連載中の世界ハイテク企業ウオッチにプライスラインの記事を寄稿させていただきました。
【連載】世界ハイテク企業ウォッチ
世界最大のインターネットテレビ企業、ネットフリックスに立ちはだかる試練
http://www.sbbit.jp/article/cont1/28897
連載中の世界ハイテク企業ウオッチにプライスラインの記事を寄稿させていただきました。
【連載】世界ハイテク企業ウォッチ
世界最大のインターネットテレビ企業、ネットフリックスに立ちはだかる試練
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最近、おもうこと。
もう、だいぶ前の話だけど、新卒採用のセミナーである担当者の一言。
「ウチは、いままで中途採用だったけど、白いキャンバスを染めたい思いから新卒採用に踏み切りました。」
当時は、何も思わなかったけど、今思えば、なかなか大胆なこと言うなあ、と思う。
どんな企業にとっても、人は財産。だから、新卒、中途を問わず、許す限り人を採りたい。
で、新卒と中途、どちらがいいのかといえば、なかなか難しい。
たしかに、冒頭の担当者のように、新卒は”白いキャンバス”であり、それを企業カラーに染めることはできる。
まあ、大学生が勉強しなくて就職できるのも、”白いキャンバス”という点からは良いのかもしれない。
ただ、最近思うのは、企業カラーに染めることは、良いことでもあり、悪いこともある。
良いことは、やはり、企業のカルチャーをちゃんと理解できること、中途で入ったけど、カルチャーに馴染めず辞めるという例は多い。
一方、悪いことは、一つの会社しかいないので、やはり、視野が狭くなること。
やはり、一つの会社で、かつ、ジョブローテーションをしないまま何十年も同じことをやっていれば、外との接点も少なくなり、必然的に、井の中の蛙、ガラパゴスになってしまう。学業がすごく優秀な人が、こうした境遇に置かれて、ガラパゴス化しているケースをたくさん見ているので、それほどこれは間違っていない気がする。これはもったいない。むしろ、そういう人にこそ転職を薦めたい。
逆に、中途ばかりの集団もなかなか難しい。とくに、中途は専門分野に長けていることを買われて、採用されるケースが多いので、タコつぼ化するケースも結構ある。
という意味で、大事なのはバランスだと思う。新卒ばかりでは金太郎飴、すなわち、どこから切っても同じになってしまう、そんなときは、外の血を入れて、視野を広くする。一方、中途ばかりでは、傭兵集団になりがちなので、会社に対するロイヤリティがそれほど高くないケースがある、そんなときは、”白いキャンバス”の新卒を入れる。このバランスが大事なんだなあと思うのです。
最近、思うこと。
誰がいったか忘れたけど、”アイデアを熟成させる”ことはとても大事だと思う。
どんな素晴らしいアイデアでも時代が早すぎたり、あるいは、一緒にやるパートナーがいなかったり、とアイデアがすぐ実現するとは限らない。
だからこそ、熟成させる。そして、熟成させて、鬨の声、しかるべきタイミングを待つ。
そう考えると、アイデアの熟成はワインの熟成に似ているかもしれない。
五大シャトーのような高いポテンシャルをもつブドウ(高いポテンシャルをもつアイデア)は、熟成させればさせるほど価値が上がる。
一方で、ポテンシャルが高くないブドウは、熟成させるとかえって、風味が落ちることがある。
ワインの熟成は年月だけど、アイデアは、年月だけではなくて、コミュニケーションとかいろいろあると思う。
で、やっぱり、重要なのは、ポテンシャルがあろうがなかろうが熟成させる仕組みを作ること。自分もあまりできているとは思えないけど、思いついたこと思い付きで終わるのではなくて、書き留める、これも重要なのかなと。というわけで、アイデアをどんどん熟成させましょう。
最近、読んだ本の中で、とても勉強になりました。
企業でマネジメントに携わっている人、組織を作っている人にインプリケーションがあると思う。
で、自分が、なるほどなあ、と思ったのが、 グーグルの目標管理システムOKR(Objective and Key Result)。
OKRは、たとえば、こんな具合「ジュピター(プロジェクトのコードネーム)ではW個の新システムによって、X個の大規模サービスの大量トラフィックを処理し、稼働率Y%のときにレイテンシーZマイクロ秒以下を達成する。」(p302)
もともと、インテルのCEOアンディ・グローブが導入したMBO(Management By Objective)に近い話で、個人、チーム、会社で目標を決めて、それを達成すべく一体となる。
これに近いモノに予算とか事業計画とかがある。
自分の仕事の多くはこうした予算とか事業計画を作ることで、自分の理解では、それは、企業の地図みたいなものだと思う。つまり、予算、計画がないと今どこにいるかわからない。
ただ、問題は、予算とか事業計画に厳密であればあるほど、予算のための仕事、事業計画のための仕事と手段と目的が逆になってしまう。そして、行きつく先は、計画経済みたいにすべてトップダウンで決めた結果、現場が全く動かないことになってしまう。
ひるがえって、このOKR。トップダウンになりがちな予算、事業計画をボトムアップのアプローチで、自分たちが重要な分野で目標を設定するという点でよくできた仕組みだと思う。ただ、こういうのは、グーグルのような「スマートクリエイティブ」という一人一人の社員が尖っている会社だからこそできる仕組みかもしれない。
どう組織、ビジネスをつくっていくか、とても得るものがある本でした。
最近、おもうこと。
最近は、あらゆる分野でパーソナライズが進んでいる。
たとえば、グーグルでは、検索履歴から、自分が次に検索したいものを自分の嗜好にあわせて、提案してくれる(パーソナライズ)。
検索する本人にとっては、「あ、これで検索しようとおもっていた」ということで、提案の精度が高ければ、良いことだ。
そう、デジタル化の進展でパーソナライズが進んでいるけど、世の中すべてがパーソナライズするのだろうか?
