

FACT FULLNESSと世界の見方

5月 28th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (FACT FULLNESSと世界の見方 はコメントを受け付けていません)

 さて、最近は昔の本を読むことが多く、新刊はひさびさですが、『FACT FULLNESS』は多くの学びがありました。いわゆる、出色の出来栄え、と言うに相応しいと思います。

 テーマは世界をどう見るかことで、我々は意識せずに先進国、途上国のように分断して考えたり、世界の人口はひたすら増え続けるといった将来を直線で考えたり、一つの例がすべて当てはまるように考えたり、「色眼鏡」をかけてモノをみていると。

 むしろ、こうした思い込みを乗り越えて、データをもとに世界を正しく見るべし、という話と理解しました。データをためる・使うのは大事だけど、じゃあ、どう使うのか。やっぱり、世界を正しく見るためだと思います。

 これは世界だけではなくて、ビジネスでも同じですよね。たとえば、会社で上司が「アイツは使えない」という思い込みで判断するのではなくて、データ・事実にもとづいて正しく世界を見る、どの世界でも共通の話なんだと思います。

 あるいは、日本の場合、「外人」は思い込みが多い気がします。まあ、もともと島国ということもあるんでしょうが、我々は髪の色が違うと「外人」って思い込みがちですよね。でも、見た目はアメリカ人だけど、日本語しか話せない、ZIP!の朝ごはんジャーニーに出演しているマーティンは外人じゃないですよね。あと、中央競馬で最近は外国人騎手が増えていますが、一言に外国人騎手といっても日本で免許をもっているD・デムーロ騎手、C・ルメール騎手は短期免許で来日する外国人騎手ではなくて日本人騎手と言うべきですね。

 いずれにしても、こうした思い込みは、誰にもある話で、だからこそデータに基づくファクトフルネスが大事で、よい刺激になりました。自分が思うに、本のクオリティは、かけた時間に比例すると思っています(だから、自分が書く時もとことん時間をかけるわけですが)。たとえば、今年映画化されるピアノコンクールの名作『蜜蜂と遠雷』は構想12年、取材11年、執筆7年もかけた名作です。『FACT FULLNESS』も著者ハンス・ロスリングという一人の人生そのものの経験がすべて詰め込まれていて、それが何とも言えないコクになっていると思います。事あるごとに読み返そうと思います。

 

 

雍正帝 中国の独裁君主

5月 5th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (雍正帝 中国の独裁君主 はコメントを受け付けていません)

ここのところ読んでいて思うところがあったのでシェア。宮崎市定「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫)を読みました。もともと、トップダウンというマネジメントスタイルに興味を持っていて、中国の皇帝は究極のトップダウンという話を聞きました。で、このスタイルに興味を持っていたので読んでみました。

 この本、良い意味で裏切られました。中国、清時代、第4代皇帝康熙帝と第6代皇帝乾隆帝の間の第5代皇帝雍正帝は、たしかに、地方の政治の細かいことまで口を出す、いわゆる、マイクロマネジメントのスタイル。まあ、現在だと社長が平社員の仕事についても全部口を出すスタイルでしょうか。

 ただ、天子である中国の皇帝を以てしても、命令に従わないことは多々あったようで。それは、中国の科挙制度で登用された官僚が本書の言葉を借りれば「資本家」になり、地元の民は、皇帝の命令よりも資本家の命令を聞き、かつ、皇帝に正しく報告しなかったと。会社でもありますよね、こういうの。

 なので、雍正帝は「大小の官吏からべつべつに報告させて、ただいに比較してみてその間に虚偽がないか確かめねば気が済まなかった」(p103)という。これ、自分がアナリストのとき同じことをいわれました。事業会社は得てして自社に都合がいいことを言う傾向あるので、取引先、顧客にもヒアリングしろと。独裁者といえども自分の言うことを聞いてくれなくて苦労が絶えないと。

 この雍正帝のマイクロマネジメントは資本家には窮屈なようで、結局、13年しか続かなかったものの、このマイクロマネジメントが清の国力を押し上げ、つぎの乾隆帝の治世につながったと。結局は、この官僚制度がネックになって、外からの外圧で清は滅亡します。なので、マイクロマネジメント自体も否定すべきものではないのかもしれないですね。