先日、そんなことを考えては、「まあ、そうかもね」と、もやもやしていた。
で、先日、元ミュージシャンで気の合う仲間と話していて、こんな問いをぶつけてみた。
「音楽をライブで聴くお客さんって、性別も違えば、年齢も違えば、趣味・嗜好も違う、そんななかでどうやってお客さんを満足させることができるの?」
彼は、こう答えた。
「お客さんに自分の思っていることを問いかけをして共感してもらう。そして、熱意を伝える。それで、会場が一体になる。たとえば、矢沢永吉のコンサートに一回行ったら確実に共感できる。ビジネスとしたら、次の日、熱意が冷めやらぬうちにファンクラブの勧誘をするのがよい。」
なるほどなあと思った。
パーソナライズというのは、言ってみれば、”お客様第一主義”的な発想だと思う、すなわち、ユーザのことを考えて、ユーザが心地良いものを提供する。
そして、その対極にあるのが、このライブ。アーチストが”熱意”を伝えて、その熱意に観客が惹きこまれる。
たぶん、このライブは、”体験”ともいえると思う。
かつて、スティーブ・ジョブズは、自分の世界観がグレートだと信じて、シンプルな自分の世界観をiMac,iPhoneなどのプロダクトに託した。そのプロダクトには、彼の世界観しか投入されていないので、余計なことは何もできない、伝記によれば、彼はApp Storeさえも最初は反対したとか。そのおかげでセキュリティは保てる。それは置いといて、アップル製品が魅力的なのは、スティーブ・ジョブズの洗練された”体験”をユーザが追体験できるからだと思う。
この”体験”はパーソナライズというよりは、むしろ、”オレの世界観を味わってくれ”といったトップダウンではないと面白くない。ビジネスでよくあるのは、色々な人の話を聞いて、それを反映した結果、”妥協の産物”っぽくなってつまらない製品・サービスになってしまうというのは枚挙にいとまがない。
というわけで、結論。
たしかに、パーソナライズというのはいろいろ便利だし、これからもパーソナライズは増えると思う。
でも、全部がパーソナライズされるわけではない。
むしろ、パーソナライズ化が進んだ結果、”オレノ世界観を味わってくれ”という経験の方が新鮮というケースもあるし、こういうサービスももっと増えてもいいと思う。
そう、やっぱり、パーソナライズ万能ではなく、経験も重要ってことです。
先週のこと、彼の突然の訃報に呆然としました。
その昔、自分が証券アナリストであったころ、機関投資家(アナリストにとってお客さん)の彼にプレゼンをする機会がありました。
社内の営業曰く、「彼に上手く食い込めれば、他もきっと上手くいく」と。
長い大学生活を経て、初めて社会人となったそのときのことです。そのときは、本当に右も左もわからなくて、今から振り返れば、恐る恐るの訪問した。
でも、彼は、アナリストとして未熟な自分に対して、何一ついやな顔をせず、暖かく真摯に丁寧に対応してくれました。
アナリストとして、3年近く、やっていけたのは、彼という暖かく見守ってくれる存在があったからだと思います。
その後、自分がプータローとして放浪していたときも、人一倍、自分のことを気にかけてくれて、声をかけていただいて、四谷三丁目でおごってくれたあの夜はいまでも忘れることはできません。
あれから数年、彼の温情に対して、自分は何を返してあげたのだろう。
たぶん、何一つ恩返しできなかったと思う。思うたびに、呵責の念に堪えません。
ローマの哲人セネカは、「人の生きるところは「今ココニ」しかない。「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。」と指摘する。
たしかに、「今ココニ」を全力で生きることは重要かもしれない。でも、「今ココニ」だけを考えるのは辛すぎる。
自分ができることといえば、彼の生き様を伝え、彼を少しでも見習って、暖かく接して、すこしでも、彼への恩返しをすることなのかもしれません。
いまでも心の整理ができません。心よりご冥福申し上げます。ありがとうございました。
レビュープラスさんから献本いただきました。ありがとうございます。
本気で変わりたい場合、どうするか?