 自分が思うに歴史書の醍醐味は昔何が起きたかを知ることではなくて、過去の出来事を「自分ごと」ととらえることにあると思います。自分が司馬遼太郎をこよなく愛するのも、彼がまるで坂本龍馬のような歴史上の人物と昨日酒を酌み交わしたように「自分ごと」として書いているところにあると思います。宮崎先生もまさに同じで、ひょんなことから古本屋で雍正帝の資料と出会い、雍正帝を「自分ごと」として噛み砕いています。この本最初に出版されたのが60年前近くですが、明日、どこかの会社で同じことが起きているような気がします。

インドで考えたこと

4月 6th, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (インドで考えたこと はコメントを受け付けていません)

週末を利用してインドのプネ―にいってきました。ライフワークとしてやっているデータサイエンス講習で協業できないかとプネ―にあるSymbiosis大学という割と大きな私立大学を訪問してきました。

 たしか最後に訪問したのがアナリスト時代のバンガロールだったので、もう10年近くたちます、10年の間にインドも変わりました。バンガロール、名を改めベンガル―ル空港は見違えるほどきれいな建物となり、プネ―でも至る所で新しいビルの建築が進んでます。

 でも当時と変わらないのが若さ、企業でも大学でもとにかく若い。若ければいいという話ではないけど、やっぱり、無茶ともいえる発想は若さによると思うのです。そう言ってる自分は年を取ってきてるのかもしれないですねwまあ、これは東南アジア全般に言えると思います。日本はこのパワーを活用したいですね。

 ちなみに、3年ほど前フィンテックの本を書いて、そのなかで、インドではこれからPaytmが熱くなるという話を書きました。で、インドでは街のチャイ屋台でもPaytmが使えて、書いた通りになりましたwこういう現地現物でみるのも大事ですね。

 インド訪問のもともとの発端は自分の叔父さんで、「インドに行って、今の状況を見てこい」と何度も言われました。えてして、日本は住みやすいので日本にとどまりがちですが、自分の知らないところに積極的にいくこと、これも価値あることだと思いました。

宮本輝 流転の海

4月 1st, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (宮本輝 流転の海 はコメントを受け付けていません)

宮本輝「流転の海」を読みました。宮本輝は自分にとっての不朽の競馬小説「優駿」ぶりです、優駿も素晴らしかったですが、これも思うところがありましたのでシェア。

 さて、自分にとって本は人との出会い、旅での出会いのような出会い、いわゆる僥倖だと思います。そして、本ではビジネス書、あと、自分も技術書を書くので、この手の本はよく読みますが、出会いという点では小説も大切なものだと思います。そして、たまたま年明けに第1部を読んでから、3か月で第9部完結に至りました。

 正直なところ、感情移入したこともあり、最後は読むのが辛かったです。主人公松阪熊吾が第1部では戦後の混乱のなかで進駐軍相手に口八丁手八丁でビジネスを起こし、そして、第2部では故郷伊予南宇和に戻り、暴れる牛を射抜く。こうした躍動感に溢れる主人公が巻を重ねるごとに、苦境に立たされ、肉体的にも衰え、第9巻では第1部で登場するゴロツキ辻堂忠の伏線回収と思いきやまさかの門前払い、その後、精神病院に入院し、最後を迎える。

 一読者ですらそう思うので、その息子である作者の重圧・葛藤は半端なかったと思います。執筆から完結まで37年という年月はその重圧・葛藤を消化するための時間だったのでしょうね。未完という選択もあったかもしれないですが、よくぞ腹を括って書き終えたと思います、尊敬しかありません、で、これを映像にするのは難しいでしょうね。

 彼は第9部のあとがきでこう指摘します「37年もかけて、7千枚近い原稿用紙を使って、何を書きたかったと問われたら「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」と答えるしかない。」本当にその通りだと思います。でも、そのひとりひとりの劇がリアリティ溢れて、自分もそのひとりひとりの生き様を追体験しているようでした。

「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」彼の口癖が全てを語っていますね、今月は熊吾ロスになりそうです。