筆者は、それを「欲望」と説く。
そして、欲望とは、
「欲望=頭の声、体の声、心の声」(p32)
という。そして、毎日の生活の中で、こうした声を聞くことが重要と言う。
その欲望がどう行動を変えるか、それが、
「欲望」からスタートして作られた「ビジョン」(p53)
という。
すなわち、最初は自分のための欲望からスタートしても、それがやがて世の中のためになる「ビジョン」に成長すると。
あなたの「欲望」の半歩先には必ず「善きビジョン」がある(p62)
そして、どう欲望とビジョンを行動におこすか、筆者は、50秒セルフトークとそのあとの10秒の行動こそが大事と説く。
すなわち、自分に言い聞かせて、行動を起こすと。
たしか、渋沢栄一だったと思うけど、彼は寝る前に毎日今日起きたことを反省したという。
そして、反省を活かして、つぎに活かす、これを繰り返していたので、「日本資本主義の父」たる存在になったと。
というわけで、この行動イノベーションも自分を振り返って、アクションにつなげる、有効な手段だと思ったのでした。
今日、家に戻って、夕刊を読んでいて、なるほど、と思ったのが、プリプリの奥井香の記事。
彼女は、小学校のときはピアノをやっていたけど、付属中学に入学するにあたって、音楽を辞めたという。
でも、入学した中学校の音楽室には、普通の中学校になりドラムがあったり、高校生はシンセサイザーを使えたとても恵まれた環境で、バンド活動をスタートする。
そして、バンド活動にのめりこんだあまりに、付属高校に進学できずじまいで、家族ががっくりする中、ただ一人叔父さんが「入学祝に好きなものを買ってやるぞ」と言って、買ってもらったベースがプリプリのデビューのきっかけになったと。
孟母三遷というように、やっぱ、環境は大事だなあと。
そして、さらに思うこと。
自分の周りには、元プロミュージシャン、元プロボクサーなど、全然、バックグラウンドが違う人がビジネスをやっている。そして、そういう一つの道を極めた人の方が、仕事の飲み込みも早いし、根性もあるし、真剣に働くので、仕事をしていて楽しい。
で、日本の場合は、大学をでて一人前的な風潮も昔に比べたら薄まったものの、やはり、まだあると思う。でも、自分が思うに、だらだら大学をでる人よりは、一つの道を極めた人、そして、極めながらも諸処の事情で残念ながらその道を諦めた人、こうした人を企業に引っ張ってくるのも大事じゃないかと、奥井香の話から思ったのでした。
石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門
ビジネスマンとして深く尊敬する岩瀬さんの初のご著書です。
自分の理解では、この本は、おおきくわけて3つの話をしています。
1.エネルギー(本書では、石油、ガスがメイン)はどのように発掘するか?⇒ 石油・ガス賦存の5要素
2.発掘したエネルギーをどのように流通するか? セブンシスターズ手動⇒OPEC手動⇒市場取引に
3.そうして日本に届いたエネルギーをどう活用すべきか?⇒エネルギー政策
1,2については、筆者のこれまでの商社マン人生でベネズエラからテヘランまでありとあらゆる場所に赴いた現場経験が裏打ちされて、リアルにその情景が伝わってきます。
帯には、「エネルギー界の池上彰さん誕生!」とあるけど、この本の面白さは池上彰さんというより、むしろ、「海賊と呼ばれた男」的な面白さだと思う。
つまり、ジャーナリストとしてある事象を冷静に観察するというより、日本の石油業界を背負う当事者、リーダーとして、これまで過ごした生き様がひしひしと伝わってきます。なので、次回はぜひ当事者としての回顧録を読みたいなあ、とも思います。
で、考えさせらたのは、3.エネルギー政策。
第1章のタイトル 日本の輸入ガスはなぜ高いか? で触れられているように、なぜ、日本の輸入ガスは高いか?
その理由としては、筆者は、「日本ではLNGは原油の代替燃料だった。したがって、価格を原油価格にリンクさせたのもこれまた当然だった。」(p30)
すなわち、シェールガスでどんなに天然ガスが安くなっても、日本だけ天然ガスの価格は原油価格にリンクしている。その背景には、「日本の電力会社は、販売電力価格を総括原価方式とよばれる「コスト積み上げ」で算定し、政府に許可を得ることになっている。」(p32)
その「コスト積み上げ」での電力価格を負担しているのは、いうまでもなく、我々日本国民。電力価格を本当に安くしたいのであれば、天然ガスの価格を原油価格にリンクさせなければ安くなる。ただし、その場合、電力会社が想定する“安定供給”ができない可能性があると。
で、どちらをとるか? やっぱり、これまで自分はこんなカラクリがあることは知らなかったし、エネルギーをどうすべきか、その背景をきっちり知ることが最初の一歩だと思う。
最後に、自分はいままで情報分野が長いので、タイトルの“エネルギー情報学”に引っかかってしまいました。
自分の理解では、情報とは、点(ヒト)と線(通信手段、電話、ネットなど)の集合。
そう考えてみると、ある点において、油田が発見され、また、ある点で流通する。そして、ある点ではそのエネルギーを利用する。その点で起きることをどう解釈するか、これはエネルギー情報学とも言えるのかもしれない。
すくなくとも、石油・天然ガスについては、ある点で起きている事象が包括的に理解できるので、そういう意味で“エネルギー情報学”の入門としてはよいと思いました。